2021年4月14日(水) 11日目前半
宇佐神宮
最後の大分観光
今日は九州に滞在する最終日、日中は最後の大分観光を楽しみ、19時15分発の「フェリーさんふらわあ」で本州(神戸)に戻ります。最終日は大分県北部にある、宇佐神宮と中津を観光します。全国の八幡様の総本宮である宇佐神宮、黒田官兵衛と福澤諭吉にゆかりのある中津、どちらも一度は行きたいと思っていました。
1日あれば2ヶ所ぐらい余裕で回れると持っていたんですけど、前日に電車とバスの時刻表を眺めていると、思ったより時間が掛かることが分かりました。一番ネックだったのが、宇佐駅から宇佐神宮行きの路線バスの本数が少ないこと、またその路線バスと電車との接続があまり良くないことでした。宇佐神宮は宇佐駅から約4km離れているので徒歩での移動は難しいんですよね。
時刻表とにらめっこしながら思案した結果、以下の日程となりました。別府駅から宇佐駅の移動だけ特急を利用しています。移動に時間が掛かってしまい、宇佐神宮には50分しか滞在できなかったのは勿体なかったと反省しています。今から考えると、この日はレンタカーを利用すべきでした。
- JR別府駅 07:55 → JR宇佐駅 08:25 (特急ソニック)
- JR宇佐駅前 08:45 → 宇佐八幡 08:52 (路線バス)
- 宇佐神宮観光(50分)
- 宇佐八幡 09:39 → JR宇佐駅 09:47 (路線バス)
- JR宇佐駅 10:17 → JR中津駅 10:41 (普通列車)
- 中津観光(2時間半)
- JR中津駅 13:13 → JR別府駅 14:24 (普通列車)
宇佐神宮へ
今日は朝から天候が良く、予報によると終日晴天となりそうです。対照的に気温は相変わらず低く、早朝は肌寒さを感じます。
◆JR別府駅からの眺め
JR宇佐駅までは、この旅行で唯一利用した特急で移動します。大分駅と博多駅を結ぶ特急「ソニック」です。ソニックは「音速」という意味ですが、その名に違わないハイスピードな列車でした。普通列車で50分かかるところを30分で済みました。車内は斬新なデザインで、座席は座り心地が良くこれまで乗った特急列車の中では一番印象的でした。
◆特急ソニック
■08:45 JR宇佐駅到着
駅舎は、柱や梁を朱塗りにしていて神社風になっていました。駅前には宇佐神宮が写っている大きな看板が掲げられていました。看板には「国東半島(くにさき)」の文言があるんですが、旅行している時点では、国東半島については良く分かっていなかったんですよね。いくつか寺院があるんだなーという程度で、四国の佐多岬と結ぶフェリー乗り場の方に意識がありました。ここから四国に渡ると面白そうだなという感じです。ところが、後から調べると色々面白いことが分かってきます。
国東半島一体に分布する仏教寺院を総称して「六郷満山」といいます。この地域は早くから開けていたため、九州でいち早く仏教が浸透しました。半島の中央に位置する両子山から放射状に伸びる谷筋に沿って6つの郷が開け、山岳信仰の修行実践の場とされていきました。これに八幡社の総本山、宇佐神宮の信仰が融合し、神仏習合による独自の山岳仏教文化が形成されていきます。国東半島には多くの六郷満山寺院が建造され、富貴寺の阿弥陀堂や熊野磨崖仏などのみどころがあります。特に国東半島の石仏群は大きくて精密なもので見事なんだそうです。以前言及した臼杵市の石仏もそうなんですけど、大分県は別府や湯布院のイメージが強すぎるんですが、文化面でも奥が深くて面白い地域なのが分かります。
◆JR宇佐駅
駅から少し離れた所に、屋根付きのバス停があるのでしばらく待ちます。御覧の通り、宇佐神宮を通るバスは1時間に1本あるかないかです。
◆バス時刻表
宇佐神宮
先に言及したように、宇佐神宮は4万あまりある八幡さまの総本宮で、宇佐八幡とも呼ばれます。八幡神、そしてこれを祀る宇佐八幡の成立については諸説ありますが、律令国家の形成期に八幡神が出現したことから、律令国家の成立と密接に連動して生まれた神様ととらえる説が有力です。
また、称徳天皇時代の宇佐八幡信託事件でも有名です。称徳天皇は、東大寺を建立した聖武天皇の娘、すなわち女帝です。もう少し言うと、最初は孝謙天皇として即位し、一人挟んで重祚し、称徳天皇として即位しました。称徳天皇は僧の道鏡を心奉するようになり、道鏡は皇位を窺うようになります。この時、道鏡の弟「弓削浄人(ゆげのきよひと)」と太宰主神が「道鏡を皇位にせよ」という内容の宇佐八幡の神託を奏上します。さすがに称徳天皇もこれはまずいと感じたのか、もう一度神託を聞くようにと和気清麻呂が遣わされ「皇位には皇族を立てよ」という神託をえて上奏します。特に最後の「無道の人はよろしく早く掃き除くべし」の劇的な句をもって宇佐八幡の神明は後世までとどろくようになります。
■08:55 宇佐神宮到着
予想はしていたんですが宇佐神宮の境内はかなり広大でした。宇佐駅への戻りのバスまで50分しかないので、全部見るのは諦めて上宮と下宮など重要なスポットだけ回ります。
上宮には朝5時半から参拝できますが、9時前だと仲見世通りの商店街はまだ営業していません。参拝客もほとんどいないため静かな雰囲気です。
◆仲見世通りの商店街とイチイガシ並木
◆鳥居
◆宇佐神宮線26号蒸気機関車
鳥居をくぐると朱塗りの美しい「神橋(しんきょう)」があります。参拝者が少ないこともあって厳かな空気が漂っており、身が引き締まります。
◆神橋
◆寄藻川(よりも)
◆大鳥居
◆宝物館
◆神宮庁前
◆春宮神社(とうぐう)
◆祓所(はらいじょ)
本来は上宮参道から上宮に向かうべきだったのですが、地図を読み間違えて下宮の方から行ってしまいました。
◆上宮参道
◆下宮
下宮からさらに奥に進むと「南大門」と本宮に続く階段「百段」がありました。階段の前には柵があるので、こちらから登るのは止めて引き返そうとしたところ、そのすぐ先にモノレールがありました。本来は車椅子や年配の方が利用する設備だったようなんですが、今回は私も利用させて頂きました。モノレールで上がると上宮に到着です。
◆南大門
◆モノレール
上宮の本殿は、八幡造とよばれる独特の建築様式です。本殿は、向かって左から一之御殿、二之御殿、三之御殿が並んでいます。本殿は普段は非公開です。南中楼門(勅使門)の奥に本殿があります。
◆南中楼門
◆一之御殿
◆三之御殿
◆百段
本殿を参拝し終えたので、参道を下って戻ります。
◆西大門
◆宇佐鳥居
◆若宮神社
時間に余裕がなかったので、菱形池周辺は奥の方まで行くことができませんでした。
◆菱形池
◆能舞台
最後は、行くときに通った神橋とは別の橋(名前は良く分からず)から戻ってみました。
◆仲見世通りに続く橋
中津城
中津へ
宇佐神宮は駆け足の観光になってしまいました。やはり50分という時間制限は無理がありましたね。宇佐駅方面のバス停に着くと、間もなくしてバスがやってきました。約10分で宇佐駅に到着です。中津行きの電車の発車時刻までは30分あるので、駅の待合室で休憩です。外はまだ肌寒く、暖かいコーヒーが飲みたい気分だったんですけど、自販機は全部冷たい飲み物に置き換わっていました。
◆JR宇佐駅
博多行きの特急が遅れた影響で、定刻から少し遅れて宇佐駅を出発です。約20分でJR中津駅に到着です。駅から出ると風の強さに驚きました。お日様は出ているので、朝よりは気温が上がってはきているのですがまだまだ肌寒さを感じます。本当にここは九州なんでしょうかね?
■10:45 JR中津駅到着
◆JR中津駅
中津では、中津城と福澤諭吉旧居を見学予定なんですが、どちらも駅から離れています(約1.5km)。周遊バスのような都合の良いものはないため、徒歩で向かいます。
◆城下町道案内
数分歩くと、「寺町」とよばれる一角があります。字の通り、中津城の東側の寺院が密集した地域です。この辺は時間をかけずサラッと見るにとどめ、まずは中津城に向かうことにしました。寺町から数分で中津城に到着です。
◆寺町散策コース
◆円応寺
◆円龍寺
中津城
■11:05 中津城到着
中津城は黒田孝高、通称黒田官兵衛が築城し、細川忠興が完成させました。細川家が熊本藩への転封に伴い、小笠原氏が入封します。失政、乱行のため小笠原氏が改易されると、1717年(享保2年)に奥平昌成が入封、明治維新まで奥平家の居城となりました。奥平氏は徳川家家臣で、第二代貞昌は長篠の戦いで武田家の猛攻から長篠城を守り抜いた人です。
中津川の河口を巧みに利用し、堀に海水を引いた日本三大水城の一つに数えられます。天守閣は1964年(昭和39年)に観光用に建てられたもので、当時はこのような天守は無かったと言われています。天守閣は城の防衛には役に立たず、権威を見せるためのもの、黒田がそのような天守閣など作らなかっただろうというのが定説になっています。
このようなこともあって、実は中津城自体の期待値はあまり高くなかったんですが、石垣や周囲の堀は見応えがありました。
◆中津城
北側の石垣には継ぎ目があるのが分かると思います。右側が黒田孝高時代の本丸跡の石垣、左側は細川忠興時代のものです。
◆北側の石垣
◆黒田官兵衛公と正室光姫像
ビューポイントと書かれた場所からの中津川や中津城の景観です。
◆ビューポイントからの景観
◆中津川
◆中津城
堀の南にある門をくぐり敷地に入ります。写真の左手前に見えるのは奥平神社です。
◆中津城(南側)
奥平家歴史資料館
中津城の天守閣は、奥平家に関する歴史資料館となっています。入場料は400円でした。甲冑や長篠合戦図が印象的だったのは勿論なんですが、中津藩の藩医で蘭学者だった前野良沢が翻訳した「解体新書」などに関する展示も興味深いものがありました。
◆双葉山の化粧回し
◆具足
長篠の戦いでの鳥居強右衛門(とりい すねえもん)のエピソードは欠かせません。武田軍に長篠城が包囲された時、強右衛門は包囲網を突破して徳川家康に援軍を求める役目を命じられます。無事包囲網を脱出し、家康と織田信長への救援要請に成功します。この朗報を一刻も早く味方に伝えようと城内に潜入を試みますが武田軍に捕らえられてしまいます。武田勝頼は命を助ける代わりに援軍が来ないと伝えるように命令しますが、強右衛門はこれを拒否、これに怒った勝頼は強右衛門を処刑しました。これにより武田軍の攻撃から城を守り通すことに成功しました。
◆鳥居強右衛門磔図
◆長篠合戦図
◆掛け軸
◆国宝 太刀 大般若長光(模造)
◆火縄銃
天守閣最上階からは中津川と城下が一望できます。風の強さは相変わらずなので少し危険でしたが、見事な景観に言葉がありません。
◆天守閣
◆天守閣からの眺め
コロナ禍のため、黒田官兵衛資料館は休みでした。
◆黒田官兵衛資料館
敷地内の南側は中津公園として整備されています。
◆中津大神宮
◆中津神社鳥居
◆中津城公園
福澤諭吉旧居・福澤諭吉記念館
次は約600m東にある「福澤諭吉旧居・福澤諭吉記念館」に向かいます。途中、「二ノ丸公園」、「武家屋敷跡」がありました。
◆二ノ丸公園
◆武家屋敷跡
福澤諭吉旧居
■11:50 福澤諭吉旧居到着
福澤諭吉は、1835年(天保5年)に大阪の中津藩屋敷で、下級藩士福澤百助の次男として生まれました。1836年、諭吉が1歳6ヶ月の時父と死別し、母子6人で中津に帰郷します。蘭学を学ぶため長崎に行く19歳まで過ごした家が、現在は「福澤諭吉旧居」として保存されています。
中津城とは対照的に、こちらではコロナ対策が厳重でした。入口では検温と消毒、また氏名や連絡先などの情報を記入しました。入場料は400円です。
◆福澤諭吉旧居(駐車場からの景観)
◆福澤諭吉胸像
◆昇龍の藤
◆福澤諭吉旧居外観
◆福澤諭吉旧居内部
◆土蔵
福澤諭吉記念館
旧居に隣接する「福澤諭吉記念館」には、諭吉の書や原稿、著作の初版本、写真や肖像など、多数の資料が展示されています。
◆福澤諭吉胸像
◆咸臨丸模型
◆文明論之概略
◆学問のすすめ(初版)
◆福澤諭吉演説像
◆福澤夫妻肖像
寺町を見ながら中津駅に戻る
少し時間の余裕があったので、中津駅へ戻る途中、もう一度寺町を覗いてみました。
円応寺
黒田孝高の開基により建立された浄土宗の寺院です。仏門に入り寺を火難から守った河童にまつわる話が残っています。
◆鐘楼
◆観音堂
明蓮寺
明蓮寺は、中津城下町のお寺としては最大級の境内です。
◆山門
◆鐘楼
◆本堂
■12:30 JR中津駅到着
中津駅にある名店街ふるさとの味コーナーでお土産を購入しました。色々あって迷ったんですが、「壱万円お札せんべえ」のパッケージが印象的だったので購入しました(1,000円)。甘みのある万人向けの味で、誰にでもオススメできます。
◆壱万円お札せんべい



































































































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