2025年9月15日(月) 10日目
朝から暴風雨に見舞われる
今朝は6時半に起床、昨日から発症していた喉の痛みは順調に悪くなってしまいました。体調自体は悪くないのですが、症状が徐々に悪化しているのが気がかりです。もう1点、昨日から心配していた天気ですが、空模様がかなり怪しく、いつ雨が降り始めてもおかしくない状況です。
7時半を過ぎたので、1階ロビー近くの食堂スペースにてビュッフェ形式の朝食を頂きました。メニューは昨日と変わり映えはしませんが、定番料理を中心に野菜や果物を多めに頂きました。周りを見渡すと、今日も外国人率が高く、ヨーロッパ、中東、ロシア、アジアと満遍なく揃っていました。
◆朝食
雲崗石窟(云冈石窟)
バスで雲崗石窟へ
今日は楽しみにしていた、大同最大の見どころである「雲崗石窟(云冈石窟)」を訪問します。南北朝時代、北魏により建立された石窟寺院で、中国三大石窟の1つです。大同古城から西に約15kmの位置にあります。
雲崗石窟は比較的近い場所にあるため、配車アプリのDiDi(滴滴)を利用してアクセスすることが可能ですが、時間に余裕があったので、バスで行ってみることにしました。大同市には地下鉄はないのですが、バスは多くの路線が市内全域に張り巡らされているようで、街中を歩いていても頻繁に見かけます。大同古城の中心部からだと直通のバスは無いため、38路バス⇒3路バスと乗り継いで移動します。どちらも10~20分間隔ぐらいで運行しているようなので、待ち時間も少なく済みそうです。
9時過ぎに旅館を出たのですが、かつて見たことがないような激しい雨が降り始めていました。空は真っ黒で横風も非常に強く、さすがに危険を感じる状況だったので一旦部屋に戻ります。天気予報を確認すると、この激しい雨は長く続かず、2時間後ぐらいには天候は改善しそうな感じでした。一昨日も同じような状況だったので、この後天候が改善することを期待して、9時半過ぎ、少し雨が弱まったのを確認してから外に出ました。旅館近くのバス停「華厳寺(华严寺)」に向かいます。一応屋根付きのバス停なので、雨宿りしながら38路バスを待ちます。道路は水浸しで、乗用車やバスが水しぶきを上げながら通り過ぎて行きます。通りを挟んだバス停の向かいは、華厳寺の入口になっているのですが、このような悪天候の中でも、次々と大型バスがやってきては団体のツアー客を降ろしている光景がありました。
◆38路バス
10分ぐらい待っていると38路バスがやって来ました。料金は2元(約42円)、QR決済はできないので現金で払いました。車内は混んでおり、ほとんどが地元のお客さんでした。
バスは西門(清遠門)の北側にある、車両用の出入口から出て、いくつかの大きな通りを走り、約10分で、古城から約4km西の位置にある、大通り「同泉路」にある「同泉路西环路口」というバス停で降車しました。私以外にも雲崗石窟に向かうお客さんがいたようで、何名かが一緒に降りました。次は、同じバス停から3路バスに乗ります。3路バスも10分ぐらい待っているとやって来ました。料金はこちらも2元(約42円)です。このバスは雲崗石窟(正確には雲崗(云冈))が終点なので、最後まで安心して乗ることができます。
バス停付近は比較的古い建物が密集しており、昔から開発が進んでいるエリアとなっているようでした。
◆バス停付近の景観
◆3路バス
ピークの時間帯や週末は、道路の混雑により時間が掛かるようですが、平日のこの時間帯だと、一部渋滞している箇所はありましたが、基本的にはスムーズで約30分で雲崗石窟南門前のバス停(雲崗)に到着しました。
雲崗石窟景区
雲崗石窟景区入口
■10:30 雲崗石窟景区到着
バスから降りた頃には雨は完全に止んでおり、朝の暴風雨が嘘だったかのように晴れ間も見えてきました。気温も少し上がってきて、観光するには丁度良いぐらいになりました。何にせよ土砂降りの中で見学する羽目にならなくてホッとしました。
雲崗石窟景区入口前の道路は、駐車場に入るための車両で混雑していましたが、バスは専用車線を通ることができるので、時間のロスがほとんどありませんでした。帰りの3路バスも、同じバス停から乗れば良いことを確認して景区に入ります。
◆バス停「雲崗(云冈)」付近の景観
景区南側の入口は「阙门 」といい、重厚な石造建築となっています。
◆雲崗石窟景区入口(阙门 )
雨上がりの遊歩道は、掃き清められた後のような清涼感があり、街路樹も瑞々しく生き生きとしていました。
◆入口近くの遊歩道
遊歩道を進むと、大きなツーリストセンターの建物が見えてきました。建物の中には、音声ガイドの貸出機やロッカー等の設備がありました。雲崗石窟のチケットは前日までの予約が必須とされていますが、当日枠を購入できる窓口もあるようです。例のごとく、WeChatからチケットの購入ができなかったため、Trip.comで購入しました。購入時はパスポートの情報が必要です。時間の区切りが設けられていたため、10~12時の枠を確保しておきました。rednote(小紅書)によると、朝一はツアーの団体客が一斉に入場することにより混雑するようなので、少し時間をずらして入場することが推奨されていました。料金は120元(約2,520円)です。
ツーリストセンターを抜けると「曇曜広場(昙曜广场)」があり、大きな入場ゲートが設けられています。私が訪問したタイミングでは空いていましたが、これだけ大きなゲートでも週末やピークの時間帯は長い行列ができるようです。外国人の場合、QRコードではなく、専用のレーンからパスポートを読み取ることで入場できました。
◆曇曜広場(昙曜广场)
ゲートを抜けた先は、石窟群へ通じる「礼仏大道」から始まります。観光客の多さは勿論ですが、とにかく外国人の姿が多いのが印象的でした。大同市は首都の北京からアクセスが良いこともあり、世界中から観光客が訪れているのが分かりました。
◆礼仏大道(礼佛大道)
大道の先には、菩提樹が植わっており、周囲を囲むように大きな円形レリーフが配置されています。「帝后礼仏図(帝后礼佛图)」といい、北魏の皇帝と皇后が石窟寺院を訪れ仏を拝む様子が描かれています。
◆帝后礼仏図(帝后礼佛图)
他の中国の観光名所と同様、雲崗石窟の敷地も非常に広大で、石窟のある場所に行くには、ここから1kmほど歩く必要があります。すぐ先には、電動カート乗り場があり、これを利用して歩く時間を節約することができます。料金は往復15元(約315円)です。私は石窟に行く途中の景観も見たかったので、散策がてら歩いて行きます。
◆観光マップ
◆電動カート乗り場
霊厳寺(灵岩寺)
次に見えてくるは美しいアーチ橋(九峰橋)で、橋の先にあるのが湖の小島に建っている「霊厳寺(灵岩寺)」です。雲崗石窟は、元は霊厳寺(灵岩寺)といい、石窟全体の総称となっていました。南北朝の時代は、北魏皇室の拝礼所として用いられ、仏教信仰の中心となっていました。現存する建物は、明清時代に再建されたものです。寺院は3つの院(中庭)からなり、「山門」のほかに、中央に「千仏殿(千佛殿)」、奥に「大雄宝殿」があります。
◆霊厳寺(灵岩寺)
◆山門
山門の中には樟木で彫られた3体の大仏が安置されています。中央は足を組んだ「弥勒菩薩座像」です。
◆山門の仏像
山門を抜けると第一の院となり、中央には5層の石塔である「五浮塔」が立っています。この時は、先を急いでいて見落としてしまったのですが、塔の四面にはそれぞれ12体の仏像が彫刻されていました。後から調べると大きな見どころだったようで、もう少し落ち着いてゆっくり見学しておくべきでした。
◆五浮塔
中庭の両脇には「配殿」が配置されています。
◆配殿
千仏殿には中央に主尊の仏像、左右にそれぞれ3体ずつの仏像が安置され、さらに両側の壁には800体を超える仏像が安置されています。
◆千仏殿(千佛殿)
◆千仏殿の仏像
一番奥(西)にあるのが、正殿である「大雄宝殿」となります。大雄宝殿にも仏像が安置されていますが、この時は中を見学することができませんでした。
◆大雄宝殿
寺院の四隅には、北魏時代の建築様式を踏襲した「角楼」が配置されています。
◆角楼
霊厳寺後方(西)にある石橋を渡ると、いよいよ石窟の見学が始まります。
◆霊厳寺後方にある石橋
雲崗石窟
雲崗石窟は、460年に沙門統の「曇曜(昙曜)」が北魏の第4代皇帝文成帝に上奏して、武周川河畔の断崖絶壁に5つの洞窟(「曇曜五窟」)を彫ったのが始まりです。曇曜五窟は第16~20窟に相当します。その後、武州山における大規模な洞窟彫刻と仏像造営が拡大し、仏教興隆の絶頂期を迎えます。
第1窟の手前には、「比丘尼昙媚造像碑文」の複製が置かれていました。1956年に、第20窟前の崩落岩層から出土したもので、原本は現在、雲崗博物館に所蔵されています。北魏の時代、503年に彫刻されたものとされており、平城(現在の大同古城)における尼僧の造像活動を記録したものとなっており、北魏時代の碑文の傑作であり、高い芸術性が評価されています。
◆比丘尼昙媚造像记碑文(複製)
第1窟から順番に見て行きます。一応、朝一のピークの時間帯は過ぎていると思うのですが、前方には相当数の観光客の姿がありました。ツアーの団体客が多く、中国語以外にも、英語やフランス語など各国の言語が飛び交っています。勿論、少数ですが日本語も聞こえてきます。
◆雲崗石窟
第1窟は通称「石鼓洞」と呼ばれ、洞の中央に石柱が立っているのが特徴です。
◆第1窟(石鼓洞、471~494年)
第2窟は、北壁の西端から小さな泉が湧き出ていることから、通称「寒泉洞」と呼ばれています。こちらの洞の中央にも石柱が立っています。
◆第2窟(寒泉洞)
第2窟~第3窟の間には、名前の付いていない小さい洞や彫刻がありました。
第3窟前は行列が出来ていました。第3窟は雲崗石窟の中でも最大規模で、全長50m、断崖の高さは25mです。外壁上部には細長い穴が見えますが、当時は前面に壮麗な木造建築が築かれていたことを示してます。
◆第3窟(外観)
洞窟の中はギュウギュウ詰めとなっており、なかなか前に進みません。洞の中にいる人間が、揃いも揃ってスマートフォンを掲げて仏像を撮影している様は、自分も含めなかなか滑稽な姿だと思います。第3窟(灵岩寺洞)は、当初は大規模な塔廟窟として計画されたものの、洛陽への遷都に伴い中断されてしまいました。第3窟の最大の見どころは後室にある三尊像です。中央の主尊が「阿弥陀仏」、両脇が「観音菩薩」と「大乗菩薩」です。素人目にも分かるのですが、この3つの仏像は他の仏像とは様式が異なり、北魏~唐の時代にかけて彫刻されたもののようですが、詳細な時期については現在も議論が続いています。
芸術的な価値は良く分かりませんが、穏やかな笑みをたたえる本尊の表情が大変魅力的で気に入りました。
◆第3窟(灵岩寺洞)
雲崗石窟の中でも最大の見どころが第5窟(大佛洞)と第6窟(释迦佛洞)です。第5窟と第6窟は一対の洞窟を形成してします。洞窟の正面には4層の木造楼閣が建っており、遠くからでもなかなか壮観な眺めです。ここは行列専用のレーンが設けられており、既に長い行列が出来ていました。まだ片方のレーンしか使っておらず、週末になるともう一方のレーンも埋まってしまうようです。一旦ここはパスして、少し時間が経ってから見に来るか思案しましたが、後方からも次々とやって来る観光客の姿を見て並ぶことにしました。並んでいる間、周囲からはガイドさんの話声が聞こえてくるので、耳をそばだてて盗み聞きしていました。約20分ぐらい並んで、ようやく中に入れるようになりました。
◆第5、6窟前の行列
第5~6窟は北魏の孝文帝(第6代皇帝)の時代、471~494年に完成したもので、石窟第2期における仏教芸術の最高峰を体現しています。北魏は鮮卑族が建てた所謂外来政権ですが、「孝文帝」と、孝文帝の嫡母である「馮太后」は漢化政策を推し進めたことで有名です。孝文帝は都を平城から洛陽への遷都を強行した人物、馮太后は孝文帝が幼い頃、摂政として政務を独裁し、均田制や三長制などの政策を実施して国を興隆させた「名君」として評価されている人物です。均田制は後に、随や唐の時代にも受け継がれ、古代の日本も取り入れています。
第5窟の中は非公開となっており、第6窟の方が公開されていました。主室はほぼ正方形で、中央には方形の塔柱があります。主室の4面、塔柱には隙間なく精緻を極めた彫刻が施されており、圧巻の光景でした。他の石窟に比べても、質量共にこの石窟は頭1つ抜けており、北魏が絶頂期だった時期に、このような素晴らしい石窟が建立されたのは決して偶然ではなく、国そのものの溢れんばかりの活力が仏教芸術に注ぎ込まれた結果なのだと感じました。
人山を掻き分けながら、反時計回りに見て行きます。
◆第6窟(主室正面)
◆第6窟(主室入口上部)
◆第6窟(主室東壁)
◆第6窟(主室東側)
◆第6窟(塔柱東面)
◆第6窟(主室北側)
◆第6窟(塔柱北面)
◆第6窟(主室西側)
◆第6窟(塔柱西面)
◆第6窟(主室入口付近)
一通り見てから外に出ましたが、行列はさらに長くなっていました。石窟の中ばかりが注目されますが、正面の木造楼閣も風情があって見ごたえがありました。
◆第5~6窟の木造楼閣
第3窟と第6窟で既に十分満足してしまったのですが、まだまだ続きます。
第7窟~9窟は公開されていませんでした。
第10窟(毗卢佛洞)も孝文帝の時代に彫られたもので、前室と主室から成ります。
◆第10窟(前室)
後室入口の上部には「須弥山(しゅみせん)」が彫られています。須弥山は古代インドの世界観の中で中心にそびえる神聖な山です。柱のように山々が連なり、その中には2頭の龍が絡まり、峰々の間を動物たちが駆け回っています。外側には阿修羅、手を合わせて祈る子供たちが描かれています。重層的で複雑なデザインを一切の無駄のない彫刻が施されている紛れもない傑作です。
◆第10窟(前室-須弥山彫刻)
主室には三尊像が彫刻されています。主尊は「弥勒菩薩像」、東西の壁に「菩薩像」が安置されています。
◆第10窟(主室)
◆第10窟(主室東壁)
◆第10窟(主室西壁)
◆第十窟(主室南壁)
第11窟は、第12窟と第13窟と共に1つのグループを形成しており、471~494年に建立されたものです。まず第11窟(接引佛洞)ですが、中央塔柱の四面にはそれぞれ立仏像が彫られ、「四方四仏」を構成しています。東壁には全文336文字からなる碑文《太和七年造像题记》があり、これは雲崗石窟最古で、石像を建立した歴史的背景が詳細に記述されており、歴史的資料として極めて高い価値があります。
◆第11窟(正面)
◆第11窟(東壁)
◆第11窟(西壁)
第12窟(离垢地菩薩洞)は「音楽窟」とも呼ばれ、前室と後室から成ります。
後室への入口上部を見ると、方形の窓の上には14体の宮廷楽士が並び、横笛、琴、琵琶などを奏でる姿が描かれています。北魏における宮廷音楽の様式が取り入れられており、古代音楽史を理解する上で大変貴重な資料となっています。
◆第12窟(前室北壁上部)
後室には3体の仏像が安置されていました。
◆第12窟(後室正面)
◆第12窟(後室南壁上部)
第13窟(文殊菩薩洞)には足を組んだ高さ13.5mの弥勒菩薩像が安置されていました。
◆第13窟(文殊菩薩洞)
周囲の壁面には見事な仏像が彫刻されていました。
◆第13窟(文殊菩薩洞壁面)
第14窟、第15窟は特に見どころは感じず、第16窟は修復作業中で非公開でした。
◆第14~16窟外観
冒頭でも紹介した通り、最初に開かれた石窟は「曇曜五窟」と呼ばれており、第16~20窟に相当します。文成帝は、この5つの石窟に、自身を含めて5人の歴代皇帝を模して主尊を造らせました。具体的には、第16窟は第4代文成帝、第17窟は景穆帝、以下、第3代太武帝、第2代明元帝、太祖道武帝となります。景穆帝に第何代と付いていないのは、即位前に亡くなっており、追尊された人物だからです。
第17窟は、ドーム型の天井を持つ洞窟で、中には巨大な「弥勒菩薩像」が安置されています。高さは15.6m、初期に建立された仏像なので、これまで見てきた彫刻に比べると簡素な造りになっています。
◆第17窟(弥勒三尊洞)
第18窟は、彫刻の構成が緻密に設計されています。中央の本尊は高さ15.5m、東壁と西壁には、互いに向かい合う脇侍が堂々と立ち、本尊と共に三仏配置を形成しています。本尊と脇侍の間には10大弟子が彫刻されており、これらは大きさはそれぞれ異なり、緻密な設計の下、対称的に配置されており、極めて神聖で厳粛な雰囲気を醸し出しています。
◆第18窟(立三佛洞)
第19窟(方生佛洞)は、3つの繋がった洞窟からなる独特な構造をしています。主尊(釈迦牟尼)は高さ16.8mで、雲崗石窟で2番目に大きな仏像です。東側と西側の小さな洞窟には1体の仏像と2体の菩薩像が彫られています。
◆第19窟(方生佛洞)
第20窟(白佛爷洞)は、雲崗石窟を代表する傑作であり、圧倒的な迫力と壮麗さを感じます。かつては洞窟の正面の壁と天井がありましたが、間もなくして崩落してしまいました。遼の時代には木製の庇が建てられましたが、これもにわかに火災にて焼失しました。主尊(釈迦牟尼)は13.7m、広い額、豊かな頬、切れ長の目、高い鼻、口髭を特徴としており、荘厳で穏やかな表情をたたえています。両脇には菩薩立像と立仏像が安置されていますが、西側については既に倒壊しています。
◆第20窟(白佛爷洞)
第20窟の西側にも石窟(西部窟群)は続くのですが、大きな見どころは特になく、ざっと見るに留めました。
◆西部窟群
帰りは、来たときとは別の遊歩道を使って戻りました。第20窟前の「蓮花大道」を南にしばらく歩くと、電動カート乗り場がありました。ここでも電動カートは使わず、周りの景観を見ながらひたすら東に向かって歩きました。石窟のある崖の南側は大きな公園として整備されており、その広大さを体で実感しました。
◆蓮花大道
◆遊歩道
最後に霊厳寺の南側を通って出口となります。景区入口に到着してから、ここまでで2時間半近く掛かっています。あまり予習もせずに観光したこともあり、質量共にここまで素晴らしい石窟だとは予想していませんでした。特に第6窟の精緻を極めた彫刻は、久しぶりに心躍るものがありました。
出口の先は、レストランやお土産屋さんが集まっているエリアとなっていましたが、目もくれず景区入口前のバス停に向かいます。
■12:50 バス停「雲崗」到着
バス停には大勢の観光客が集まっており、皆さん帰りのバスを待っているところでした。半数以上のお客さんは3路バスを待っていたようで、バスがやって来るとイナゴの群れのように乗車口に殺到する姿があり、良くも悪くも懐かしい中国の光景を見れたような気がします。当然ながら座ることはできませんでしたが、何とか乗車できたので良しとします。料金は行きと同じく2元(42円)です。
■13:10 バス停「公交四公司」到着
3路バスは行きと帰りでは若干ルートが異なるようで、帰りは「公交四公司」というバス停で降りる必要がありました。さらに、次の38路バスに乗るためには、200mほど北に歩いたところにある別のバス停「公交大修厂」に移動する必要があります。多くのお客さんが同じルートで利用していたため、後ろから付いて行けばよく、迷うことはありませんでした。10分ほど待っていると38路バスがやって来たので、これに乗車し約10分で旅館近くのバス停「華厳寺(华严寺)」に到着です。こちらも料金は2元(約42円)です。行く時は水浸しだった大通りですが、路面は完全に乾いていました。
老柴削面(钟楼店)
■13:40 大同古城到着
時刻は14時近くになっており、朝から持参して行ったミネラルウォーター以外は何も口にしていなかったので、さすがにお腹が減ってきました。できれば、一昨日から入店のチャンスを伺っていた刀削麺のお店「喜晋道面馆」でお昼にできれば良かったのですが、平日のこの時間でもお店の前には入店待ちのお客さんが大勢集まっているのを見て潔く諦めました。次善の策として、こちらも旅館の近くにある「老柴削面(鐘楼店)」というお店でお昼にしました。「老柴削面」は刀削麺のチェーン店で、大同古城を歩いていると、あちらこちらでお店(支店)があるのを目にしており、どのお店も繁盛していたので、1回ぐらいは利用したいと思っていました。
◆老柴削面(鐘楼店)外観
この時間帯なので店内は空いていましたが、私が入店した後も、断続的にポツポツとお客さんが入ってきます。
◆店内の様子
注文方法は、テーブルにあるQRコードを読み取って、起動したミニプログラムから注文、決済までを行う、中国ではお馴染みの方式です。刀削麺を中心にメニューは色々あったのですが、無難にオススメと書いてあった「面覇套餐」と書かれたセットメニューを注文しました。料金は29元(約610円)です。5分ほど待っていると、スタッフの男性が、注文番号ではなく何か別の言葉を言っているのが聞こえたので、カウンターに様子を見に行きます。何を言っているのかはよく分かりませんでしたが、私が注文した料理で合っているようなので持っていきます。
29元というのは、刀削麺としては若干高めの値段設定だと思ったのですが、お盆に乗っていた大きな器を見て納得しました。そして、目につくのが真ん中に乗っている巨大な肉の塊、脂身たっぷりのジューシーで柔らかい豚肉で、味も深く染み込んでいて食べ応えがありました。刀削麺は、太くてコシのある麺と、薄くて柔らかい麺の2種類が入っていました。スープは辛くてドギツイ見た目をしていますが、口にすると思った以上にあっさりしていて食べやすかったです。刀削麺に加えて、味が染み込んだゆで卵が付いてきました。麺、肉共にボリュームは十分で、お腹が減っていたので何とか完食はできましたが、この後しばらくは何も口にすることができませんでした。
◆面覇套餐
大同古城壁(大同古城墙)
旅館に戻った後は、しばらく休憩して、この後について思案を巡らせます。予定通り大同市郊外の観光は終えることができましたが、優先順位を低くしていた大同古城については、華厳寺と九龍壁ぐらいしかまともに見学していません。あとの見どころとしては、善化寺、文廟、純陽宮、代王府などが挙げられるのですが、どれもイマイチ気が乗らず、そういえばまだ城壁(大同古城壁)を近くから見学していなかったことに気づき、旅館から近場だったこともあり、最後の力を振り絞って行ってみました。
大同古城壁は明の太祖洪武帝の時代、遼、金、元の時代に築かれた古い城壁を基礎として、新たに城壁を拡張しました。周囲は約7.2km、高さ14m、城壁の外側には幅約10mの堀が40mに渡って設けられています。以前の投稿で言及した通り、大同古城壁は日中戦争により完全に破壊されてしまったので、現在は近年再建したものとなっています。
大同古城壁(大同古城墙)については資料によりまちまちですが、現時点四ヶ所から登上できることになっています。城壁の上は歩くことが可能ですが、無料と有料の区域に分かれています。
旅館から一番近い西門(清遠門)を見学しましたが、こちらは無料でした。大通りの「清遠街(清远街)」を約900m歩いて清遠門(清远门)に到着です。
◆清遠門(清远门)
内側から見て清遠門の右側(北側)に登上口がありました。一応、張り紙の内容に従って、入場するためのQRコードを入手したのですが、入場ゲートは開いたままとなっており、QRコードを使うこともなく入場できました。近くには警備を担当しているスタッフが1名いるのみで、閑散としていました。
地図の黄緑の部分が無料で開放されている区域となります。赤の有料区域は、16時過ぎになるとライトアップがされるようです。
◆大同古城壁観光マップ
城壁の上は幅が広く、綺麗に整備されていました。景観は、同じく明代に建造された南京で登上した中華門の城壁とどことなく似ていると感じました。
◆大同古城壁からの景観
清遠門は2重構造となっており、内側の城門から出ると、外側はコの字を左右逆にした形状で城壁で囲まれており、外側の城門と通路で繋がっていました。西門の外側は繁華街があるため、人出は多く、多くの地元の方々や観光客の姿で賑わっていました。
◆城門の外側
◆清遠門(外側)
◆城壁前の堀


























































































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