2025年9月14日(日) 9日目
旅館の朝食について
今朝は5時に起床、旅行の疲れが出て来たのか、昨日の寒さやら土砂降りが影響したのか分かりませんが、喉に若干違和感があります。今回の旅行も残りあと数日、これ以上体調が悪化しないことを祈ります。
7時半から1階のロビー近くの食堂のようなスペースにて、ビュッフェ形式の朝食を頂きました。中華料理がメインで、卵焼きやベーコンなどの定番メニューが並んでおり、主食は食パンのほか、蒸しパンや揚げパンなどがありました。手は付けませんでしたが、ご当地料理と思われる一品料理もありました。周りを見渡すと、外国人の宿泊客ばかりで、特に欧米からのお客さんが多い印象です。料理は食べやすいものばかりで、今日は野菜を多めに頂きました。
◆朝食
タクシーをチャーターして郊外を観光する
タクシーについて
今日はタクシーを一日チャーターして、大同郊外にある、懸空寺(悬空寺)、応県木塔(应县木塔)、雁門関(雁门关)を観光します。これらの観光名所はいずれも公共交通機関によるアクセスが難しく、タクシーをチャーターして観光するのが無難です。rednote(小紅書)で調べると、観光シャトルバス(大同景区直通车)で移動する方法が紹介されており、当初はこれを利用することも想定していたのですが、WeChatからの予約が必要となるため(一部予約はTrip.comでも可能)、断念せざるを得ませんでした。(以前の投稿で書いた通り、旅行初日からWeChatが使えなくなってしまいました。)
シャトルバスは、上記の3ヶ所以外にも、雲崗石窟、五代山などへも接続しており、タクシーに比べてリーズナブルに観光できます。デメリットとしては、待ち時間等による効率の悪さで、今回のような一日に上記の3ヶ所を回ることは物理的に不可能です。
タクシーのチャーターは、旅館にお願いして手配してもらいました。料金は、上記の3ヶ所を回って、高速道路料金込みで600元(約12,600円)です。ちなみに「携程旅行」だと、600~700元前後が相場なので、旅館を通すことによる安心感も得られることも加味すれば非常に良心的です。そもそも、他の都市ではこの料金ではチャーターできないので、山西省、特に大同の物価の安さも実感します。
8時にピックアップの予定で手配してもらいましたが、8時少し前にロビーに降りていくと、既にドライバーさんは待機していました。直前の手配になってしまったこともあり、評判の良いドライバーさんが来るのは諦めていたのですが、見るからに人柄の良さそうな男性だったので安心しました。こちらはWeChatが使えなかったので、何かあった時のために電話番号を交換しておきました。車は旅館からすぐ側、鐘楼のあるロータリー交差点の隅に停めてありました。この時間は、まだ交通量が少なく、人影もまばらです。
まずは、懸空寺に向かって移動します(約60km)。週末はどこも混雑するため、当初は明日(月曜日)にチャーターするつもりだったのですが、悪天候が予報されていため、仕方なく今日行くことにしました。3ヶ所の中でも懸空寺は特に混雑することで有名なので、この時点で寺院に登上して見学するのは諦めています。
ドライバーさんは、運転していない時は非常に温厚な方なんですが、運転自体はかなりアグレッシブで、ガンガンスピードを上げて、隙さえあればどんどん前の車を抜かしていきます。ゲームの画面を見ているようなスリルを味わえましたが、人によっては恐怖を感じるレベルです。
予報通り、今日は朝から雲一つない快晴で、日曜日ということを覗けば絶好の観光日和となりました。車窓からは、山西省特有の黄土高原の景観が遠くまで良く見えました。途中の道路は基本的に平地の上が多く、一部勾配のある場所もありましたが、思った以上に開けていました。
◆大同郊外の景観
懸空寺(悬空寺)
■9:30 恒山ツーリストセンター(恒山游客中心)到着
懸空寺に行くためには、まずは玄関口である「恒山ツーリストセンター(恒山游客中心)」から、専用のシャトルバスに乗る必要があります。こちらは懸空寺のほか、「恒山」などの景区への玄関口にもなっています。北岳恒山は、東岳泰山、西岳華山、南岳衡山、中岳嵩山と並ぶ五岳の1つです。
広大な駐車場は既に沢山の車両で埋まっていました。車を停めた後は、ドライバーさんがチケット売り場まで案内してくれて、チケット購入のサポートまでしてくれました。窓口には大勢のお客さんが並んでいたのですが、ドライバーさんはそれらを全て押しのけ、直接スタッフと話をつけてくれました。懸空寺には2種類のチケットがあり、まず懸空寺景区への入場料が15元(約315円)、そこから先にある懸空寺に登上するためのチケットが100元(約2,100円)です。懸空寺の入場数は制限があり、事前にWeChatで予約するか(中国人のみ)、当日枠を窓口に並んで購入するしかありません。朝7時から午前枠が、12時から午後枠が販売されるようです。勿論、今日の午前分は完売となっていました。ところが、現地のドライバーさん用に確保している枠があるようで、登上用の100元のチケットが入手できてしまいました。まあ、今日は最初から懸空寺に登上するつもりは無かったので必要なかったのですが、このように入手する手段があることが分かったのは収穫です。使わなければ返金できるようなので、一応有難く受け取っておきました。
◆恒山游客中心
◆チケット売り場
◆チケット
シャトルバスのチケットは、そこから先にいったところにある別の窓口で購入する必要がありました。こちらも、大勢のお客さんが並んでいる中、ドライバーさんが無理やり購入の手続きをしてくれました。こちらは20元(約420円)です。この一連のサポートおかげで30分以上は節約できたと思います。ここでドライバーさんとお別れしましたが、別れ際、今日懸空寺に登上するには3時間ぐらい掛かりそうなので、無理して入らない方が良いとアドバイスされました。勿論、そのつもりだったので了解しましたと答えます。
シャトルバス乗り場は大変混雑していましたが、バスはピストン輸送しており、次から次へと到着したので、すぐ乗車できました。バスに揺られること約10分で、懸空寺景区前の駐車場に到着です。
◆シャトルバスチケット
◆懸空寺景区前の駐車場
周囲は黄土高原特有の断崖絶壁の景観が広がります。黄土層は、北西の乾燥地帯から運ばれてきた微砂や粘土が堆積してできたもので、もろくて崩れやすいという特徴があります。よって、集中豪雨などにより浸食され、このような垂直の壁が形成されます。
◆遊歩道からの景観
川沿いに整備されている遊歩道を歩いて奥に向かいます。遊歩道沿いには屋台や小吃のお店が並んでいました。
◆懸空寺景区観光マップ
rednote(小紅書)に書いてあった通り、懸空寺景区に入らなくても、入場ゲート右側にある石橋(石桥)の上から、遠目ですが懸空寺を見ることができました。最初は、景区だけでも見学するつもりだったのですが、凄まじい観光客の数を目にして、入場する意欲も失せてしまいました。遠くからですが、断崖絶壁に佇む懸空寺の景観を直に眺めることができたので十分です。結局、しばしこの壮観な景観を眺めた後は、そそくさと来た道を引き返しました。rednote(小紅書)にも、私と同じように入場せずに遠くから撮影だけして戻った旅行者の記録が散見されています。
懸空寺(悬空寺)は、恒山金龍峡翠屏峰の断崖絶壁に位置し、北魏の時代、491年に創建され1500年以上の歴史があります。儒教、仏教、道教が融合した、中国で最も古い三教の寺院です。懸空寺の名前は元々は「玄空閣(玄空阁)」と呼ばれていたことに由来します。「玄」と「懸(悬)」は同音で、断崖にぶら下がる(「懸ける」の意味)ように建てられていることから現在の名前に改められました。建物全体は3つの部分、禅院(中庭)と南北の楼(建物)から構成されます。
◆懸空寺(悬空寺)の眺め
シャトルバスでツーリストセンターに戻った後は、チケット売り場で返金手続きをするつもりでしたが、既に午後枠の登上チケットを求めて並んでいる長蛇の列ができていました。この光景を見て、自力で払い戻しをする自信がなくなったので、一旦駐車場に戻ります。ドライバーさんは助手席のドアを開けて、その上に足を掛けて仮眠を取っているところでした。私が予想外に早く戻ってきたので驚いた様子でしたが、チケットの返金手続きができていないことが分かると、再度チケット売り場に連れ添ってくれました。チケット売り場の女性スタッフは、景区への入場すらしなかったことに驚いていましたが、無事返金手続きが完了しました。
応県木塔(应县木塔)
次に向かう「応県木塔(应县木塔)」は大同市お隣にある「朔州市応県(应县)」にあり、懸空寺から西に約45kmの位置にあります。
車は人口の少ない田舎道をひた走りました。昔の中国であれば、舗装されていなくてもおかしくないような辺鄙な場所でしたが、綺麗に舗装された道路でした。
出発後まもなく、正面に「北岳恒山」が見えました。
◆北岳恒山
信号はほぼ無く、ドライバーさんは快調に車を飛ばします。途中、近道のためか見渡す限りトウモロコシ畑の中にある道路を走りました。畑は遥か彼方まで続いており、中国の国土の広さを改めて実感します。
◆トウモロコシ畑
■11:30 応県木塔景区到着
応県木塔がある景区に行くためには、少し離れたところにある駐車場からシャトルバスで移動して来るのが正式な流れのようですが、さすがドライバーさん、景区西側にある大通り「迎宾街」の側道のようなスペースに停めてしまいました。非公式に認められている方法のようで、側道にはびっしりと乗用車が縦一列で並んでおり、停めるスペースを見つけるのに少し時間が掛かりました。この辺りは、大型バスの乗降ポイントにもなっており、多くの団体ツアー客の姿がありました。
この後、ドライバーさんの提案で、近くのお店で昼食にしました。大きな交差点付近にあった「塞北面道」という刀削麺のお店です。店内は結構お客さんが入っており賑やかな雰囲気でした。ドライバーさんは店員さんに直接注文していましたが、私はQRコードからミニプログラムを起動して、いつもの流れで注文しました。
◆塞北面道
◆店内の様子
刀削麺を中心に、サイドメニューやご飯ものなど、多くのメニューがあり、いずれもリーズナブルな料金設定でした。旅行も後半に入ってくると、食べ物に対する欲求も無くなってきて、このような早くて安く食べられるお店で十分なんですよね。
◆メニュー
こちらでは、定番と思われる「伝統豚肉麺(传统猪肉面)」を注文しました。小サイズだと料金はたったの7元(約150円)です。共有スペースにあるトウモロコシのスープや漬物などは自由に取ることができました。
注文してから数分ほどで料理が運ばれてきました。小サイズといっても、私的には十分なボリュームがあり、スタンダードな刀削麺でしたが、美味しかったです。油が沢山入っている見た目に反して、味自体はあっさりとしており辛さもなく食べやすかったです。食事中、ドライバーさんとは筆談や翻訳アプリを使って会話をしていたのですが、同い年であることが分かりました。先方は明らかに私を年下だと思っていたようなのでビックリしていました。この辺で1人でタクシーをチャーターするのは珍しいようで、私個人について興味があるのか、留学で中国に来ているのか、結婚しているのかなど個人的な質問もされました。最近の若い男女はそうでもないようですが、我々ぐらいの年代だと、中国では妻帯しているのが当たり前で、ドライバーさんにはもう20歳以上になるお子さんが1人いるんだそうです。
◆伝統豚肉麺(传统猪肉面)
ささっと昼食を終えた後は、景区の入口に向かいます。お店近くの交差点からは木塔が見えています。
◆交差点からの景観
景区南側の大通り「応元街(应元街)」は、歩行者天国となっており、レストランや食堂、お土産屋さんが軒を連ね、多くの観光客で賑わっていました。
◆応元街(应元街)
ドライバーさんがチケット売り場まで連れて行ってくれましたが、こちらではオンラインで購入するように言われました。窓口に掲示してあったQRコードを読み取ると、「携程旅行」のアプリが起動し、Alipayで決済が完了するとQRコードが入手できました。入場料は50元(約1,050円)です。携程旅行のアプリでチケットを購入したのは初めてでしたが、特に嵌るポイントもなくスムーズに決済まで終わりました。
牌楼をくぐると、木塔と南門が見えてきました。
◆牌楼
木塔の外観は、遠くからでも非常に迫力があり、雲一つない青空とのコントラストも抜群に良かったです。
◆応県木塔(应县木塔)
南門は出口専用となっており、入るときは南門左側にある入場ゲートからとなります。
◆南門(南门)
「応県木塔(应县木塔)」という名前は通称で、正式名は「仏宮寺釈迦塔(佛宫寺释迦塔)」といいます。遼の時代、1056年に仏宮寺境内に建造された木造の仏塔です。高さは67.31mに達し、現存する純木造建築物としては世界最高で最古の建築物となります。ピサの斜塔、エッフェル塔とともに世界三大塔として知られているそうです。ちなみに世界第2位は昨日見学した華厳寺(华严寺)にある、華厳宝塔(华严宝塔)となります。
外部からは5層に見えますが、実際は5層の顕層と4層の隠層から成る9層の塔です。直径は30.27m、総重量は7,400トン以上です。第1層の一部分の除き、塔本体はほぼ木造で作られ、部材は釘を一切使わない「ほぞ継ぎ」で結合されています。木塔の内外には52枚の扁額と6つの対聯が掛けられています。
◆応県木塔(应县木塔)(南側正面)
塔の内部は第1層のみ見学できました。塔内部には釈迦牟尼仏像(释迦佛造像)をはじめ34体の塑像が安置されています。
◆釈迦牟尼仏像(释迦佛造像)
◆壁画
釈迦牟尼仏像の周りをぐるっと回って北側から出ます。
◆応県木塔(应县木塔)(北側)
木塔の奥には大雄宝殿や地蔵殿などの建物がありましたが、あまり記憶に残っていません。
大雄宝殿は俗称「九間殿(九间殿)」と呼ばれ、五代十国の後晋の時代、応県木塔より約100年早く創建されました。典型的な皇族の建築物であり、後に2度の火災によって破壊され、清の時代に規模を縮小して再建されました。解説には明記されていませんでしたが、中に安置されていたのは、釈迦如来像と普賢菩薩、文殊菩薩だと思われます。ここ数日、いくつも寺院を見学してきたので、どこも同じような造りになっているのが分かってきました。
◆大雄宝殿
地蔵殿(地藏殿)は清の時代に建立されたもので、地蔵菩薩と、地蔵菩薩の弟子である道明菩薩と閔公菩薩(闵公菩薩)が安置されています。
◆地蔵殿(地藏殿)
最後に、今一度木塔を眺めながら外に出ました。悠久の歴史を感じる素晴らしい木塔でした。木塔については、懸空寺と雁門関のおまけ程度の位置づけで、とりあえず寄ってみるぐらいの気持ちでいたので、訪問する価値は十分あると感じました。
◆応県木塔(应县木塔)(東側)
雁門関(雁门关)
ドライバーさんと合流した後は、最後の訪問先である「雁門関(雁门关)」に向かいます。朔州市に隣接する「忻州市代県」にあり、応県木塔から約70km南西の位置にあります。大同からだと南に約120kmといったところです。
近道のためか、まずは地図アプリには道路名が表示されていない脇道をひたすら南下しました。道路の両側には広大な畑が広がり、時折古びた家屋がポツンポツンと点在していました。この辺りは開発の手が全く入っていないようで、昔からある中国の風景を感じることができました。ただし、道路自体は綺麗に舗装されています。信号1つないため、ドライバーさんは車を快調にかっ飛ばします。高速道路を走っているのと変わりませんでしたが、時折農作業用のトラクターが道路に出てきて急ブレーキがかかったりと危ない場面もありました。この辺りも思った以上に平野が続き、遠目には山々が連なる景観となっていました。雁門関近くの幹線道路に合流すると、まもなくして山の中の景観に変わります。勾配がきつくなると共に急カーブも増え、段々山中に入っていくのが実感できました。
◆車からの景観
■14:10 雁門関北門(后腰铺驿站)到着
応県木塔から約1時間半で雁門関の北門に到着です。雁門関は北門と南門がそれぞれ入口となっていますが、アクセスが良いのは北門です。高速鉄道駅の「雁門関駅」から出ているシャトルバスの行先もこちらとなります。北門と南門(前腰铺驿站)は6kmの距離がありますが、この2ヶ所を車で移動するには遠回りする必要があり50分前後かかるようです。よって、一般的には北門から入ってから、また北門に戻って来るルートで観光します。
駐車場はあまり広くなく、ほぼ満車でした。大同の観光シャトルバス(大同景区直通车)が止まっているのも見えました。
ツーリストセンターの中は、チケット売り場のほか、食堂やお土産屋さん、トイレ、ロッカーなどがありました。ドライバーさんが窓口まで一緒に来てくれ、チケット購入のサポートをしてもらえたのでスムーズに購入できました。雁門関の入場料が90元(約1,890円)、雁門関景区入口までのシャトルバスが10元(約210円)がセットになっているチケットでした。
◆ツーリストセンター(雁门关后腰铺游客服务中心)
ドライバーさんとひとまずお別れした後は、シャトルバス乗り場に行きます。バスが1台待機していましたが、大した行列はできておらず、すぐ乗車できました。席が埋まり次第バスは出発し、5分ほど勾配のある坂を上り、雁門関景区入口近くの駐車場に到着しました。
◆シャトルバス乗り場
バスから降りてすぐのところの「明月楼広場」には「名人壁」という大きな壁がありました。長さ63m、高さ28mの大きな壁には、戦国時代の李牧、前漢の高祖劉邦、衛青(卫青)、霍去病、李広(李广)といった前漢の名将や、王昭君、安史の乱を平定した郭子義など、雁門関と密接な関係を有している帝王、公主、将軍、文人等59名の姿が刻まれています。これらの名前を見るだけでも、雁門関が何度も歴史の表舞台に登場し、如何に重要な場所だったかが伺えます。
◆名人壁(历代名人壁)
関橋(关桥)を渡ると見えてくるのが「雁門寨・明月楼(雁门寨・明月楼)」です。地図によると、近くには明月湖があり、そこから川が橋の下を流れているようです。
明月楼は、明の時代に建設されました。レンガ製アーチ型の台座と入母屋造りの建物から構成されます。台座には3つの穴があり、中心の穴の上部には「雁门寨」の石額が嵌め込まれています。雄大な景観は、古代において雁門関北口の第一門でした。明月楼の先からは有料エリアとなっており、チケットのQRコードを読み取り機にかざして入ります。
◆明月楼
雁門関(雁门关)は山西省代県の中心部から北西20kmにある「勾注山」山腹に位置し、世界遺産である「万里の長城」の重要な一部分と形成しています。西周時代から数えると、雁門関では大小2000回余りの戦闘が発生しました。名人壁にもあった通り、歴史上多くの署名な人物が雁門関にて足跡・業績を残しており、雁門関が持つ歴史的意義は突出しています。中国ではA5級の観光地として登録されています。
雁門関景区は非常に広く、端から端まで見学すると3時間以上はかかると言われています。中間地点に当たる「天険門(天险门)」まで行き、周辺を見学してまた戻って来るのが一般的なルートとなります。勾配のある坂道や長城を登る必要があるため、この日のために、できるだけ腰を痛めないように注意してきました。
◆雁門関景区観光マップ
明月楼を抜けた先は、整備された関道が続き、関道沿いには食堂やお土産屋さんが並んでいました。宿泊施設と思われる施設もありました。有名チェーン店のお店もあり、以前見た写真と比べると、大分観光地化が進んでいるように見受けられました。歩いていると、いくつものお店で、みかんジュースのような飲み物を売っていたのが記憶に残っていたので、後で調べたところ、「沙棘汁(サジージュース)」と呼ばれる、山西省で自生する果実を絞ったものでした。ビタミンCが豊富で、ビタミンAやE、さらに果実としては珍しく油分も含むそうです。
◆関道(关道)
少し進むと、中央に階段、両脇に坂道のある分岐点がありました。どちらに進むか迷いましたが、ツアーの団体客が左の坂道を進んだため、私もこれに習います。中央の階段を登ると「辺貿街(边贸街)」と呼ばれるお土産屋さんなどが並ぶ通りがあります。また、このすぐ側には「豹突泉」と呼ばれる、水が湧き出る場所がありました。この近辺はかなり水が豊富だったようです。
◆分岐点
◆豹突泉
勾配は急になり、一歩一歩進むと「甕城(瓮城)」が見えてきます。甕城は通称「小北門(小北门)」と呼ばれ、明の時代に建設されました。石製の扁額には「雁門関(雁門关)」の三文字が書かれ、両側のレンガには「三边冲要无双地,九塞尊崇第一关」が傅山により刻まれています。意味としては「比類なき辺境の要衝にして、全ての関の中で最も尊敬される第一の関」といったところです。
◆甕城(瓮城)
門の先は「地利門」があり、門の手前は「関帝廟」の敷地となっていました。皆大好き三国志の英雄関羽を祀る廟です。山西省は特にそうですが、どこに行っても絶対ありますねw
◆関帝廟(关帝庙)
関帝廟を向かい合って「春秋樓」と書かれた扁額のある建物がありました。こちらの建物ついては資料がなく不明なままです。
◆春秋樓と書かれた扁額のある建物
関帝廟の敷地からは「辺貿街」が良く見えました。
◆辺貿街(边贸街)
関帝廟から地利門を見た景観です。明代の建物で、高さは11.5m、門洞の上には「埊利」の二文字があり、これは武則天(武则天)により題されたものです。地利門の上には「寧辺楼(宁边楼)」が建てられています。
◆地利門(地利门)(外側)
地利門の洞門をぐぐり、内側から見た景観となります。
◆地利門(地利门)(内側)
関道は、他の観光名所のように真っすぐ一本道ではなく、所々で直角に曲がったりするので、歩いているうちに方向感覚が無くなり、高低差もあって建物の位置関係など全体像が掴みにくく、都度地図を確認する必要がありました。
この先は分かれ道となっており、まずは目標にしていた天険門(天险门)の方に行ってみました。天険門は明代に建設された主城門であり、先ほど見た地利門と対になっています。高さ12.5m、門上部にある扁額の二文字「天险」は武則天の手によるものと説明がありましたが、良く見えませんでした。城門の上には「雁楼」が建てられてます。雁楼の上部には「中華第一関」と書かれた扁額があります。悠久の歴史を持つ雁門関は、歴史上数多の戦闘が行われ、戦略的に最も影響力が強かった関門だったことから、この名前が称されています。
◆天険門(天险门)
ここから先は、まだ南門までの長い関道が続きます。関道を進むのはここまでとし、天険門の脇にある石段を登り長城の上を散策します。
石段を登ると雁門を近くから見ることができました。天険門の上に建てられた雁楼は、明代に建てられ、古代においては兵士が監視するための施設でした。現在建物は雁門関建築博物館として利用されています。
◆雁楼
城壁の上を北側に向かって歩きます。遠くに見える塔(雁塔)を目指して、急峻な石段を一歩一歩登っていきます。
◆長城の上からの景観
振り返ると、素晴らしい長城の景観が広がります。ここから見ると、天険門と長城、その他の建物との位置関係が俯瞰で良く分かりました。雲一つない青空の下、遠くの方まで良く見えます。この雁門関を舞台に、数多の戦闘が実際に行われたのを想像すると胸が高まるものがありました。実際に戦闘した将軍や兵士の皆さんは死に物狂いだったとは思いますが。。。
◆長城や天険門
長城の北側はUの字を逆さにしたような形状をしており、天剣門と地利門から、それぞれ平行して伸びている長城の合流点になっています。その先端部分にあるのが「敵楼(敌楼)」です。最前線にある監視用の二階建ての建物で、2階には弓矢を放つための窓と狼煙設備があり、1階には兵士が出入りする券門と階段が設置されています。また、兵士たちの休憩所や武器庫としても使用されました。
◆敵楼(敌楼)
敵楼の2階に上がってみました。この辺りは大勢の観光客が集まっており、建物の中も混雑していました。2階の細い窓からは、雁門関北側の景観が良く見えました。電線以外には人工物は見当たらず、見渡す限り山々が連なっています。あの彼方から匈奴といった遊牧民族や異民族が押し寄せて来たわけです。
◆敵楼からの景観
北端まで登った後は、地利門側の長城を下ります。
◆長城の景観(敵楼付近)
途中、下の方から見えていた「雁塔」が目の前に見えてきました。
◆雁塔
地利門と長城、辺貿街などが良く見えます。
◆地利門と長城、辺貿街
さらに降りて行くと、雁塔のある敷地に入ることができました。雁塔は随代に建設され、清代末に破壊されましたが、2010年に再建されました。高さ21m、九層の密檐式塔煉瓦塔であり、景区を代表する建築となっています。
◆雁塔
雁塔前の広場からは、2本の長城が並行して伸びているのが良く分かります。
◆長城(雁塔から)
地利門側の長城も勾配がかなり急峻です。下りなので体力的には楽なんですが、一歩間違えると転倒しそうになります。返す返す、天気が良い時に来て正解でした。
◆長城
天剣門からグルっと半周して地利門の上まで来ました。先ほど見た、「寧辺楼(宁边楼)」が近くから見えます。地利門の上に建てられた寧辺楼は、別名は「六郎廟」とも言います。北宋時代の名将「楊六郎(杨六郎)」を記念して建設されました。楼の高さは12m、間口は5部屋、奥行四部屋で、周囲には回廊が設置されています。1937年に破壊されましたが、2010年に再建され、現在は古代兵器の歴史を展示する博物館となっています。
◆寧辺楼(宁边楼)
地利門(天険門)の南側にも長城は続いているのですが、十分満足しました。最後に、天険門の前にあった「鎮辺祠(镇边祠)」を見て戻ります。1506年に戦国時代の趙の国の名将「李牧」を記念して建てられました。当初「名武安君廟(名武安君廟庙)」、通称「李牧祠」と呼ばれていましたが、後に護国鎮辺寺(护国镇边寺)と改められました。1937年に日本軍に破壊された後、2009年に再建され、現在の名前に改称しました。
◆鎮辺祠(镇边祠)
近くの休憩場所では馬の試乗が行われていました。雁門関ならではの光景です。
◆休憩場所
この先の関道は下りとなり南門まで続きます。上から見ただけでもかなりの傾斜があるのが分かりました。南門近くには王昭君にまつわる「昭君出塞浮雕」という見どころがありますが、そこまで行くだけの体力も時間も無いため、今回は見送ります。
帰りは、辺貿街を通って戻りました。沢山のお店が並んでいましたが、観光客の姿はあまり無く、皆さん暇そうでした。途中、客寄せをしている女性にご当地のお菓子を無理やり試食させられましたが、あまり感銘を受ける味ではなかったため、適当にやり過ごして逃げました。
◆辺貿街(边贸街)
■15:30 后腰铺驿站到着
名人壁前の明月楼広場まで降りた後は、シャトルバスに乗車して北門(后腰铺驿站)に戻ります。雁門関の見学には、シャトルバスによる往復の移動時間も含め、約1時間半ぐらい掛かりました。
ドライバーさんと合流した後は、大同の旅館に戻るだけですが、ドライバーさんから2名のお客さんを乗せても良いか聞かれたので問題ないと答えます。詳しいことは分かりませんが、駐車場には知り合いのスタッフがいたようで、私が観光中に色々調整していたようです。誰か乗せた方がドライバーさんの稼ぎも増えますからね。少し待っていると、中国人の親子2名が乗車してきました。どちらも女性で、お母さんと思われる年配の女性が私が座っている後部座席の隣に座りました。一応、話しかけてみたのですが、私の中国語はさっぱり通じず、あまり話しかけて欲しくない雰囲気を醸し出していたので、以後、特にコミュニケーション取りませんでした。
雁門関からの帰り道は高速道路を使いました。車線は多くて非常に綺麗に整備された道路でした。約2時間で大同古城に到着、旅館から比較的近い場所で中国人親子がまず降りました。そこから、間もなくして旅館近くで私も降ろしてもらいました。今回のドライバーさんは大当たりで、若干運転はアグレッシブで怖かったものの、チケット購入のサポートなど、行き届いたサービスには感銘を受けました。予想通り、1日で、それも週末に3ヶ所回るのはタイトなスケジュールではありましたが、懸空寺の見学を簡略化することで何とかなりました。
料金はチップを加えて700元をAlipayで決済しました。本当はもっと払っても良かったのですが、最後に2人追加で乗車したこともあり、この程度で十分かなと判断しました。また、こんなに大きい金額を一度に決済したのは初めてだったので、通常のパスワード認証のほか、さらに1回追加の認証が必要でした。
夜の大同古城を散策する
旅館に戻った後は、しばらく休憩です。気になっていた明日の天気予報を確認すると、どうも朝から天候が不安定で、夜になっても改善しなさそうな状況でした。一日中観光して腰が重い状況ではありましたが、今晩がラストチャンスになりそうだったので、夜の大同古城を散策することにしました。旅館が古城のど真ん中あったおかげで外出する気分になりましが、仮に城外の旅館にしていたら潔く見送っていたと思います。
大同古城は観光地化が進んでおり、良くも悪くも非常に綺麗に整備されてしまっています。正直、平遥古城ほど心が惹かれるものがなく、ロータリー交差点の建物中心に簡単な散策に留めました。
旅館の隣には「清真大寺」という寺院があり、結局一度も訪問しなかったのですが、夜はひと際明るくライトアップされていました。
◆清真大寺
旅館のすぐ側にある、刀削麺の有名店「喜晋道面馆」は、夜になっても相変わらずの盛況ぶりで、入店できそうな隙が全くありません。
◆喜晋道面馆
昨日の昼間に見学した鐘楼(钟楼)、四牌楼、鼓楼を順番に回ります。夕食の時間帯なので、どこのレストランや食堂も混雑しており、如何にも有名店と思われる佇まいのお店は長い行列ができていました。
◆鐘楼(钟楼)
◆四牌楼
◆鼓楼
鼓楼の西にある「鼓楼西街」は大変賑わっていました。
◆鼓楼西街
途中、「純陽宮」という観光名所の前を通りました。
◆純陽宮
鼓楼西街の中ほど、一番人が集まっている辺りで、民族衣装を着た女性がパフォーマンスをしているところを見ることができました。
◆パフォーマンス

















































































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