中国河南省と山西省の史跡を巡る8 高速鉄道で大同へ、華厳寺、九龍壁

2025年9月13日(土) 8日目

高速鉄道で大同へ

今日は太原から山西省北部にある「大同」に移動します。省都の太原に次ぐ山西省第二の都市である大同は、古来より北方への要衝として機能し、多様な民族、文明の節点として発展してきました。特に南北朝時代は、北魏の都が置かれ、洛陽に遷都するまでの約100年間、政治、経済、文化の中心として栄えました。北魏の歴代皇帝は仏教を篤く信仰したことから(実は仏教を弾圧した皇帝もいます!)、仏教文化が花開き、雲崗石窟を始めとする多くの歴史的建造物が残っています。

7時少し前にホテルをチェックアウトしました。チェックインの時のスタッフがいないことを願いながら1階ロビーに向かいましたが、残念ながら件の女性がいました。。。 タイミングが悪いことに、別のお客さんの対応をしている最中で、それがなかなか終わる様子がなく、後ろの方で黙って見守っていたのですが、私の存在が気になったのか何か話しかけられました。一昨日と変わらず高圧的な話し方に辟易としましたが、とりあえずルームキーを渡してOKそうだったので退散しました。この旅行では、他のホテルでは親切なスタッフばかりだったので、この女性スタッフの大ハズレっぷりが際立っていました。ホテル自体は、大変コストパフォーマンスが良く、快適に過ごせたので不満はありません。

ホテル前の歩道を太原駅の方向に進むと、地下通路に続く緩やかな階段が見えてきます。

地下通路は太原駅や地下鉄駅、大通り反対側の歩道と接続しており、人だけでなく、車両が通れる道路もある大規模な構造物となっていました。通路は大きな荷物を持った人々で混雑しており、車やバイクがひっきりなしに行き交っていました。標識に従って地下通路を進み、階段を登ると太原駅前の広場に出ました。

太原駅には、高速鉄道と在来線が乗り入れており、中国国内の交通網において重要な役割を果たしています。入口は比較的空いており、パスポートチェックと荷物検査は短時間で完了しました。

◆太原駅

taiyuan zhan front

構内はいくつかの待合室に分かれていました。電光掲示板には「呼和浩特东」など、見慣れない駅名が表示されていたのが印象に残っています。呼和浩特东(フフホト)は、内モンゴル自治区の省都で、太原からだと3時間程度の距離にあります。

今回利用するD5364便は、太原駅が始発(8時発)で、途中の駅には停車せず「大同南駅」までノンストップで移動できます。大同南駅の次は終点の「阳高南」となり、2つの駅にしか停車しない便となります。

■7:45 改札開始

D5364便は直前まで空席があったので、列車内は空いていると思っていたのですが、改札には大勢のお客さんが並んでいました。車内も普通に満席となりました。内モンゴル自治区の方と思われる、一般的な中国の方とは異なった顔立ちのお客さんが多かったのも印象的です。

■8:00 太原駅出発

列車は予定通り出発、しばらくすると、建物が少なくなり黄土高原特有の景観が広がります。ただし、非常に濃い霧が出ており、遠くの方はほとんど見えませんでした。実は直前まで、途中にある「雁門関駅」で降りて、そこから「雁門関(雁门关)」を観光した後、大同に移動するプランを考えていたのですが、この天候だと見送って正解だったかもしれません。古来より、北方の異民族の南下に対する、中国側の防衛拠点として役割を担ってきた関所であり、歴史上幾多の激しい攻防戦が行われました。観光地としての見応えはともかく、歴史的に非常に重要な場所なので、チャンスがあれば訪問したいと考えていました。一応5A級観光地なんですが、アクセスがあまり良くない影響か、日本での知名度は低く、日本語の情報も乏しいのが実情です。雁門関については、当初下調べに苦労していたのですが、rednote(小紅書)の存在を知ってからは、アクセス方法など詳細な情報を手に入れることができました。中国人の観光客はかなり多いようで、アクセス方法も思ったほど難しくなく、雁門関駅からシャトルバスを利用すれば行けそうな感触でした。結局、天気などいくつか理由があって自力での訪問は見送り、明日タクシーをチャーターして観光する予定です。

■9:25 大同南駅到着

列車は予定通り大同南駅に到着しました。半分以上の乗客はここで降りました。今日から宿泊するホテル(旅館)は「大同古城」の中にあり、大同南駅から北西に約8kmの位置にあります。時間に余裕があったので、大同古城へは61路バスを利用して移動しました。バスは大同南駅に隣接するバスターミナルから出発しています。地図アプリで大同古城を目的地にして検索すると、バス停まで1km近く歩くルート(駅の外を歩くルート)が表示されますが、駅からバスターミナルへは地下通路が整備されているので、こちらを通って移動するのが効率的です。改札を出た後は左(西)に進み、地下に降りるエスカレーターがあるので、後は標識に従って移動するだけです。感覚的には500mほど歩いてから地上に上るとバスターミナルが見えました。61路のバス停(2番プラットフォーム)は分かりやすい位置にありました。心配していた天気ですが、丁度バス停に着いたタイミングで、強い雨が降り始めました。

61路バスは15~20分間隔で運行しているようです。一応、バスの到着時刻が表示される液晶モニターがあったのですが、あまり当てにならないようで、5分ぐらい遅れてバスがやって来ました。ここからが本番で、残念ながら大同ではAlipayのミニプログラムが利用できません。他の都市とは異なり、ミニプログラムの「大同电子公交卡」を有効化するには中国の身分証情報が必要となり、外国人である我々は有効化できません。大同を観光した日本人の皆さんが一様にAlipayが使えなかったと書いてあったので、今のところ有効化する手段はなさそうです。大同市でバスを利用するには、今のところ現金しか決済手段がなく、これが事前に分っていたので、太原市の地下鉄利用時に小銭を貯めておいたわけです。61路バスの料金は一律2元(約42円)です。なお、61路以外には、608路バス(快速)でも大同古城に行くことは可能です。

◆大同バスターミナル-2番プラットフォーム

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61路バスは、バスターミナルから大同古城を通って、古城西にある「魏都大道迎泽街口」が終点となります。

◆61路バス

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車内は、観光客と地元のお客さんが半々といったところです。バスターミナルから出ると、外は土砂降りで、激しい横風が吹きつけてきます。バスから降りてもこの雨が弱まっていなかったらどうしようかと不安になります。大同市は300万人に近い人口がある都会なので、大同南駅周辺は発展しており、高層ビルやマンションが立ち並んでいます。他の都市と同様に、道路は車線が多く整然としており、大規模な都市計画に従って開発が進んだように見受けられました。途中、「御河」と呼ばれる大きな河川を渡って間もなくすると、大同古城が見えてきました。古城の外にあるホテルを利用するお客さんも多いようで、古城に入るまでに大半の乗客が降りました。

大同古城はかつて「平城」と呼ばれ、古城に関する最古の文献は、前漢の高祖「劉邦」の治世まで遡ります。高祖劉邦は、北方の遊牧民族「匈奴」に対抗するため、平城に大規模な都市を築きました。南北朝時代になると、北魏の初代皇帝拓跋珪(道武帝)は平城を都に定め、以後洛陽に遷都するまで政治、経済、文化の中心として発展しました。拓跋氏というのは鮮卑の氏族で、北魏は漢民族以外によって建てられた王朝となります。契丹族が支配した遼の時代、女真族による金の時代には、大同は「西京」と呼ばれ、重要な都市の1つとしてあり続けました。このように、山西省、特に大同は歴史的に北方民族による影響が強かった地域であり、専ら漢民族により発展した江南の都市にはない多様性があります。多様性と書けば良いことのように聞こえますが、この地域を舞台にした歴史ドラマや小説を読んでいると、大同や太原といった山西省の都市名がしばしば登場するのですが、四六時中戦火に巻き込まれている印象があり、いたたまれない気持ちになったことが何度もあります。このように、大同古城の歴史は興味深いのですが、古城自体は日中戦争のときに破壊されてしまい、現在の古城は近年に再建されたものです。観光地化がかなり進んでいる印象で、平遥古城のように悠久の歴史を感じ取るのは難しいというのが正直なところです。

古城に入った後は、古城の真ん中を南北に走る大通り「永秦街」を北に進み、いくつかバス停を経てホテル近くのバス停「鼓楼」で降りました。バスターミナルからここまで約40分ぐらいです。碁盤の目のように整備された通りには、伝統様式の建築物が並んでおり景観が統一されていました。

バス停近くの交差点の中央には「鼓楼」が立っていました。明の時代に建てたのが最初で、後に再建や補修が行われたようです。私が今立っている永秦街や、東西の大通り「清遠街(清远街)」にはロータリー交差点が何ヶ所かあり、中央には楼閣などが建っているのも見どころの1つです。

◆鼓楼

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バス停から数分歩いて旅館に到着しました。

琵琶老店中国式旅館(大同古城牆華嚴寺)

■10:40 ホテル到着

今日から3泊お世話になるのが「琵琶老店中国式旅館(大同古城牆華嚴寺)」です。中国語名は「琵琶老店客棧(大同古城牆華嚴寺店)」です。

◆ホテル外観

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大同古城の中心部にあり、「華厳寺」や「九龍壁」などの観光名所が徒歩圏内にあります。レストランや食堂、小吃のお店も多く、有名な刀削麺のお店「喜晋道麺館(喜晋道面馆)」がすぐ側にありました。英語が通じるという口コミ評価が多い影響か、外国人の宿泊客が多いのもこのホテルの特徴です。

◆1階ロビー

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詳細は後述しますが、こちらの旅館は中国四大美人の1人「王昭君」が宿泊したことで有名です。

◆王昭君の像

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チェックインの時間にはまだ早すぎたので、荷物を預けるつもりだったのですが、空いている部屋があったようでチェックインさせてもらえました。英語に堪能な女性スタッフがいたこともあり、スムーズにやり取りができました。また、このタイミングで明日利用するタクシーのチャーターの手配もお願いしました。詳細は次の投稿で触れますが、相場通りの良心的な料金でチャーターすることができました。

今回予約したのは一番安かったツインルームで、3泊朝食付きの料金が約18,500円でした。平遥古城や太原で利用したホテルに比べると若干割高です。大同では郊外の観光名所を回るのが主たる目的であり、大同古城自体の観光はメインではなかったので、古城の外にある安いホテルにしても良かったのですが、旅行も後半に入ると疲れが出てくるのが分っていたので、できるだけ歩く必要のない中心部のホテルにしました。結果的に、歴史的にも由緒のある良い旅館だったので満足しています。

部屋は非常に広く、統一感のある木造ベースの内装は落ち着きがありました。デスクは広く、作業するには十分なスペースが設けられていました。アメニティは充実しており、大同の観光ガイドなどの書籍も置いてありました。設備については、湯沸かしポットがあり、冷蔵庫はありませんでした。

◆ツインルーム

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◆デスク周り

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バスルームも広くて清潔でした。シャワーの根元には水温計まで付いているという、細かい所にこだわりが伺えました。また、トイレにウォシュレットが付いていたのは地味に嬉しいポイントです。中国のホテルでも大分見かけるようになってきました。

◆バスルーム

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この旅館は2000年以上の歴史を誇り、歴史的に有名な「昭君出塞」という逸話により名声を得ました。昭君出塞とは、前漢の時代、中国四大美人の1人「王昭君」が、匈奴との融和政策のため、単于の呼韓邪に嫁いだ出来事を指します。(遊牧民族の君主の称号を「単于」といいます。)

匈奴に嫁ぐことになった王昭君は、平城を通過した際、韓姓の男が営む「東勝店(东胜店)」という名前の客栈(宿)に宿泊しました。王昭君は最後に泊まった漢の宿で、琵琶を演奏し、祖国に別れを告げました。彼女が奏でる琵琶の音は、嘆きと悲しみに満ちており、多くの人々の心に深く響いたそうです。宿の主人は、この平和の使者を偲んで、店名を「琵琶老店」と改めました。以来、この宿には多くの署名人や詩人が訪れ、名作の数々を残しました。

文明から遠く離れた夷狄の地に1人嫁いだ王昭君は、夫の呼韓邪単于が亡くなると、次に即位した息子の妻となります。これは「レビレート婚」といって、匈奴などの遊牧民社会特有の慣習なんですが、漢民族は勿論、日本人の我々にもなかなか理解できないこともあって、この辺りのエピソードも彼女が悲劇のヒロインとして後世に名を残した理由になっていると思います。

◆ホテルの紹介文

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旅館の共有スペースはちょっと博物館のようになっていて、様々な展示物が陳列されていました。

◆旅館内の展示品

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華厳寺(华严寺)

午前中はこのまま旅館の中で過ごし、12時少し前に観光に出かけました。明日は郊外の観光名所3ヶ所を回る若干ハードなスケジュールを組んだので、今日はあまり無理をせず、近場の観光で済ませます。大同に到着した時は肌寒かったのですが、この時間になると天気は良くなり気温も大分上がってきました。大同特有の気候なんでしょうか、1日の中でも天気や気温の変化が激しく、晴れて暑くなったかと思うと、突発的に激しい雨が降ってきたりと、なかなか油断ができません。

まずは、旅館のすぐ近くにある「華厳寺(华严寺)」に向かいます。東西に走る大通り「清遠街(清远街)」を少し西に歩くと牌楼があり、これをくぐると「華厳広場」と呼ばれる大きな広場が見えてきました。

■11:45 華厳寺到着

◆華厳広場前の牌楼

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◆華厳広場(华严广场)

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牌楼を抜けたところにチケット売り場がありました。料金は50元(約1,050円)で、購入の際パスポートを提出する必要がありました。

◆チケット

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山門の右にある入口から入ります。

◆山門 

huayanguangchang shanmen front

華厳寺(华严寺)は遼の時代、1038年に創建されました。一般的に、中国の寺院は南向きですが、華厳寺は東向きに建っています。これは、契丹族(遼人)が持つ太陽崇拝の風習に由来します。建物は2つの主軸に沿って配置されており、北軸に沿って、東から山門、普光明殿、清代小院、大雄宝殿、千手観音堂が並び、南軸には山門の出口、盤池、観音堂、薄伽教藏殿、華厳宝塔、僧侶の宿舎があります。北側は「上華厳寺」、南側は「下華厳寺」とも呼ばれます。

◆華厳寺景区平面図

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「普光明殿」は、毘盧遮那仏の音訳「光明普照」に由来し、これは「宇宙を照らす仏陀の光」という意味を持ちます。内部には、中央に「毘盧遮那仏(毗卢遮那佛)」、左に「文殊菩薩(菩萨)」、右に「普賢菩薩(菩萨)」の華厳経三聖像(华严三圣像)が安置されています。

◆普光明殿

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◆毘盧遮那仏(毗卢遮那佛)像

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◆文殊菩薩(菩萨)像

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◆普賢菩薩(菩萨)像

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周囲には見事な壁画が描かれていましたが、こちらは「《善财童子五十三参》」という物語を描いているそうです。周りには漢服に身を包んだ若い女性が何人もいて、各々写真撮影に没頭していました。

◆壁画

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普光明殿の奥には「清代小院」と呼ばれる院があり、両脇に「普賢閣」、「文殊閣」があります。清代小院は、恐らく清代に再建された院(中庭)に由来した呼び方だと思います。

◆清代小院

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入口を入ったところに見事な彩色塑像が2体安置されていました。こちらは解説が無く、名前なども不明ですが、山門を守護する金剛力士像だと思われます。

◆彩色塑像

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院内の建物には木製の仏像が安置されていました。

◆仏像

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上華厳寺の正殿が「大雄宝殿」です。遼の時代、1062年に創建され、1122年に焼失した後、1140年に再建されました。中国に現存する最大の木造宗教建築物です。また、屋根にある一対の龍の形状をした装飾は4.5mの高さがあり、これは中国の初期建築における最大級の屋根飾りです。

◆大雄宝殿

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殿内には、明代の傑作である五仏像が安置されています。

◆五仏像(五方佛)

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一番奥にある千手観音堂には、説明書きが無かったので確実なことは言えませんが、「千手観音菩薩像」と思われる金色の像が安置されていました。この辺りは、あまり観光客の姿がなく、閑散としていました。

◆千手観音菩薩像

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下華厳寺の方に向かう途中、普賢閣を見て行きます。文殊閣については、見逃してしまいました。

◆普賢閣(普贤阁)

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普賢閣には、6本の牙を持つ白象に座る「普賢菩薩」が安置されています。白象は、無比の力、不屈の精神、そして恐れを知らない精神を象徴しています。

◆白象と普賢菩薩(普贤菩萨)

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下華厳寺については奥の方から順番に見て行きました。一番奥の「僧侶の宿舎」は、名前の通り現在も使われている僧侶の宿泊施設で、特に見どころはありませんでした。

華厳宝塔(华严宝塔)は、遼から金の時代に建てられた、中国で2番目に高い木造塔です。高さは43.5mの7層構造です。外からは5層が見え、地下宮殿と天宮を合わせると7層となります。

参考まで、一位は67.31mの「応県木塔(应县木塔)」です。こちらは大同市のお隣「朔州市応県(应县)」にあり、明日見学の予定です。塔は部材に釘を使わない「ほぞ継ぎ」で結合されている木造塔です。

◆華厳宝塔(华严宝塔)

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塔の中に入る際は、靴カバーを付ける必要がありました。

まずは階段を下りて地下に進みます。純銅製の地下宮殿には、舎利(高僧の遺骨)と千体を超える仏像が安置されていました。

◆地下宮殿

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1階に戻った後は、順路に従って上の階段を登ります。上の層に行くに従って、階段の勾配は急になり、子供やご高齢のお客さんが上るのに苦労していました。また、各層の中央には仏像が安置されていました。

◆仏像

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◆最上層からの景観

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下華厳寺の正殿は「薄伽教藏殿」です。1038年に建立されました。

◆薄伽教藏殿

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薄伽教藏殿には31体の彩色菩薩像が安置されています。「東洋のヴィーナス」と呼ばれる有名な塑像があったようですが、この時は認識していません。後から写真を確認したところ、たまたま撮影できていました。下記2番目の写真(横長)の右側で手を合わせている像らしいです。

◆彩色菩薩像

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薄伽教藏殿の東側にある建物については、特に見応えがなく、あまり記憶に残っていません。

九龍壁(九龙壁)

今日はもう1ヶ所、こちらも旅館の近くにある「九龍壁(九龙壁)」を観光します。華厳寺から東に約700m、清遠街(清远街)から和陽街(和阳街)に入ってすぐの場所にあります。途中、ロータリー交差点の中央には「鐘楼(钟楼)」、「四牌楼」といった建物がありました。鼓楼と同じく、明代に建てられのが最初になるそうです。

◆鐘楼(钟楼)

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◆四牌楼

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■13:00 九龍壁到着

和陽街を挟んだ向かいには、観光名所の「代王府」が見えました。浅葱色?の屋根瓦が美しいですよね。

◆代王府

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九龍壁は無料で入場できると思っていたのですが、ゲート前にいたスタッフにパスポートを見せたところ、チケット窓口に行って下さいと指示されました。どうやら、最近の7月15日から料金の徴収を再開したようで、パスポートの提示だけでは入れなくなりました。その影響でしょうか、九龍壁は敷地の外からも見えるので、歩道から柵を覗いて撮影している観光客の姿もありました。

◆入口

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有料になったと言っても、料金は10元(約210円)で済みました。

◆チケット

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九龍壁は、明の太祖洪武帝の時代、1392年に太祖の13番目の息子「朱桂」の邸宅前に建立された影壁(照壁)です。600年以上の歴史を誇ります。中国に現存する九龍壁は3つあり、大同のほかには北京の故宮博物館と北海公園にあります。先ほど見た「代王府」が朱桂の邸宅となります。歴史上、山西省に「代」という国号を持つ国が存在したことがあり、「代」という王号はこれに由来していると思います。

龍壁全体の長さは45.5m、高さ8m、厚さは2mで、壁座、壁体、壁頂の3つから構成されます。壁座は須弥壇で、束腰の部分に獅子、虎、象、唐獅子、麒麟、天馬等の動物が彫られています。正面の壁には雲海に聳え立つ九頭の巨大な龍が彫刻されており、壁全体は黄、緑、白、朱、紫、藍色の彩色琉璃瓦426枚が敷き詰められています。壁頂は木造建築を模倣した寄棟屋根となっており、主棟には龍や蓮華などの彫刻が施されています。

◆九龍壁

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日が暮れるまでは、まだ時間があったのですが、今日の観光はこれで終わりとします。事前の想定では、「代王府」や「善化寺」なども回る予定だったのですが、華厳寺と九龍壁で満足してしまいました。旅館に戻る途中、美味しそうなパン屋さんがあったので、いくつか購入してお昼代わりとしました。「超友财老面包」という名前のお店で、パン以外にも手作りのお菓子などを販売していました。

◆超友财老面包

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チョコとジャム、あともう1つは何か忘れてしまいましたが、甘いペースト状のものが入った菓子パンを購入しました。料金は3つで約30元(約630円)と、若干割高ですが、1つ1つのボリュームは十分あったので満足しています。モチモチとした食感と程よい甘さで、少し中華に飽きていたこともあり、大変美味しく頂けました。

◆菓子パン

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旅館のすぐ側には「喜晋道麺館(喜晋道面馆)」という刀削麺のお店があるのですが、地元でも有名なお店らしくて、いつ行っても混雑しており、何十人も待っているお客さんがいました。一回ぐらいは入るチャンスがあると思ったのですが、縁が無かったようで入店することなく終わりました。

◆喜晋道面馆

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