2025年9月8日(月) 3日目
ホテルの朝食について
今朝は5時過ぎには目が覚めてしまったので、今日のスケジュールを考えたり、チェックアウトの準備をしていました。7時過ぎ、確か最上階にあったと記憶しているのですが、朝食会場に向かいました。朝食会場は広くてテーブルも多く、一度に大人数が利用しても問題なさそうです。先客はまだ2名ほどで、空いていました。こちらでは、ビュッフェ形式の朝食が提供されていますが、メニューは多く、中華を基本に、目玉焼きやベーコンなどの定番メニューもありました。特に、サラダや野菜炒めなど、ヘルシーなメニューが多かった印象です。さらに、河南省の名物である「道口烧鸡」や「扁粉菜」といった料理もありました。安陽に来てからは、まだ地元の料理を口にしていなかったので、丁度良かったです。
道口烧鸡は、清の時代1661年に起源を持ち、張丙という料理人が開いた道口鎮の「義興張」が発祥の店とされています。「道口鎮」は安陽市にある地名です。350年以上の歴史があり、当初は人気がなかったものの、宮廷料理として見出され、西太后の目に止まったことで一躍有名になったそうです。金色の色合いと香りの良さ、肉の柔らかさと骨からの分離のし易さが特徴です。
料理を見た時はアヒルの肉だと思ったのですが、私の好物でもある鶏肉で、クセも無くて食べやすく、美味しく頂きました。
◆道口烧鸡
もう一つは「扁粉菜」というスープで、サツマイモの春雨に野菜、豆腐、豚の血を入れて煮込んだものです。こちらのスープはクセがありましたが、独特の風味と美味しさがあり、南京で食べた「鴨血粉絲湯」を思い出しました。野菜が多く入っていたのも良かったです。
◆扁粉菜
その他、蒸しパンや炒飯を主食として、おかずは野菜を多めにし、いずれも美味しく頂くことができました。
◆朝食
部屋に戻った後は、アメニティのドリップコーヒーを頂きました。ホテルオリジナルの製品のようで、お洒落なパッケージにはホテル名などが印刷されていました。湯沸かしポットの口先が、お湯を注ぎ易い形状となっており、細かいこだわりが見られます。コーヒー自体はオーソドックスなものでしたが、変にクセも無く、飲みやすかったので満足です。
今回のホテルは、便利な立地、高級ホテルのようなお洒落な部屋、こだわりのあるアメニティ、美味しい朝食やコーヒーといずれの点も申し分なく、快適に過ごすことができました。コストパフォーマンスが非常に高いホテルでオススメです。
◆湯沸かしポットとドリップコーヒー
殷墟宮殿宗廟遺址
■7:40 チェックアウト
昨日までの暑さがひと段落し、予報によると今日の最高気温は30℃を超えることは無さそうで一安心です。今日は楽しみにしていた「殷墟」を観光します。殷墟に関連する主な施設は、「殷墟博物館」、「殷墟宮殿宗廟遺址」、「殷墟王陵遺址」の3つがあります。これらは安陽市北西部の殷都区に位置し、まとめて見学するのがオススメされています。
今日はこれらを見学した後、14:18発の高鉄で平遥古城に移動するため、時間に余裕がありません。チェックアウト直前まで、見学する順番や、荷物をホテルに預けるかどうかなど迷っていたのですが、まずは8時から入場可能な殷墟宮殿宗廟遺址に向かうことにしました。またホテルに戻るのも嫌だったので、荷物は預けず、現地で何とかする方針としました。こういうことも想定して、今回は荷物を大きめのリュックサック1つに収まるようにしてきました。
移動には昨日からお世話になっているDiDi(滴滴)を利用しました。昨日の反省を踏まえ、乗車したタイミングで携帯の番号末尾4桁を伝えました。今回はドライバーさんからは特に何も聞かれず、何事もなく出発しました。ホテルから殷墟宮殿宗廟遺址までは約7kmの距離があり、途中、中心部近くを通る必要があるのですが、朝の通勤ラッシュにより道路は渋滞が発生していました。電動バイクや幌を被った屋根付きの2輪車で移動している人が多く、東南アジアで見たような光景に近いものがありました。約25分で殷墟宮殿宗廟遺址前の駐車スペースに到着です。料金は約16元(約340円)でした。
■8:20 殷墟宮殿宗廟遺址到着
先ほど紹介した3つの施設の位置関係は写真の通りです。洹河(安陽河)を挟んで殷墟宮殿宗廟遺址と殷墟博物館が向かいあっており、少し離れた場所に殷墟王陵遺址があります。詳細は後述しますが、これらの施設間を移動するシャトルバスやカートが運行しています。
◆殷墟景区地図
洹河(安陽河)南岸にある殷墟宮殿宗廟遺址は、殷(商)王朝の政治的中心地だった場所であり、宮殿や宗廟など80以上の遺構が発掘され、多数の甲骨や青銅器、玉器が発見されました。殷王朝は紀元前16世紀ごろに成立し、紀元前11世紀ごろまで続きます。殷王朝の後期、第19代の盤庚(ばんこう)の時につくられた都が殷墟となります。
中国の歴史に関する本を読むと、冒頭部分には必ず殷墟の話から始まるんですよね。長い間興味があった場所だったこともあり、実際に訪問できたことで自然とテンションが上がってきます。
◆殷墟宮殿宗廟遺址入口
◆殷墟宮殿宗廟遺址石碑
時間の節約のため、入場チケットはTrip.comで事前に購入しておきました。3つの施設に全て入場可能な共通チケットで、料金は120元(約2,500円)でした。WeChatからチケットが購入できなくなってしまったので、今回初めてTrip.comから購入したのですが、未使用の場合は後からでも払い戻しができるので、思った以上に使い勝手が良いのを実感しました。ただし、施設によってはTrip.comでチケットを購入できないケースがあり、これだけで全施設をカバーすることはできません。
この時間帯は、まだ観光客はほとんどおらず、掃除をしているスタッフの姿が目立ちます。入口のゲートでは、読み取り機にQRコードをかざして入場です。サービスセンターで荷物を預ける想定でいたのですが、まだ朝の段階で元気があったのと、手続き等で時間を喰うのも嫌だったので、そのまま見学を開始します。
入口を抜けると、目の前は広大な広場となっていて、真ん中には石畳の通路が真っすぐ伸びています。
◆宮殿跡地
通路の中ほどに「甲骨文発祥地」と彫られた石碑がありました。土台には英語で「漢字の揺籃の地」と刻まれています。
◆甲骨文発祥地
石碑の先には、入口にもあった赤い門があります。これは甲骨に書かれた「門」という象形文字からヒントを得て作ったそうです。
◆大門
門の後ろには大きな鼎が置かれており、これは出土したものの中で、世界最重量の鼎となります。残念ながら、こちらは複製で本物は中国国家博物館に収蔵されています。当初、司母戊鼎と呼ばれていましたが、のちに「後后母戊鼎(后母戊鼎)」と改名されたようです。
◆後母戊鼎
鼎の向こうある大きな建物を横目に見つつ、東側の通路を奥に進みます。「甲骨碑林」と呼ばれる、甲骨文を刻んだ石碑が並んでいます。
◆甲骨碑林
さらに奥に進むと「殷代車馬坑展示庁」の建物が見えてきました。
◆殷代車馬坑展示庁(殷代车马坑展庁)
こちらの建物には6つの馬車坑と、復元した道路の遺構が展示されています。これらは、別々の場所で発見されたもので、一ヶ所に集めて展示しています。大変保存状態が良く、学術研究において大変値のある遺構となっています。各坑には馬車が一台、5つの坑にはぞれぞれ馬が2頭、4つの坑にはそれぞれ1人が埋葬されています。鑑定の結果、ほとんどは成人男性ですが、少年の男子も1人いました。殷代の馬車坑から実物の馬車が出土したことで、古代における畜車の文明レベルが分かると同時に、奴隷社会における残酷な殉死制度が反映されているのが確認できます。
◆車馬坑と道路の遺構
敷地の最北部には、宮殿や居住施設などの建物の跡(基石)が15ヶ所残っています。平面形状は長方形が多数ですが、中には凹型や円形ものもあります。
写真は甲四基址のものです。それぞれの基址は、甲や乙、丙の後ろに漢数字が入った名前が付けられています。甲や乙といった文字は、グループAとかBといった意味があります。
◆甲組基址(甲四基址)
最奥の基址を見学しながら、西側にある通路から戻ってくると、通路と平行して「甲骨碑廊」が設けられていました。非常に長い廊下の壁に、多数の甲骨とその訳文が並んでいます。大変見応えがあるのですが、1つ1つ真面目に見ていると時間がいくらあっても足りません。
◆甲骨碑廊
殷(商)王朝は、祭政一致の王朝であり、王様の重要な仕事は祭祀と卜占(占い)でした。占いの手段として用いられたのが甲骨や青銅器で、甲骨に刻まれた象形文字(甲骨文字)が後に漢字へと形を変えていきます。
◆甲骨と訳文
回廊の最南端まで行くと、今度は直角に曲がって回廊が西側に続き、「甲骨文字書道展(甲骨文写意书法展)」という題目で、甲骨文字が解説文付きで一文字ずつ並んでいます。
◆甲骨文写意书法展
甲骨碑廊の南端近くには「甲骨窖穴展庁」の建物がありました。入口の脇には、最近の中国アニメで良く見るようなCGキャラクターが立っていて、これが何かすごい違和感があって笑えるんですよね。流行りのものはどこでも使ってしまう、実験的精神が良く表れています。
こちらは、大量の甲骨が発掘された抗道の現場で、「YH127」という名前が付いています。1936年6月12日の第13回発掘作業中、それまでの殷墟における科学的発掘調査の中で最大となる、1万7千以上の甲骨が出土しました。甲骨文や殷代の歴史研究に対する大変価値のある資料を提供し、「中国最古の記録庫」などの名称が付けられました。
◆甲骨窖穴展庁(甲骨洞穴)
薄暗い一室の中、坑道の周辺には甲骨文のライティングが施されています。
◆YH127甲骨窖穴
敷地の西端、丙組基址と書かれた一帯の先には「婦好墓(妇好墓)」があります。第22代王の武丁の妃の墓です。婦好の白い像があり、背後に見える建物は「享堂」と言い、婦好を弔うための廟です。
◆婦好の像
「妇好墓」と書かれた石碑の隣の建物から地下に入ります。
◆婦好墓石碑
婦好墓は1976年に中国の研究チームにより発見されました。墓は竪穴式で、7層に渡って埋葬された副葬品には、青銅器、玉器、金器、骨、陶器など1,900点以上が含まれ、6,800点以上の貝塚もありました。墓内で発見された青銅器の銘文や甲骨文から、墓に埋葬されたのは殷王武丁の妃、婦好と考えられています。婦好は中国最古の女性将軍であり、死後に諡「辛」が与えられました。
通路に展示されている副葬品を眺めながら下に降りていくと、最下層に婦好の墓がありました。
◆副葬品
中国に限らず、王家や貴族のお墓は、埋葬後に盗掘に遭うのがお決まりのパターンですが、こちらのお墓はほぼ完全な状態で残っていたそうです。
◆最下層にある墓室
最後に、「後母戊鼎」の奥にあった大きな建物(建物名は不明)を見学して終了です。中には、ミニシアターがあり、殷墟に関する動画が上映されていました。上映開始時刻が決まっており、1回目は9時20分開始と書いてあったので、これに合わせて入場しました。長居はせず、10分ほど画面を眺めて外に出ます。
◆後母戊鼎の奥にある大きな建物
殷墟博物館
殷墟宮殿宗廟遺址の見学は約1時間で終わりました。次は殷墟王陵遺址に行くのが定番コースですが、時間に余裕がなくなりそうだったので今回は断念し、殷墟博物館に行くことにしました。なお、殷墟王陵遺址は少し離れた場所にあるため(約6km)、1時間間隔で殷墟宮殿宗廟遺址-殷墟王陵遺址間のシャトルバスが運行しています。
◆シャトルバス時刻表
殷墟博物館への移動は、電動カートがあるという情報を得ていたので、これを使う予定だったのですが、駐車場を見回してもそれらしきカートが見当たらず、このまま待っているのも嫌だったので、1km程度の距離だったこともあり歩いて行くことにしました。
洹河(安陽河)に沿って作られている遊歩道からの景観は良く、約3,000年前、当時の殷王朝の人々も同じような風景を見て生活していたのだろうかと思いを馳せます。洹河を挟んだ向かいには殷墟博物館の巨大な建物も見えます。
◆洹河(安陽河)沿いの景観
約15分で殷墟博物館の入口前の広場に到着です。近代的なデザインで巨大な建物は圧倒するものがあります。何でも「詩経」の「商颂」から着想を得ており、緑の芝生、大地に高くそびえ立つ鼎を想起する形状、青銅器のような外装が特徴です。この博物館は2024年2月にオープンしたばかりの新館で、以前のものは殷墟宮殿宗廟遺址の敷地内にありました。
■9:40 殷墟博物館到着
◆殷墟博物館外観
入口の3文字は甲骨文字で「大邑商」と書かれています。殷王朝は、邑と呼ばれる氏族の集落から構成された連合体で、その中心となったのが殷王が治めていた都「大邑商」となります。現在我々が「殷墟」と呼んでいるこの土地ですが、当時の殷の人々は「大邑商」や「商」と呼んでいました。自らの国号にも「商」を使っており、殷王朝の別名「商」はここに由来します。殷とか商とか紛らわしいですよね。前回の投稿でも言及したのですが、中国では殷王朝とは呼ばず商王朝の名前て統一されています。
◆殷墟博物館入口
国内外から多くの観光客が訪れる博物館なので、休日は入館するのにも時間が掛かるらしいのですが、今日は空いていました。中国国内にある多くの博物館は月曜日が休館ですが、こちらは無休で開館しているそうです。入館は、お決まりのQRコードでゲートを通過してから荷物検査を受ける流れとなります。
中央部分は大きなアトリウムホールとなっており、これを囲むようにテーマ別に展示室が設けられています。建物は地下1~3階の計4層となっているようです。
◆アトリウムホール
入口前の左側のスペースには荷物預かり用のセルフロッカーがあったのでですが、ここに預けると取に来るのが面倒という情報があったので、荷物を背負ったまま入館することにしました。最悪、荷物を背負ったまま見学する覚悟でいたのですが、館内の1階にもセルフロッカーがあり、まだ空きがあったので預けることができました。こちらのロッカー、地下鉄駅などで見かける一般のセルフロッカーとは異なり、顔認証のみで開閉ができる仕組みとなっていました。操作も簡単で、外国人でも不安なく利用できました。このタイプのロッカーは生まれて初めて見たので、中国におけるハイテク技術の導入スピードの速さに驚くばかりです。
◆セルフロッカー
1階には、殷墟宮殿宗廟遺址でも見学した馬車坑が展示されていました。
◆殷墟馬車遺物展示館(殷墟马车遗迹展厅)
2階は、常設展「伟大的商文明(偉大な商文明)」のフロアです。殷王朝の歴史や政治、軍事、文化などが体系的にまとめられており、多くの出土品が展示されています。
展示室に入ってすぐのところに、殷墟宮殿宗廟遺址にもあった「司母戊鼎」の複製品が展示されていました。複製品とは言え、実物大なので、その大きさが体感できます。先述した通り、後に「後后母戊鼎」と改名されたと紹介されているのですが、ここでは古い名称のままでした。
◆司母戊鼎(殷代、複製品)
殷(商)王朝の都は、現在の鄭州に置かれた後、5回の遷都を経て、最後は安陽の地に定められました。鄭州の都の復元図なども合わせて展示されていました。その他、様々な資料が詳細かつ丁寧に展示されていましたが、1つ1つゆっくり見学している時間はなく、ざっと眺めるに留めます。
◆商都五迁(五度に渡る商都の遷都)
殷代の出土品も多く並んでいます。これらは複製品ではなく、本物のようです。3,000年以上も前に、これだけ精巧なものが作られていたことに驚くばかりです。
◆司母辛铜鼎(殷代)
◆铜方彝(殷代)
◆龟纹铜盘(殷代)
◆戍嗣子铜鼎(殷代)
◆刻辞卜骨(殷代)
最上階の3階にはカフェがあり、こちらではコーヒーの表面を甲骨文字で飾り立てしてくれるようです。
常設展「子何人哉(”子”とはいったい誰なのか?)」のフロアでは、多くの刻辞卜骨や甲骨文が展示されていました。刻辞卜骨とは、甲骨文字の一種で、占いに用いた牛や亀の甲羅に刻まれた文字を指します。
◆刻辞卜骨(殷代)
◆甲骨文の数々
次のフロアでは常設展の「长从何来(亞長はどこから来たのか?)」となります。殷代の将軍「亞長」の墓から出土した副葬品が展示されています。亞長の墓からは、婦好の墓に次いで多くの副葬品が出土しました。保存状態が良く、殷王朝後期の埋葬制度、祭祀制度、軍事制度などの研究に価値のある情報を提供しました。こちらの副葬品の品々は、いずれも見応えのあるものばかりでした。
◆遺物の展示フロア
◆铜手形器(殷代)
◆玉兽头饰と玉熊(殷代)
◆亚长铜方斝(殷代)
◆亚长铜盂と亚长铜盂勺(殷代)
◆亚长牛尊(殷代)
◆铜兽首刀(殷代)
殷王朝と同時期に存在した、エジプトやメソポタミア、インドなどの主要地区の文明と、文字や文化などの比較がされています。
◆他の主要文明との比較
最後のフロアには、「沉浸式数字化体验展厅」というテーマの展示がされていました。日本語にすると「没入型デジタル体験展示ホール」、私は入口付近の様子だけ見て出てしまったのですが、奥に行くと、3Dアニメーションの映像が流れている部屋があったようです。
◆没入型デジタル体験展示ホール
殷墟博物館では約1時間半掛けて一通り見学しました。展示内容は質、量ともに圧倒的で、体系的にまとめられた資料も多く、オーディオガイドを使ってゆっくり見学すれば、ゆうに半日以上は楽しめる博物館でした。
高速鉄道で平遥古城へ
博物館の出口は西側にあり、入口前の広場に戻るには少し歩く必要があります。出口前のスペースには、殷墟宮殿宗廟遺址と往復している電動カートが停まっていました。今になってようやく見つけることができました。3つの施設に入れる共通チケットを持っている場合、無料で利用できるようです。今更の話ですが、中国では4輪車だけでなく2輪車、バス、この類のカートまでほぼ電動駆動に置き換わっていて(EV化)、何年も前に中国に旅行した時からの変化の大きさに驚くばかりです。そのおかげでしょうか、都市部を歩いていても空気が汚れていると感じることは無くなりました。普段は、空気が澄んでいる田舎に住んでいるオッサンなので、空気が汚いとすぐ分かるんですよね。
◆電動カート
博物館を出ると時刻は11時を少し過ぎていました。当初は、DiDi(滴滴)でタクシーを呼んで安陽東駅に移動しようと考えていたのですが、時間に余裕があったのでバスを利用してみることにしました。もう少し博物館を見学することも考えたのですが、早朝からの見学続きで、集中力が尽きてしまいました。
安陽駅東駅と殷墟は11路のバスで接続しており、博物館前の通り「纱厂路」にバス停があります。バス停は、通りを少し東に歩いた先にありました。
◆11路バス停
10分ほど待っていると11路のバスがやって来ました。待っている間に、Alipayから「安陽电子公交卡」のミニプログラムをダウンロードして有効化しておきました。安陽市でのバス利用は初めてなので、QRコードで上手く決済できるか不安ではありましたが、今回は問題なく決済が通りました。運賃は2元(約42円)、車内はまだ空いており座ることができました。
このバスは、途中30ヶ所以上のバス停があり、地図アプリによると所要時間は1時間半と表示されていました。交通量の多い繁華街を通るため、地元のお客さんの利用が多く、頻繁に乗り降りが発生しました。お昼の時間が近いこともあり、食事をしている方もチラホラいて、車内は食べ物の匂いで充満していました。道路自体は比較的空いていたこともあり、予想より大幅に早く約50分で安陽東駅に到着しました。DiDi(滴滴)は便利で良いのですが、個人的にはやはりバスなどの公共交通機関を利用する方が、旅行している気分が出て自分には合っていると感じました。
■12:10 安陽東駅到着
安陽駅前の広場には、食堂やお土産屋さん、屋台などが並んでおり、お昼ご飯を食べている人の姿が目立ちました。
◆安陽駅外観
駅に入ると、パスポートチェック前のスペースには、お店がいくつかあり、ワンタン専門の食堂で昼食にしようと思ったのですが、今日は営業していないと言われてしまいました。仕方ないので、すぐ近くにあったコンビニで小吃やパン、飲み物を買って待合室で食べることにしました。このコンビニの店員さんの対応が非常に親切だったのが記憶に残っています。パスポートチェック、荷物検査は問題なく通過しました。待合室は中規模といった広さで、レストランやお土産屋さん、コンビニもありました。空いている座席に座って、先ほど買ったもので昼食にしましたが、小吃が思いのほか美味しくて、もっと買っておけば良かったと後悔しました。日本で言うとお好み焼きのような食べ物で、熱々の生地はモチモチとしていて食感が良く、野菜などの具材との相性もバッチリでした。
◆小吃(名前は不明)
しばらくは1階の椅子に座って時間を潰していたのですが、いくら眺めていても電光掲示板には乗車予定の便名が表示されず、おかしいと思って周囲を歩き回ったところ、2階にも改札があることが分かり、こちらの電光掲示板には便名が表示されていました。このような構造の駅は初めてです。
振り返ると、河南省の鄭州、安陽では急ぎ足の観光となってしまいましたが、念願の殷墟を訪問することが叶ったので満足はしています。機会があれば、今度はもっとゆっくり滞在して、洛陽や開封、許昌にも足を伸ばしてみたいものです。
次の目的地は山西省の平遥古城となります。安陽東駅から平遥古城駅への直通列車は1便のみで、他の便を利用する場合は、石家庄駅での乗り換えが必要となります。今回は直通列車のG1952便を利用しました。この便は、始発が嘉兴南駅、終点が运城北駅となっています。嘉兴南駅は浙江省にある駅で、約7時間掛けてここまでやって来ます。平遥古城駅までは約530km、所要時間は約3時間半と長く、車内では快適に過ごしたかったので今回初めて1等席を予約しました。料金はTrip.comで購入して約7,500円です。参考まで2等席は約5,000円となります。距離から考えると1等席でも十分許容できる料金で、高鉄の安さを改めて実感します。
■14:10 改札
パスポートで改札を通過すると、すぐプラットフォームとなり、乗車予定の9号車の停車位置は目の前で、歩く必要がありませんでした。この辺りも、1等席に乗車するメリットを感じます。他の駅との違いとして、液晶モニターが設置されており、到着時間や停車する車両番号などの情報が表示されていました。
◆安陽東駅プラットフォーム
■10:18 G1952便-出発
1等席の車両には専任のスタッフがおり、乗車後まもなくミネラルウォーターと食べ物が入ったパッケージが配られました。スタッフは、都度座席に座っている人が合っているか確認しているので、2等席のように、誰かが自分の座席に座っているケースを心配する必要がありません。パッケージには、至って普通のお饅頭が1つ、ねっとりとした甘いお菓子が1つ、ソーセージの燻製が1つ入っていました。お菓子については特に記憶がありませんが、ソーセージは良く燻製された深みのある上等な味でした。
◆パッケージの中身
■15:16 石家庄駅到着
河北省の省都である石家庄市、こちらの駅では多くのお客さんが下車しました。ここから先は、進行方向が逆になるため、座席を回転する必要がありました。この作業により石家庄駅では約30分停車して、次の太原駅に向かって発車しました。車窓からは「太行山脈」が良く見えました。太行山脈は、山西省、河南省、河北省の3つの省の境界部分に位置する山地で、北東から南西へ約400kmにわたり伸びています。列車はここから山脈を横切って山西省に向かいます。景色も平原から山に変化していきます。途中、長いトンネルを何回も通り、スピードも190km前後に落として運行していました。
◆車窓からの景色
太行山脈を抜けると、また平らな景観に戻りますが、河南省の平原とはまた異なった雰囲気です。太原駅を通過する前後では、100km以下まで減速して運転していました。間もなくして、太原南駅に到着となり、ここでも大勢のお客さんが降り、車内は大分空席が目立つようになりました。太原南駅から約30分で平遥古城駅に到着です。停車少し前になると、スタッフがわざわざ知らせに来てくれました。
■17:47 平遥古城駅到着
予定時刻通り平遥古城駅に到着しました。私以外に下車するお客さんもそれなりの数がいました。外はまだ明るく日没までにはホテルに着けそうです。意外だったのは気温で、山西省に来れば涼しくなると思い込んでいたのですが30℃近くありました。駅前の通りには多くのタクシーが列を成していました。列車が停止した位置が良くて、ほぼ先頭で駅から出たのですが、最初は閑散としていた駅前広場は、後ろから続々とお客さんが出てきて、あっという間に賑やかになりました。河南省ではほぼ見かけなかった外国人旅行者の姿もかなり多く、さすが国内外から大勢の観光客が訪れる有名観光地だけあるなと感心しました。大部分のお客さんはタクシーを予約していたようで、次々と通りから出ていきます。
◆平遥古城駅外観
◆平遥古城駅前の様子
駅から平遥古城までは約9kmの距離があり、移動には108路バスを利用しました。108路バスは高鉄駅が始発になっており、駅から見て通りの右手の方に停車していました。この時はバスが2台停まっており、前のバスに乗ろうとしたのですが、運転手さんに行き先を聞かれ、「北門」と返事をしたところ、これは違うバスだと教えてくれました。そう言えば、108路のバスは、平遥古城の北側と南側を通る2つの路線(北路と南路)があるのを思い出しました。運転手さんは珍しく若い女性で、外国人慣れしていて親切だったので運が良かったです。
後ろに停車していたバスに移動すると、こちらの運転手さんは年配の男性でした。あらかじめAlipayから「平遥电子公交卡」のミニプログラムをダウンロードして有効化しておいたのですが、これで読み取り機にQRコードをかざしたところエラーとなってしまいました。この運転手さん、声がデカくて若干おっかない印象があったのですが、私のスマートフォンの画面を確認して、「平遥电子公交卡」ではなくて「晋中电子公交卡」にしないと駄目だよとデカい声で教えてくれました。見た目に反して、こちらの運転手さんも親切で良い意味で意外でした。参考まで、「晋中」というのは市の名称で、これの1つ下に平遥県が属しています。運賃はたったの1元(約21円)でした。
平遥は思ったよりも都会で、中心部の通り「汇通路」は交通量が多く、沢山のお店が並んでいました。地元の方の利用者が思った以上に多く、途中のバス停でポツポツと下車していきました。途中、在来線の「平遥駅」前を通りましたが、駅周辺は古い建物が多く雑多な雰囲気でした。駅前の通りは、ホテルやレストランなど観光客向けの建物が並んでいました。次のバス停「护城河口」では大部分の観光客が降り、その次の「北門」で、車内の残っていた私と年配の夫婦が下車しました。バスから降りると、待ち構えていたおばちゃんから猛烈なホテルの営業を掛けられますが、何とか振り切ります。
◆平遥駅
■18:30 平遥古城北門到着
北門に続く「北关路」には多くのレストランが並んでいましたが、この辺りはあまり観光客の姿がなく、どこのお店も暇そうな印象を受けました。
◆北关路
平遥古城は、長い間いつかは行きたいと思っていた場所だったので、古城の北門と城壁が見えてくると嬉しさが自然に湧きあがります。今日は朝から殷墟、平遥古城と長年の願望が連続して叶い、記憶に残る日となりました。
◆北門付近の様子
平遥古城を本格的に観光するのは明日からとし、今日は日が暮れる前に旅館に着くのが最優先です。平遥古城は全長6.4kmという広さがあり、北門に着いても、ホテルまではさらに約1km歩く必要があります。途中、電動バイクのしつこい勧誘等に遭いましたが、いずれも振り切り、約15分歩いて旅館に到着です。
平遥杜門甲第中国式旅館
■18:50 旅館到着
今日から3泊お世話になるのが「平遥杜門甲第中国式旅館」です。中国名は「平遙杜門甲第客棧」です。古城の中心からやや東に位置し、高鉄駅からのアクセスは若干遠いのですが、古城内を観光するには大変便利な立地です。賑やかな「南大街」などの大通りからは離れているので、日中も夜も基本的に静かでした。周囲は、地元の方々が多く住んでいる住居があり、彼ら(彼女ら)の日常生活が垣間見えたのも良かったです。
◆旅館外観
予約したのはダブルベッドのあるカンルーム(炕房)で、3泊朝食付きで11,000円でした。古城内のホテルは、ランクはピンからキリまでありますが、大都市に比べるとかなり安く泊まれます。家族経営の旅館で、私と同年代と思われるオーナーは大変親切で、英語による疎通が可能でした。お世辞にも綺麗な英語ではありませんでしたがw、私も他人の英語力を評価できるレベルにもないですし、中国では英語で話そうとしてくれる人がほとんど見かけないので有難いです。日中はオーナーの友人などが集まって談笑していたりと、旅館内はアットホームな雰囲気があり、家族の皆さんも親切でした。外国人の口コミ評価が多く、英語で疎通ができると書かれていたのがこの旅館に決めた理由ですが、同じように考えている外国人旅行者は多いようで、私以外の宿泊客は外国人ばかりでした。
入口から入ると、フロントと共有スペースとなっており、日中はオーナーが友人とお茶を飲んで談笑していたりと、生活感があって良い雰囲気でした。
◆共有スペース
チェックインの手続きが終わると、大きな地図を渡してくれて、平遥古城の見どころや注意点などを時間を掛けて丁寧に説明してくれました。
日没になると建物全体がライトアップされ、中庭は別世界に入り込んだような幻想的な景観に様変わりします。
◆中庭
何代にも渡って経営している旅館なので、伝統様式の建物は古さを感じますが、明や清の時代にタイムスリップしたような気分が味わえます。部屋のドアは木製で、カギは錠前という、なかなか良い組み合わせです。セキュリティ面から考えると何とも言えませんが、治安の不安は全くないため問題ないと思います。日中は換気のため、ドアを開けたまま、代わりに簾を掛けとくのですが、これがなかなかの優れもので、中から外の様子は見えても、外からは何も見えない構造になっていました。
先述した「カンルーム(炕房)」とは明・清時代の伝統様式の部屋の事を言います。ベッドは、床下に暖かい空気を取り込む「オンドルベッド」と呼ばれるものです。部屋は2人で使うには若干狭い印象がありますが、1人使用だったので問題ありませんでした。
◆カンルーム(ダブルベッド)
シャワーなどの設備は、若干年代を感じますが、機能面は問題なく、清掃も行き届いており清潔でした。デスク周りも必要なものは揃っており、設備は湯沸かしポットがあり、冷蔵庫はありませんでした。
◆デスク周り
◆シャワールーム
康乾記飯店
夕飯はオーナーがオススメしていたレストラン「康乾記飯店(康乾记饭店)」に行ってみました。古城中心部の南大街にあり、旅館からは500mほどの場所にあります。日が暮れると、旅館の周辺は明かりがなく、真っ暗の中を歩く必要がありました。少し歩くと、通りは明るくなり、食堂などもチラホラと見えてきます。南大街は、大勢の観光客の姿があり、ツアー客の団体もチラホラ見かけました。前方には平遥古城のシンボルである「市楼」が見えました。ライトアップがされていて、遠くからでもひと際目立ちます。
◆市楼
南大街に入ってすぐのところに「康乾記飯店」がありました。オーナーからは「康乾記飯店」と「洪武記(洪武记饭店)」の2つのレストランを紹介されていたのですが、旅館から近いという理由でこちらを選択しています。店内は満席で、10分ほど待つ必要がありました。
◆康乾記飯店外観
案内してもらったのは1階の入口近くの4人用のテーブルです。食べ終わって出てくるお客さんと、代わりに入って来るお客さんが途切れることがなく、店内は終始賑やかでした。スタッフもかなり多く、皆さん忙しそうに働いています。
◆店内の様子
対応してくれた女性のスタッフは大変親切で、これだけお客さんがいるにも関わらず、こまめにテーブルの様子を見に来てくれて、私が外国人だと分かると、細々とフォローしてくれました。
平遥古城の名物と言えば牛肉で、旅館のオーナー曰く、牛肉もいいけど「香草肉」も美味しいよと言っていたのを思い出しましたが、スタッフからオススメされた「醋焖牛肉」を素直に注文しました。また、野菜も食べたかったので写真から適当に「家乡拌野菜」を選択し、主食は「猪肉大葱饺子」、あとは飲み物のミネラルウォーター(矿泉水)を頼みました。メニューは大変豊富で、他にも色々気になる料理がありましたが、1人だとこれが限界です。
家乡拌野菜は、地元の野菜をミックスして炒めたもののようです。クセのない春菊を細かくしたような食感で、味付けは辛くもなく、甘くも無く、程よい塩加減でした。
◆家乡拌野菜
メインディッシュの醋焖牛肉は、一言で言うとビーフシチューのような食べ物ですが、これは大当たりでした。煮込まれた牛肉は柔らかくて味に深みがあり、ワインの風味も効いており、野菜、特に玉葱との相性が抜群で絶品の一言です。これまで食べたビーフシチューの類の中で、一番美味しかったと言っても誇張ではありません。この料理だけで120元(約2,500円)ぐらいした記憶があるのですが、料金に見合うだけのボリュームと美味しさでした。個人的にも強くオススメします。
◆醋焖牛肉
主食の餃子は、どちらかと言うと水餃子に近い柔らかい食感で、オーソドックスな豚肉と野菜の具材の組み合わせも良かったです。
◆猪肉大葱饺子
控えめに注文したつもりでしたが、1品1品のボリュームが多く、美味しかったのでいつにもなく頑張って口に入れましたが、牛肉の料理が6割、野菜料理が2割、餃子が3割程度で限界となりました。料金は、オーナーからもらった会員クーポンを利用したので、元値が150元ぐらいだったのが、値引きされて128.25元(約2,700円)でした。





















































































コメント