2023年10月3日(火) 10日目
青の都 サマルカンド
「青の都」や「イスラム世界の宝石」、「東方の真珠」など多くの異名を持つサマルカンドの歴史について簡単におさらいしたいと思います。
古くからソグディアナ(以前の投稿を参照)の中心的なオアシス都市として発展しました。中国の歴史書では「康国」と呼ばれ、月氏の流れをくむ王族により治められていたそうです。8世紀になると、イスラム勢力が伸張してきてイスラム化が進みます。以後、サマーン朝の支配を経て、カラハン朝に征服されるとトルコ化も始まり、この辺りは西トルキスタン(トルコ人の土地)と呼ばれるようになります。聞き慣れない王朝名が出てきたりと、なかなか理解するのが難しいですが、ようするに東西のさまざまな勢力がこの地を支配し、都度地域の呼び名が変わったり、宗教や文化が塗り替えられてきたことが分かります。その中でもサマルカンドは一貫してこの地域随一の貿易都市であり続けました。時は進んで13世紀に入ると、最盛期のホラズム・シャー国の支配下となりますが、間もなくして1220年、チンギス・ハーンによる征服を受け、サマルカンドの街は徹底的に破壊されてしまいました。当時のサマルカンドの中心は、現在の中心部から東北に位置するアフシャラブの丘にありました。以後、中央アジアはチンギス・ハーンの次男チャガタイの所領(チャガタイ・ハン国)となりますが、彼の死後は、後継者争いなど紆余曲折を経て、国は東西に分裂して戦国時代に突入します。
ここで登場するのが、中央アジア史上屈指の英雄ティムールです。ティムールの出生については、有力部族の息子だとか諸説ありますが、後ろ盾がほぼ無い状況からスタートしたのは間違いないようです。国内の混乱に乗じて西トルキスタンを統一したティムールは、1370年にサマルカンドを首都としてティムール朝を建国しました。以後、ティムール朝は拡大を続け、西アジアから中央アジアにかけて広大な領域を支配しました。ティムールは帝国の君主ではありましたがチンギス・ハーンの子孫ではなかったため、生涯「ハン」の称号を名乗らず、チャガタイ一族からハンを擁立し、これを傀儡化することで帝国を運営しました。ティムール本人は「アミール(司令長官)」の立場を堅持し、ハンの女婿を意味するキュレゲンという称号を名乗りました。ティムールの時代になっても、チンギス・ハーンの血筋は貴種として尊重されていたことが分かります。
ティムールによって再建されたサマルカンドは空前の繁栄を遂げ、「ティムール朝文化」と呼ばれる高度な文化が花開きます。現在、サマルカンドにある多くの歴史的建築物はこの時代に造られたものです。中央アジアでは後にも先にもこのような王朝は現れず、ティムールが如何に稀有な存在だったかが分かります。約140年でティムール朝は終わりを迎えますが、その後の流れについてはヒヴァやブハラと同様なので省略します。
ホテルの朝食について
8時を過ぎたので、地下の朝食会場に向かいました。朝食はビュッフェ形式で、何種類かのパン、キュウリとトマト、葡萄やリンゴ、チーズやハムなどが提供されていました。一週間以上ウズベキスタンに滞在したので、だんだん分かってきたのですが、どこのホテルでも野菜はキュウリとトマトが定番のようです。逆に言うと、これ以外の野菜は入手するのが難しかったり高かったりするのかもしれません。これらのメニューに加え、キッチンにいる年配の女性の方が1品卵料理を作ってくれました。いくつか選択肢があったのですが、目玉焼きを頂きました。
◆朝食
サマルカンド観光(1日目午前)
レギスタン広場
いよいよ、待ちに待ったサマルカンド観光でございます。ただ、これまでとは勝手が違って、広いエリアに観光名所が点在しているので、気軽にブラブラしながら見て回るような感じにはいきません。今朝は、何はともあれサマルカンドの象徴でもある「レギスタン広場」に行ってみることにしました。ブハラにも同じ名前の広場がありましたが、世間一般にはこちらの方が圧倒的に有名です。
ホテルから歩くとすぐのところに、観光客で賑わう「カリモフ通り」があります。レギスタン広場の東側から北に延びる遊歩道で、約1kmの通り沿いには、レストランやカフェ、お土産屋さんが集中しており、ビビハニム・モスクやシヨブバザールもあります。両脇には緑美しい街路樹が植えられ、所々には休憩用のベンチなどもあります。自動車は乗り入れることができないため、代わりに電動カートが頻繁に行き来しています。カリモフ通りを南に向かってしばらく歩くと、レギスタン広場に到着です。
◆イスラム・カリモフ通り(旧タシケント通り)
ガイドブックでおなじみの正面からの景観ですが、実際にこの目に見ると感慨深いものがあります。サマルカンドが青の都と呼ばれているのは先述しましたが、これはサマルカンド・ブルーと呼ばれる美しい青色の建造物が多いこと、またこの地特有の気候により、抜けるような美しい青空が見えることから来ています。青色の建造物が多いのは、ティムールがこの青色を特に好んだからだそうです。レギスタン広場には3つのメドレセが配置されているのですが、これについてはまた別の投稿で載せたいと思います。
◆レギスタン広場
ルハバット廟
ひとまずレギスタン広場は外観を見るに留め、今朝のお目当てである広場から南西にある「グーリ・アミール廟」に向かいます。広場南側から南西に伸びる「レギスタン通り」を歩きます。距離にして約1.2km。15分程度です。広場前のレストランなどが集中しているエリアを抜けると、緑豊かな遊歩道が見えてきました。大変綺麗に整備されていて雰囲気が良く、歩いているだけでテンションが上がってきます。ブハラで味わえたあのシルクロードに浸っている気分は無いもの、青空と緑が調和した美しい景観も素晴らしいです。遊歩道は本当に綺麗で、ゴミ1つ落ちていません。イチャン・カラやブハラでも感じましたが、サマルカンドも同様ですね。ウズベキスタンの皆さんの衛生観念は相当高いのが伺えます。
◆レギスタン通り
歩いていると、印象的な建物が目に入ってきました。「ルハバット廟」という建物で、1380年にティムールの命により、イスラム神学者で神秘主義者の「シャイフ・ブルハヌッディン・サガルジ」のお墓の上に建てられました。この方、全く存じていませんでしたが、東トルキスタン(現在の新疆ウイグル自治区)の遊牧民族に対するイスラム化において大変貢献があったそうです。
青のドームは勿論いいんですけど、ブハラのイスマーイール・サーマーニ廟の時も感じたのですが、地味な土色の建物も、悠久の歴史を感じさせるものがあり心惹かれます。
ティムール像
霊廟に向かうまえに、遊歩道を歩いた先にある「ティムール像」だけ見ておきました。
◆アミール・ティムール像
グーリ・アミール廟
「グーリ・アミール廟」は、ティムール王家の霊廟です。元々は、7年戦役中に亡くなったティムール最愛の孫であり、後継指名者であったムハマンド・スルターンの霊廟として建設されましたが、その後、ティムール自身や一族も埋葬されることになりました。
この旅行では数えきれないくらいの建築物に触れましたけど、勿論どれもこれも甲乙つけがたいくらい良かったんですが、ここがダントツでしたね。先ほど見たばかりのレギスタン広場にある3つのメドレセは良くも悪くも期待通りの良さだったんですが、こちらは前情報無しで来たこともあるせいか、正門を見たときの驚きはひとしおで、素人目ですが、ここは別格だなと感じ入りました。さすがティムール王家の墓、圧倒的なスケール感に、サマルカンドブルーを基調とした装飾の見事さ、あらゆる面で頭一つ抜けています。正門にしろ霊廟にしろ、当時のままってことは無くて、後世様々な人々の手が掛かっていると思うんですが、この方々の熱量というか思いが伝わってくるんですよね。ティムールをはじめこの一族が、どれだけこの国の人々に愛されてきたのかが感じ取れます。
正門前のチケット売り場で、料金30,000スム(約400円)を払って正門に入ります。
◆正門
正門を抜けると正方形の中庭があり、正面に色鮮やかな青色のドームを持つグーリ・アミール廟があります。また、現在は一部のみしか残っていませんが、中庭を挟んで東西にメドレセとハンカーがありました。惜しむらくは、写真を見ると分かりますが、逆光になってしまっているんですよね。肉眼で見た時に受けた印象と全然違います。あちこち歩き回って、できるだけ明るく撮影できる場所を探したのが難しかったです。本当は別の時間帯にもう一回来たかったのですが、ホテルから結構な距離があるので、そこまでの余裕はありませんでした。
◆グーリ・アミール廟 外観
◆ドーム
霊廟に入ると、まずはティムーの肖像画や一族についての解説、復元模型などが展示されているエリアがありました。
◆ティムールの肖像画
◆家系図
◆復元模型
ドーム内部はもう見事としか表現のしようがありません。至る所が黄金一色、それ以上に印象的なのが精緻の極みに達した装飾で、時間を忘れて見入ってしまいました。周囲には観光客が大勢いたのですが、霊廟内はわりと静かで皆見入ってるんですよね。良い物は万国共通ってことですよね!基本的に黄金の類はケバケバしいだけで興味が引かれることは無いのですが(例えば黄金茶室とかw)、そういういやらしさを全く感じませんでした。同じ黄金でもこんなにも受ける印象が違うのは、もうこれは作りて側のセンスとしか言いようがない気がします。
◆ドーム内部
中央にはいくつかの墓石が置かれていますが、真ん中の黒の墓石がティムール、手前がムハマンド・スルターン、左側がウルグベクというような配置になっています。実際の亡骸は墓石の中にはなく、地下室に安置されているそうです。ティムールの墓石だけが黒くて印象的だったのですが、これは「眉毛石」と呼ばれるもので、何でもティムールが天山山脈の山中で見つけて気に入ったものの、持ち帰ることができず、ティムールの没後、孫にあたる第4代君主ウルグ・ベクが遺志を継いでサマルカンドに運ばせて悲願を果たしたそうです。ウルグ・ベクはティムールの後継者の中では一番有名で、非常に開明的な人物でしたが、歴代の中国皇帝のように軟玉愛好家でもあったらしいです。
◆墓石
◆墓石配置図
霊廟を出た後は、一旦ホテルに戻りました。2km近くあるので、タクシーを呼びたい気分にも駆られましたが、サマルカンドの街をゆっくり見ながら歩きたい気持ちが勝りました。気づくと、結構な距離を歩いており、このまま観光を続けると腰を痛めそうなのでホテルでしばらく休憩です。
Ikat Boutiques Cafe&Restaurantで昼食
昼食は、カリモフ通りにある「Ikat Boutiques&Restaurant」で頂きました。前回の投稿で、ブハラからサマルカンドの移動に利用した高速列車アフシャラブ号のチケットをウズベキスタン株式会社さん経由で購入したと書きましたが、この会社はサマルカンドにあり、レストランも運営しているのでした。地球の歩き方にも紹介されており、ホテルからも近く、一度は寄ってみたいなと考えていました。多くの日本人観光客が訪れているようで、美味しいウズベキスタン料理が食べられると評判のお店です。
お店は、ちょうどカリモフ通りの真ん中辺り、ビビハニム・モスクが目の前に見えるという素晴らしい場所にありました。お客さんは日本人ばかりかと思っていたのですが、他の国からの観光客も利用していました。場所がいいから当然ですよね!
対応してくれたのは、日本人女性でした。最初は英語でやり取りしていたのですが、途中で私が日本人だと気づいたようで、そこからは日本語でやり取りしました。何でも、インターンで日本からサマルカンドに来ており、こちらで働いているようです。まだ1ヶ月半程度の滞在なので、言葉もまだまだで観光もあまりしていないようでした。来月はヒヴァに行ってみたいと仰っていました。
◆Ikat Boutiques Cafe&Restaurant
◆店内
こちらで頂いたのはラグマンです。飲み物はアメリーカーノを注文しました。料金は合わせて69,000スム(約830円)と、他店と比べて特別高くもなく、良心的な値段設定に感じました。
昨晩のラグマンはいわゆるスープに入ったものでしたが、今回は焼うどんの方を頂きました。味、食感共に日本の焼うどんと同じで美味しく頂けました。
◆ラグマン(焼うどん)
窓際の席からは、この後観光予定のビビハニム・モスクが見えます。世界遺産の建築物を眺めながらの贅沢なひと時でした。
◆店内からの景観
サマルカンド観光(2日目午後)
ビビハニム・モスク
ビビハニム・モスクはかつてイスラム世界で最大を誇ったモスクで、167m×109mと巨大です。1399年、インド遠征から戻ったティムールは世界に比類のない壮大なモスクを造る決意をし、帝国各地から建築家や芸術家、労働者を集め、物資の輸送にはインド象が使われ、ティムール本人も現場監督に出向くほどの熱の入れようだったと言われています。ビビハニムという名前は、ティムールの奥さんの名前が由来だそうです。
午前中見たグール・アミール廟で満足してしまったので、モスクの中に入ってまで観光する気は起きず外観を見るに留めます。
◆ビビハニム・モスク
モスクは本当に巨大で、近くからではカメラに収まりません。向かいにあるビビハニム廟の敷地内からようやく全景が入りました。
ビビハニム廟の方にも行ってみて、入口から入ろうとしたところ、椅子に座った女性が待機していて、料金を徴収されそうになったので、そそくさと出てきました。
◆ビビハニム廟
シヨブバザール
ビビハニム・モスクのすぐ近くには「シヨブバザール」がありました。シヨブバザールはサマルカンド最大の市場で、長い歴史を誇るそうです。ここのバザールについては、軽く見るに留めました。
◆シヨブバザール
カリモフ通りに面した市場脇のスペースでは、洋服やお土産を売るお店が並んでいました。
市場は大変広く、ドライフルーツ、香辛料をはじめナンや野菜、果物など様々なものが売られていました。
Bobur Shashlikxonasi(バブル・シャシリクハナ)
夕飯はビビハニム・モスクの裏の通り沿いにある「Bobur Shashlikxonasi(バブル・シャシリクハナ)」で頂きました。地元の方々に人気のシャシリク(串焼肉)専門店として紹介されており、観光客向けのお店ではないものの、スタッフの方々の対応が良いらしく、ブログやyoutubeでオススメされていました。
◆外観
メニューは無く、お店に入ったところにあるショーケースから食べたいシャシリクを選ぶ形式です。日中から営業しているお店なので、この時間になるとシャシリクの在庫は大分少なくなっているようで、3~4種類ぐらいしか残っていなかったのですが、その中から食べられそうな2品を選びました。席に着いた後は、別のスタッフの方が来て、飲み物やサラダ、ナンなどの注文を取る流れとなります。スタッフの方はあまり英語が得意ではないようでしたが、愛想良く対応してくれましたので好感を持てました。
注文を終えてくつろいでいると、隣の席で1人で座っていた私より少し年配の女性から「日本人の方ですか?」と声を掛けて頂いたので、話の流れで同席させて頂くことにしました。1人でウズベキスタンを旅行していて、私と同じようなスケジュールで旅行されていました。かなり旅行慣れしているようで、あの最高難易度と言われるインドにも行ったことがあるとか。学生時代はカイロ大学で学んだこともあるそうで、色々面白い話が聞けました。
今回頂いたシャシリクはひき肉の塊を焼いたものと、ジャガイモの2種類を頂きましたが、専門店と謳われているだけの美味しさでした。ナンも他のお店で頂いたものとは少し違っていて、とても柔らかくて甘みがありました。
しばし談笑後、レギスタン広場のライトアップ開始の時間近くになったので、お開きとなりました。会計は、レジの前で食べた料理を自己申告する形式で、全部で約350スム(約400円)とビックリするような安さでした。料理良し、値段良し、お店の雰囲気良しと口コミ評価が高いのも納得です。
◆シャシリク
◆ナン
レギスタン広場のライトアップ
8時半を過ぎたので、レギスタン広場のライトアップを見に行きました。実は、昨晩も行ってみたのですが、ライトアップの開始時刻は20時~21時頃と幅があるようで、昨晩は20時ぐらいに行ったのですが、開始する気配がなく、疲れていたこともあってホテルに戻ってしまいました。今日は少し遅めに行ったのですが、これが裏目に出てしまい既にショーが始まっていました。広場前のショーが良く見える場所に行ってみると、大勢のお客さんが集まっていました。幸運なことに、今日は通常のライトアップ・ショーではなく、プロジェクションマッピング・ショーをやっていました。これは、不定期で開催されるもので、ネット上の情報によると、団体客などが料金を払った場合のみしか見れないようです。プロジェクション・マッピング・ショーでは、音楽に合わせてウズベキスタンやサマルカンドに関連する映像が次から次へと流されて大変見応えがありました。写真ではショーの迫力が上手く伝わらないのが残念なところです。
◆プロジェクションマッピング・ショー










































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