2025年3月7日(金) 5日目
南京大虐殺記念館(侵華日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館)
今朝の朝食では、初めて目にした黄色いお粥を食べてみました。普通のお粥と比べると、米粒が小さく甘みがありました。後から調べたところ、確かに小米と呼ばれる粒の小さいお米を使ったお粥で、中国では良く見かける食べ物のようです。
◆ホテルの朝食
◆黄色いお粥(小米)
今日の午前中は、「南京大虐殺記念館」、正式名称は「侵華日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館」を訪問します。日中戦争(1937~1945年)で激戦地となった南京で起きた「南京事件」、中国では南京大虐殺の呼び方が使用されていますが、この事件の犠牲者を追悼する施設です。1985年、鄧小平氏の指示の下で建設され、1985年に開館しました。現在、記念館においては、南京事件に関連する写真や資料などが常設展示されています。
南京事件については、犠牲者数などの真偽を巡って日中間で常に論争となってきた非常にデリケートな事案であり、加害者側の我々としては訪問しずらい施設ではありますが、このような機会はなかなかないと思ったので見学することに決めました。事前予約が必須ですが、見学希望者が非常に多い施設なので、この時期でもあっという間に予約枠が埋まっていました。数日間、予約枠の解放状況を見ていたのですが、一度に全部の予約枠が解放されるわけではなく、1週間前から毎日の正午過ぎに一定数ずつ解放しているように見受けられました。なので、希望日の予約枠が埋まってしまっていても、諦めずに翌日以降も確認することで予約ができるかもしれません。WeChatのミニプログラムから予約を行いますが、他の観光名所のものと比べると使い勝手が良く、英語と日本語対応もされており、外国の電話番号でも予約可能でした。
本記念館は南京の西側、建業区にあり、最寄り駅は地下鉄2号線の「雲錦路(云锦路)駅」です。9時過ぎにホテルを出て、夫子廟駅から3号線と2号線を乗り継いで、約30分で雲錦路駅に到着しました。2番出口を出るとすぐ記念館の入口となります。入口前には花が供えられていました。
■9:30 南京大虐殺記念館到着
中国の方は入場ゲートで、取得したQRコードを読み込ませることでセルフで入場できますが、外国人の場合は、予約してもQRコードが入手できないため、ゲート前にいるスタッフに外国人である旨を伝え、スマートフォンの予約画面とパスポートを提示い、本人確認が取れると手動でゲートを開けてもらえる流れでした。
犠牲者を慰霊するための施設ということもあってか、皆さん終始無言で、場の雰囲気も常に重苦しかったです。他の観光名所に比べても写真を撮っている人も少なく、私もこの雰囲気に習って必要最小限に留めています。
◆地図
ゲートを抜けると右手には美術館のような近代的な外観の建物が見えますが、こちらが展示ホールとなります。展示ホールの入口は、ぐるっと半周ほど回った先にあり、まずは建物の脇にある彫刻広場を西に向かって進みます。
◆展示ホールの外観
広場には、当時の状況をモチーフにした12体の彫刻が並んでいました。
◆彫刻広場
彫刻広場の先は記念広場となっており、こちらでは年に一度、国家による追悼式が執り行われています。整然とした広い空間には、いくつかの石碑が置かれており、中央には中国国旗が掲げられていました。厳粛な雰囲気の中、広場を逆くの字に横切って展示ホールの入口に進みます。
◆記念広場(公祭广场)
展示ホールに入った後は、地下に続く階段を下ります。階段の左側の棚には南京事件に関する膨大な資料が収められています。
◆地下に続く階段
最初のホールの中央には、犠牲者を追悼するためのライティングがされていました。このライティングの装置は「30万記念装置」という名前が付けられており、プラネタリムのような幻想的な空間となっていました。ホールの周囲には、事件の生存者の写真が展示されていました。
◆30万記念装置
ホールの先にある、南京陥落を象徴する南京城門をくぐると、南京事件に関する展示資料のエリアとなります。日中戦争が始まって南京事件が起こるまでの経緯など、懇切丁寧に解説されていました。全ての解説について日本語訳も併記されているので、大変分かりやすく読みごたえがありました。内容は、予想していたよりも反日感情全開という感じではなく、事実が淡々と羅列されていた印象です。
◆南京事件に関する資料
当時の南京の状況が実寸大のジオラマで再現されているコーナーがありました。
◆当時の南京の状況
中央の顔写真は、南京防衛軍の最高司令官であった「唐生智」です。中央の下に写っているのは、日本軍の上海派遣軍司令官だった松井石根です。両名共、日本の教科書にもしばしば登場する人物です。
◆日本軍と中国南京防衛軍について
当時の日中の戦力比較がされています。中国の人口が日本の約5倍近くあったものの、工業生産量は日本が圧倒しており、これが航空戦力などの差に繋がっていることが分かります。
◆日中の戦力比較
続いて、南京事件の被害について、かなりのスペースを割いて展示がされていましたが、当時の悲惨な状況が伝わる痛々しい写真も多く、加害者側の我々としては直視するのが難しいものがありました。当時は南京に在住していた外国人も多く、彼らの残した記録や証言が貴重な資料になっているのが分かりました。
展示ホールの出口では「過去を忘れず、そこから学ぼう」の言葉で締めくくられていました。
◆展示ホール出口
建物の一角には、映画館のようなスペースがあり、南京事件についての生存者の証言などが上映されていました。
◆南京事件に関する映像
展示ホールを出た後は、記念広場、墓地広場が続きます。
◆記念広場(公祭广场)
◆墓地広場
多くの遺骨が発掘された「万人坑」が収められている建物内の撮影は禁止でした。
◆万人坑
最後は和平公園を歩いて出口となります。
◆和平公園
出口は敷地の西側にあるため、地下鉄駅に戻るまで1km程度歩く必要がありました。
南京博物院
午後からは「南京博物院」の見学となります。北京の故宮博物院、上海博物館と並ぶ中国三大博物館の一つで、旧石器時代から現代までの様々な所蔵品は43万点にも及びます。
最寄り駅は、地下鉄2号線の「明故宮駅」で、同じく2号線の雲錦路駅からは乗り換えなしで移動できます(約20分)。1番出口から上がると、南京でも1位か2位の大通りではないかと思われる東西に伸びる「中山東路」を東に進みます。歩道は大変混雑しており、露天のお店なども並んでいて、大変賑やかな通りとなっていました。
◆中山東路の歩道
途中、屋台が集まっている一帯もあり、こちらでも多くの観光客の姿がありました。
◆屋台の集まっている一帯
■11:40 南京博物院到着
◆南京博物院入口
南京博物院の敷地は広大で、文渊広場を中心として、正殿である歴史館のほか、特別館、芸術館などテーマ別に建物があります。
◆文渊広場
文渊広場を真っすぐ進むと正殿が見えてきました。
◆南京博物院正殿(歴史館)
以前の投稿で、南京の観光名所については日本語の情報が少ないと書きましたが、南京博物院についてはほぼ皆無で、外国人の場合の入場方法などが良く分からず下調べには苦労しました。まず、入場料は無料ですが、WeChatで事前の予約が必須です。予約時は中国の電話番号によるSMS認証が必要となります。中山陵や南京大虐殺記念館は日本の電話番号でも予約できたので、この点が外国人の訪問を妨げている一番の要因かと思われます。予約がなくてもパスポートの提示で入場できるという口コミもありましたが、さすがにギャンブルの要素が強すぎて一般の観光客にはオススメしません。
WeChatから南京博物院のミニプログラムをダウンロードして、予約画面に行くところまでは難しくありませんでしたが、希望の日程を選んで必要情報を入力後、完了ボタンを押してもエラーが発生して予約ができないという現象に見舞われました。これについては、諦めずに時間を置いて何回もトライしたところ何とか予約が完了しました。また、外国人の場合、予約ができてもQRコードは発行されず、サービスカウンターで別途入場券を入手する必要があります。いやー、めんどくさいですねw
今回は午後(12時半~)の枠を予約したのですが、大分早く着いてしまったので、時間まで広場にあるベンチに座って時間を潰します。南京大虐殺記念館の見学を終えてから真っすぐここまで来たのでちょうど良い休憩時間となりました。
■12:30 歴史館入場
歴史館に入った後は、入場ゲートの列には並ばずに、右隅にあるサービスカウンターに行き、予約情報とパスポートを提示して入場チケットを受け取りました。スタッフの女性は親切でしたが、英語はあまり通じず、中国語による説明を受けました。
◆入場チケット
入場ゲートでは先ほど受け取ったチケットをスタッフに提示すると、手動で入場することができます。こちらの施設への入場は本当にできるか不安だったこともあり、パズルを解いたような満足感があります。
ゲートを抜けた先は、歴史館2階の中央フロアとなり、サービスカウンターのほか、オーディオガイドがセルフでレンタルできる機械が設置されていました。歴史館は2階がスタート地点となっており、時計回りに進んで、1階に降りる流れになっています。
◆歴史館2階
まず一番最初は、「遠古印象」という名前で、恐竜の化石などを展示しているコーナーがありました。
◆恐竜の化石
第1部の前には「35万年前に南京に人類が誕生してから~」の序文が格式高く宣言されていました。
◆序文
第1部の先史時代のコーナーには、旧石器時代、新石器時代の発掘品が展示されていました。
◆旧石器時代(350,000~8,000年前)
◆新石器時代(8,000~4,000年前)
解説は中国語と英語のみでしたが、一つ一つが丁寧な内容で読み応えがありました。私個人としては、学習歴が長い英語の方が読めるはずなんですが、何故か中国語の方が書いてある内容が何となく理解できるという不思議な感覚に陥りました。一文字一文字をちゃんと読めているわけではないのですが、地名や人物名から内容が大体推測できるんですよね。これまで興味を持って中国史の本を読んできたおかげもあると思います。特に固有名称は漢字ならすぐ何のことかピンと来るのですが、これがアルファベットになるとさっぱりで、文章の構造は理解できても内容がイマイチ頭に入ってきません。この辺り、表意文字である漢字の強みを実感した瞬間でもあります。逆に、英語圏の方々はアルファベットだけの並びから良く頭の中で整理できているなと感心します。
ここまでは準備体操のような感じで、段々見ごたえのある展示になっていきます。
第2部は、青銅器時代から春秋・戦国時代がテーマとなっています。中国の中原(現在の河南省辺り)が夏や商(殷)の時代、現在の江蘇省一帯はまだ青銅の時代だったと説明されており、鼎などの発掘品が展示されていました。現在の状況からは想像するのが難しいですが、古代の江南地方は中原からは遠く離れた文明の遅れた化外の地と見なされていました。
◆青銅器時代(紀元前2,100~1,100)
春秋時代は邑(ゆう)と呼ばれる都市国家の連合体からなる国家が数多く存在しましたが、弱小国家は次々と併呑されていき、戦国七雄と呼ばれる7つの国に収斂します。呉越が勃興して中原に影響を及ぼすのもこの時代に入ってからです。呉越の後に江南一帯を支配したのが楚の国ですが、最終的には西方から起こった秦に滅ぼされてしまいます。
この辺りから、解説文を読んでいても、馴染みのある単語が次々と出てきて面白くなってきます。この時代、国家間による幾多の戦争が行われたことから、青銅の剣などの発掘品も並んでいます。呉越は名剣の産地として知られており、「越王勾践剣」などの名剣が有名です。
◆春秋時代(紀元前770~403年)
戦国時代になると、趣向を凝らした芸術性の高い発掘品も登場してきます。
◆戦国時代(紀元前403~221年)
第3部は、中国を初めて統一した秦王朝とそれに続く漢王朝の時代がテーマとなります。
こちらのコーナーは見応えのある展示品が多く、その中でもひと際注目を集めていたのが、「廣陵王璽」です。後漢の洪武帝劉秀の息子、廣陵王劉荊の印章であり、日本で発見された「漢委奴国王印」と年代的に近く、特徴も似ていることから日本の研究者からも注目されている一品でもあります。
◆広陵王璽
こちらの逸品は、前漢の皇族劉勝の陵墓から出土した「金縷玉衣」です。玉片を金の糸で繋ぎ合わせ、鎧のように全員を覆った玉衣は、この時代の劉氏一族の死装束であり、中国で初めて発見された最高級の玉衣です。
◆金縷玉衣(きんるいぎょくい)
編鐘と呼ばれる楽器ですが、残念ながら複製と書いてあった記憶があります。
◆編鐘(铜编钟)
以上で2階の展示は終わり、1階に降りて後半戦です。
◆歴史館1階
第4部は六朝時代です。中国の北方が戦争に明け暮れ、経済が低迷していったのに対し、南方は比較的安定していたことから、北からは多くの難民が移り住んできました。これに伴い、中国の経済の中心は中原から南方に移ります。北からの大量の人口の流入と農業技術の改善により、江南地方はかつてない規模で開発が進みました。
◆農業技術の革新
詳しいことは分かりませんが、この時代は青磁の技術が発達したようです。
◆青磁羊(青瓷羊)
◆青釉瓷神曾尊
この時代、磚画(せんが)と呼ばれるレンガに彫刻を刻んだものが墓室や祠堂に使われたそうです。
◆鼓吹出行砖画
◆羽人戏龙砖画
第5部は隋唐時代がテーマです。この時代の首都は長安(現在の西安)に戻りましたが、江南地方は引き続き順調に開発が進み、中国最大の穀物の生産地となります。唐の時代に成立した陶器として唐三彩が大変有名ですが、この時代はシルクロードを通じて西方との交流も盛んとなり、その象徴として三彩駱駝などの陶器が作成されました。
◆三彩駱駝
理由は不明ですが、このコーナーの片隅に前漢時代の金獣が展示されていました。純度99%と正真正銘の純金です。この時代にこれだけの精錬技術があった証拠になります。
◆西漢金獣
◆三彩双魚瓶
こちらの唐三彩は江蘇省揚州市の遺跡から出土したもので、中原地域の三彩陶器とは大きく特徴が異なるようです。二匹の魚をお腹合わせでくっつけた面白い形状をしています。
◆唐三彩双魚瓶
第6部は宋と元の時代です。
宋王朝の陶磁器は「宋磁」と呼ばれ、世界的に最も完成度の高い、洗練された美しさと多様性が特徴で、青磁や白磁などが生み出されました。唐王朝から宋王朝にかけて窯の技術が発展し、それまでになかった陶磁器を作り出せるようになり、日用品としても広く使われるようになり産業として盛んになりました。
◆宋磁
以前は、金や銀の器や装飾品は皇族や貴族のためのものでしたが、この時代になると金銀製品の産業が発達し一般の層も使うようになったそうです。
◆金の装飾品
◆金の食器(元王朝)
第7部は明と清の時代です。
元王朝の時代になると銅を用いて赤く発色させた釉里紅が作られるようになりました。こちらは明王朝の時に作られた釉里紅の大皿です。
◆釉里紅大皿(釉里红大盘)
大報恩寺の瑠璃宝塔のアーチは、中華門の外の跡地から不完全な形で発見されたもので、その後、資料等により復元されました。中華門の外にある「大報恩寺」は明の太宗永楽帝が母を弔うために建立したもので、担当したのは大艦隊を率いてインド洋を遠征をしたあの鄭和です。瑠璃瓦と白磁磚(レンガ)、瑠璃磚で建てられた美しい瑠璃宝塔は、明王朝、元王朝で南京が最も栄えたシンボル的な建物であり、中世の時代にはイタリアのピサの塔と並んで世界七大不思議の1つに数えられました。太平天国の乱で焼失してしまいましたが、現在は再建されています。
大報恩寺は地球の歩き方に記載されていない観光名所で、この瑠璃アーチを見て初めてその存在を知りました。
◆大報恩寺瑠璃アーチ(大报恩寺塔琉璃拱门)
明と清王朝の時代には、「紫砂器」が多くの人々に愛用されたようです。江蘇省宜興市で採られる鉄分とケイ素を多く含んだ陶土を用いて作られた陶器で、優美な形状と色彩、精緻な細工が特徴で、主に急須などの茶器が作られました。釉薬一切使わず、陶土の配合や焼き加減でこのような鮮やかな色を作り出しているそうです。
◆紫砂器
◆正面珐琅背面黑漆描金大座屏(清乾隆年間)
以上で歴史館の展示は終了です。館内はそこそこ混雑していましたが、人気の高い展示品も近くで鑑賞できる程度の余裕はありました。さすが中国の三大博物館に数えられるだけのことはあり、見ごたえのある展示品が多く大満足です。時系列順に、歴史的な背景を踏まえながらの展示も、中国史に対する理解を深める助けとなりました。日本でももっと注目度が高まったもおかしくない施設ではありますが、入場するまでの敷居の高さがネックなので万人にオススメしずらい面はあります。
夫子廟のライトアップを楽しむ
南京博物院から出ると13時半を過ぎており、まだお昼をとっていなかったこともあって、少しお腹が空いてきました。博物院からの帰り道、近くにあった屋台を眺めても食指を動かされるものがなかったので、ひとまずホテルに戻ることにしました。わざわざお店に入るのもめんどくさいなぁと考えていたのですが、そう言えば通りを挟んでホテルの向かいにある「林家瘦型鸭子店」というお店があったのを思い出したので、こちらで南京ダックを調達することにしました。南京市内にはアヒルを扱ったお店が多く、こちらも何店舗かを構えるチェーン店のようです。
◆林家瘦型鸭子店
南京ダック(南京烤鸭)は南京の名物料理で、北京ダックが宮廷料理であるのに対し、南京ダックは庶民のための料理で、パリパリに焼いたアヒルを大きくぶつ切りにしたものが出されます。北京ダックは基本皮だけ食べるのに対し、こちらは食べられる部分は全部口に入れます。ちなみに、南京のアヒル料理には「盐水鸭」という塩漬けにしたものがあり、実際はこちらの方が南京を代表する料理のようです。
店員さんとのやり取りは多少の苦労がありましたが、翻訳アプリと身振り手振りで何とかなりました。1羽まるまるはさすがに量が多いと思ったので、半分にしてもらいました。料金は約36元(約800円)です。これに醤油ベースのソースが入った袋が付いてきました。
ホテルに戻った後は、早速南京ダックを頂きました。以前、北京ダックを食べたときは、特に満足したような記憶がないのですが、こちらは美味しく頂けました。パリパリとした皮が美味しいのは勿論ですが、お肉の方も、そう言えばアヒルの肉を口にしたのは何年ぶりか忘れましたが、思ったほどのクセもなく口に合いました。ソースとの相性も良く、この量を食べきれるか心配でしたが、余裕で完食できました。
◆南京ダック
ホテルでしばらく休憩した後は、体力的にはまだ余裕があったので、南京最後の夜を再び夫子廟で過ごすことにしました。夜になってからの訪問は初めてでしたが、日中の時よりは明らかに観光客が多く、どこもかしこも賑わっていました。
◆北門牌楼
◆貢院西街(贡院西街)
◆貢院街(贡院街)
◆天下文枢坊
残念ながら、夫子廟入口のダサい飾りも変わっていません。
◆夫子廟入口
秦淮河はライトアップがされ、昼間とは異なる景観となっています。奥に見えるのは「文徳橋」です。
◆文徳橋
◆秦淮河の景観
夫子廟を一通り散策した後は、ホテルの周辺も少し歩いてみました。同じ健康路でも、夫子廟駅周辺が雑多な雰囲気だったのに対し、少し西に歩いて大通りの「中華路」付近まで来ると、大分洗練された感じに変わってきます。
◆健康路
健康路と中華路が交わる一等地には、「鹏欣水游城」という大型のショッピングセンターがありました。水游城は日本語にするとアクアシティになります。
◆鹏欣水游城
中華路も少し歩いて見ましたが、現代の中国を象徴するような高層ビルや高層マンションが立ち並んでいました。
◆中華路
中華路から一本細い通りに入ると、大衆食堂などが並ぶ昔からある中国の景観もありました。
◆慧园街















































































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