2025年3月10日(月) 8日目
ホテルにて
今朝も7時過ぎに朝食会場に向かったのですが、昨日のような混雑はなく空いていました。一品料理が提供される奥のカウンターにも誰も並んでいなかったので、気になっていた麺料理を頼んでみました。何とか片言の中国語で注文し、呼び出しベルを受け取って待つこと数分、ベルが鳴ったので麺とスープが入っただけのお椀を受け取ります。カウンターの脇には、野菜や唐辛子などの具材が並べられているので、自分の好みに合わせてトッピングして食べる流れのようです。透明のスープは見た目通りの薄味で、何をベースにしているのかは分からなかったのですが、全くクセのない上品なスープなので日本人の口に合うと思います。白の細麺はソウメンのような柔らかい食感でした。スープも麺も全く自己主張をしていないので、何をトッピングしてもそれなりに美味しく食べられる料理になっていました。杭州には、「片儿川」という変わった名前の名物料理があり、最初はこれに該当すると思ったのですが、インターネット上に挙がっている特徴とは異なる部分もあるので、あまり自信はありません。麺料理以外については、定番の野菜料理などを多めに頂きました。デザートについては、今日は何種類ものお菓子が並んでおり、中には「桂花糕」という中国の伝統的なお菓子もあったので、ついついお皿に取ってしまい、お腹いっぱいになるまで食べてしまいました。
◆朝食
部屋に戻る途中、今日になって初めて気づいたのですが、建物の中央は吹き抜けになっており、観葉植物や観賞用の石などが置かれており、景観の良い空間が演出されていました。
◆吹き抜け空間
京杭大運河(拱宸橋西歴史文化街区)
杭州に滞在中、西湖の次に見たいと思っていたのが「京抗大運河」です。北京から黄河、長江を横断し、杭州までを結ぶ、総延長1,794kmの大運河です。現在も利用されている世界最長の運河であり、最も規模が大きく、歴史も長い、豊かな文化遺産としての価値を持っています。2014年には世界遺産に登録されています。
京抗大運河は春秋時代より開削が始まり、2,500年以上の歴史があります。運河の開発は、春秋時代、隋代、元代の三つの時期に大きく発展しました。運河にまつわる有名な話としては、隋の第2代皇帝の煬帝は、大運河の建設にあたり、多数の人民を徴発したため、この負担が隋の滅亡に繋がったと言われています。王朝を滅亡させた煬帝の評価は厳しいものが多いのですが、後世の経済的文化的発展に多大な貢献をした側面は否定できません。
大運河沿いには観光名所も多く、「地球の歩きかた」には5ヵ所が紹介されているのですが、この本の最新版(2019-2020年)が出版された時点では、どこもアクセスが若干面倒な印象がありました。現在は地下鉄の路線が大幅に増えてことで、格段に良くなり、この中でも、「拱宸橋西歴史文化街区」が良さそうだったので行ってみることにしました。この観光名所はホテルから北に約10kmの位置にあります。
ホテルは8時40分頃に出ました。一昨日、地下鉄を利用した際の大混雑が頭から離れず、通勤の時間帯にはできるだけ被らないように留意したおかげか、今朝の龍翔橋駅は比較的空いており、余裕をもって行動できました。駅の入口前の、凄まじい数の歩行者が行き交っていた交差点も、この時間帯は静かなもので、先日との落差が激しすぎて、これが同じ交差点なのかとにわかには信じられません。
◆延安路と平海路の交差点(龍翔橋駅前)
龍翔橋駅から1号線と5号線を乗り継いで、約40分で最寄りの「大運河駅」に到着です。結構な距離を乗ったにも関わらず料金はたったの4元(約90円)と、相変わらずの安さを実感します。1号線はそこそこ混雑していましたが、十分許容範囲でした。5号線は杭州を南北に走る路線で、新しい路線なので駅も車両も綺麗でした。
大運河駅周辺は、最近開発が進んだエリアのようで、大通りや遊歩道は整然としており、同じようなビルやマンションが立ち並んでいました。ただし、平日の昼間だからなのか分かりませんが、人の気配はあまりなく閑散としていました。
大通りの「橋弄街」を東に向かって約10分歩くと、拱宸橋西歴史文化街区に到着しました。
◆橋弄街
■9:30 拱宸橋西歴史文化街区
まだ時間帯としては早いのかもしれませんが、西湖の遊歩道を散策していた時に比べると、寂しい感じは否めません。入口から入ってすぐのところに、朝食が食べられるお店があったのですが、揚げパンや豆漿といった定番の朝食メニューが並んでおり、店内のお客さんが美味しそうに食べていたのが記憶に残っています。蘇州にも南京にも、また杭州のホテル周辺にもこの手のお店を全然見かけなかったんですよね。
◆入口近くの様子
少し歩くと、大運河に架かる「拱宸橋」が見えてきました。拱宸橋は大運河の最南端に位置する、杭州にある古い橋の中でも最も高く、最も長いアーチ状の石橋です。長さは約92m、高さは約16mです。明代の1631年に建造されたもので、「宸」は皇帝の宿泊する場所を意味し、「拱」は拳を手で包むという歓迎の意を表す動作のことをいいます。即ち、拱宸橋は皇帝が杭州を視察に訪れた際の、皇帝に対する歓迎と敬意を象徴しています。
◆拱宸橋入口
拱宸橋は16mもの高さのあるアーチ橋なので、橋を渡るには勾配のある石段を上り下りする必要があります。下から見上げると、普通の石段にしか見えません。
◆石段
拱宸橋の中央からの大運河の景観は良く、絶好の撮影ポイントにもなっています。この運河が遥か彼方にある北京まで繋がっていると思うと感慨深いものがあります。橋の北側には、船舶の停泊所が見えました。
◆拱宸橋からの景観(北)
南側には古くからある伝統的な中国建築が並んでいます。
◆拱宸橋からの景観(南)
拱宸橋を渡った東側は、「運河文化広場」があり、お馴染みの牌坊や東屋などの建物がありました。広場の隣には「杭州京杭大運河博物館」があるのですが、今日(月曜日)は定休日だったので、見学することはできませんでした。
◆運河文化広場
◆橋のたもとに建っている東屋(休息亭)
◆拱宸橋の景観(北東から)
橋の東側は特に見どころが無さそうだったので、西側に戻りました。ちょうど橋の下を小さい貨物船が通る所でした。現代になっても、この大運河は地元の商業活動を支える重要なインフラになっているようですね。
大運河の西側、拱宸橋の南側は、古い街並みが再現された一帯となっています。
◆運河沿いの通り
◆路地
南に少し歩くと、見晴らしの良い場所があり、すぐそばには京抗大運河の石碑が立てられていました。
◆京抗大運河の石碑
◆拱宸橋の景観(南西から)
周辺には、杭州美術工芸博物館をはじめとして、いくつかの文化施設もあるようです。
◆杭州美術工芸博物館
少し奥の方も歩いて見ましたが、特に見どころはなさそうだったので、こちらの見学は終了となります。地下鉄駅に戻る途中、来た道を戻るだけなんですが、先述したように、どの通りも同じようなビルやマンションが並んでいる景観だったので、地図アプリを見ずに適当に歩いていたら、別方向に進んでいましたw
◆奥の方の様子
清河坊街
この後は、杭州の観光名所として良く紹介される「清河坊街(清河坊街歴史街区)」に行きました。西湖の東部、呉山の麓に位置する、南宋時代にその名の起源をもつ、商業貿易で栄えた一帯となります。杭州で唯一、比較的無傷のまま当時の面影が残っている古い地区であり、杭州の長い歴史の縮図でもあります。清河という名前は、南宋の太師であった張俊に由来するそうです。
本当は、霊隠寺や六和塔などの観光名所に興味があったのですが、時間的にも体力的にも厳しそうなので、今回は縁がなかったと思って諦めました。
清河坊街は、ホテルがある杭州の中心部からは南に約2kmの場所にあります。拱宸橋西歴史文化街区から考えると、距離はそこそこあるのですが、アクセスは難しくなく、地下鉄の5号線を使うと近くまで移動できてしまいます。40分近く乗車していたのですが、運よく座れたのでちょうどよい休憩時間になりました。江城路駅に到着後は、7号線に乗り換えて1駅で呉山広場に移動します。
駅から出て少し東に歩くと、清河坊街の西側の入口が見えてきました。ここまで合わせて1時間ぐらい掛かったのですが、地下鉄が無かった時代であれば、バスを乗り継いでくる必要があり、2時間近くは必要だったと思うので利便性は良くなっていると思います。
■10:55 清河坊街
さすがに有名な観光名所なので、先ほど見学した拱宸橋西歴史文化街区に比べると観光客の数はグッと多くなり、平日の昼間と考えればそれなりの賑わいを見せていました。個人的な感想としては、蘇州の山塘街や南京の夫子廟と同じような景観であり、良くも悪くもテーマパーク化してしまっている印象を受けました。通りを歩いていて目につくのは、杭州の有名なお茶である「龍井茶(ろんじんちゃ)」や、中国の伝統的なお菓子である「桂花糕」を売っているお店がいくつもあったことです。
◆清河坊街の景観
通りには、色々置かれていたのですが、一番印象に残ったのが「弥勒仏像」と名前の付いた銅像です。
◆弥勒仏像
◆清河坊街の景観
お店が集まっている賑やかな通りは約500mほどで、東の終点らしき場所まで歩いた後は「打銅巷(打铜巷)」という名前の通りを南に進みます。この先に、事前に調べておいたレストランがあります。
◆打銅巷
歩いていると立派な門構えの建物が見えてきました。「鼓楼」といい、かつては「朝天門」と呼ばれていたそうです。五代十国時代の呉越の王が杭州の城壁を拡張した際に建てた城門の一つです。
◆鼓楼(北側)
◆鼓楼(南側)
鼓楼を抜けた先の通り「中山南路」は美食街が刻まれた門があり、名前の通りレストランや小吃のお店が並んでいました。個人的には、鼓楼を含め、この辺りの風情のある景観が印象に残っています。
◆中山南路(美食街)
◆望仙閣(望仙阁)
新周記 鼓楼店
美食街入口のすぐそば、呉山の南側の通り「十五奎巷」沿いにある「新周記 鼓楼店」にて少し早めの昼食にしました。地球の歩き方に紹介されている、杭州料理を提供するチェーン店です。
お店がオープンした11時ちょうどぐらいに入店したにも関わらず、店内は既に多くのお客さんの姿がありました。スタッフの方は私が外国人だと分かっても頑なに中国語しか話しませんでしたw 話している内容が通じていないのが分っていても、徹頭徹尾中国語で通そうとする姿が、個人的には面白く、日本人もこういう強さは見習っても良いと思います。まあ、私は無理ですけど。ただ、スタッフの方々の対応は基本的に親切で、こまめにお茶を注ぎに来てくれたりなど、気の利いたサービスが印象に残っています。
◆お店の外観
こちらのお店では、中国では主流になっているQRコードにより注文を行いました。テーブルに印字されているQRコードをスキャンすると、写真付きのメニューが表示されるので、料理を選択して決済することで注文が完了します。この方法だと、中国語によるスタッフとのやり取りが必要最小限で済む上、注文誤り等のリスクもないので大変助かります。相変わらず、料理名は漢字の羅列にしか見えませんが、写真が付いているので何とかなりました。また、中国あるあるですが、基本的にはどの料理も何名かで分けながら食べる想定になっているので、1人で食べるには量が多いんですよね。結果、あまり品数を注文することができず、消化不良になるケースがままありました。今回は、地球の歩き方でオススメされていた、杭州の名物料理である「東坡肉(トンポーロー)」は必須として、後はスープ(西湖莼菜汤)とほうれん草の炒め物(普宁豆酱炒菠菜)を頂くことにしました。注文が完了すると近くにいたスタッフがすぐに注文票を持ってきました。料金は順番に、19元、25元、23元、これにナプキン料金の1元が加算されて、合計68元(約1,500円)でした。注文した品数が少ないとは言え、思ったほど高くなく、庶民向けのレストランという紹介は間違っていないようです。他にも気になった料理はいくつもあったのですが、絶対食べきれないと思ったので諦めました。周りのテーブルを見渡すと、皆さん見たことがないような美味しそうな料理を食べています。
注文後、それほど待つことなく料理が運ばれてきました。まずスープの入ったお皿の大きさに驚きましたw 透き通るスープは、見た目通りの超薄味で、何をベースにたものなのかは分かりませんでしたが、ジュンサイなどの具材との相性も良く大変上品な味わいでした。ほうれん草の炒め物は、日本でも食べられるようなシンプルなバターによる炒めものでしたが、バターの濃厚さが効いていて美味しかったです。最後の東坡肉ですが、これは豚の角煮の一種で、大詩人で政治家でもある蘇軾が考案したとされています。蘇軾は、昨日散策した西湖の蘇堤を築いた人物とした紹介しました。まず、量は1人で十分に食べられる大きさでした。良く煮込んでいるようで、箸で簡単に肉を分けることができました。豚肉の柔らかさと、皮の部分のプルプルの食感が最高に良く、醤油ベースのタレも絶品で、これは文句なしにオススメできる美味しさでした。量はそれほど多くないとはいえ、たった19元なのも驚きです。
◆西湖莼菜汤
◆普宁豆酱炒菠菜
◆老杭州东坡肉
3つの料理を並べるとこんな感じになります。スープのお皿の大きさが伝わりますでしょうか?
◆テーブルの様子
呉山
お店を出た後は、少し寄り道して呉山を通って戻ることにしました。呉山は高さが約100mと、山というよりは小高い丘といったところでしょうか?呉山という名前は、春秋時代に呉国の南側の国境になっていたことから来ているそうです。
お店の前の通り(十五奎巷)を少し西に進むと、山頂に続く「暁霞弄」と呼ばれる南側の参道があるので、ここを登ります。最初は石段が続きます。
◆暁霞弄
途中、休憩用の東屋や地図アプリにも記載されていない建物などがあり、道路が少し平坦になった辺りで「薬王廟」という大きな建物があったので入ってみました。表札の薬の字が難しすぎて、最初に見たときには何の字なのか分かりませんでした。
◆薬王廟(药王庙)
薬王廟、元の名前は、「恵英寺(惠应庙)」、俗称は「皮場廟(皮场庙)」といいます。宋代の始めに建造され、漢代の相州の毛皮市場の管理人だった張森を祀りました。伝説によれば、張森は毛皮市場に発生した大量の毒サソリを速やかに駆除して、地元の人々を災難から救ったそうです。明と清代になると、恵英寺は次第に神農(俗称:薬王菩薩)などを祀る薬王廟に変わりました。
本堂には人の気配は無く、焚かれていたお香の匂いが充満していました。
◆本堂
◆本堂の中
薬王廟を出て道なりに進むと、「城隍閣」の入口が見えてきました。麓からはここまで約15分と言ったところです。「城隍閣」は呉山の山頂にある、高さ41.6m、7階建ての建物です。南宋や元の時代の建築様式を反映した造りになっています。西湖や杭州の街を一望できる絶景スポットで、夜景観賞の穴場にもなっているようです。勿論、入場するには30元が必要です。今日は昨日と同様、上空は厚い雲が覆っており、西湖の景観を見るタイミングとしては良くなかったので入場しませんでした。一応、建物の外観だけでも撮影できないかと思ったのですが、入口からは何も見えませんでした。また、入口近くには「呉山大観(吴山大观)」と刻まれた石碑がありました。呉山大観は新西湖十景の一つ、呉山のを指す言葉だそうです。
◆呉山大観の石碑
◆呉山景区
山頂からの下りは、北側の参道である「糧道山」から清河坊街のある呉山広場に戻りました。
◆糧道山
◆呉山景区入口
再び、清河坊街に戻った後は、清河坊街と交差する、南北に伸びる通りである「南宋御街」の方にも足を伸ばしてみました。南宋時代の都、臨安城の中軸線となる大通りで、皇帝が祖先の供養に行くために利用した専用の道路だったそうです。清河坊街に比べると静かな雰囲気で、個人的にはこちらの方が気に入りました。
◆南宋御街
◆杭州市歴史文化街区石碑
南宋御街の北側まで歩いた後は、地下鉄1号線の定安路駅に移動し、地下鉄を利用してホテルに戻りました。ホテルに到着すると、2階朝食会場では、日中限定ですが、コーヒーのセルフサービスあるので、部屋に戻る前にこちらで休憩がてら一杯頂きました。
◆コーヒーのサービス
武林夜市
昨日調べ物をしていたところ、この日になって初めて「武林夜市」という屋台やフードコート、大衆食堂が集まるエリアがあることを知りました。地球の歩き方には全く記載されておらず、インターネット上でも情報は少なく、完全に盲点となっていました。
ホテル周辺は、利用したいと感じるお店があまり無かったので、武林夜市なら良いお店が見つかるかもしれないと思ったので行ってみることにしました。
武林夜市は、ホテルから約1.3km北にあり、一応徒歩で行ける場所にあります。地下鉄を利用する場合、ホテル最寄りの龍翔駅から一駅北の「鳳凰駅」が最寄りとなります。
18時少し前にホテルを出て、まずは、大通りの「延安路」の西側に平行に走っている東坡路を北に進みます。延安路が表通りだとすれば、裏通りのような位置付けかと思います。
大きな交差点が見えてくるのですが、角には大きな建物があったので記憶に残っています。「中国広廈西湖時代広場」という名前のテナントビルのようです。
◆東坡路と武林路の交差点
◆中国広廈西湖時代広場
交差点の先は通りの名前が「武林路」となり、大きなホテルが並んでいるエリアとなっていました。高そうなレストランもいくつか見かけました。間もなくすると、通りに沿って並ぶ屋台が見えてきました。今日は平日だからなのか分かりませんが、この辺りは営業していないお店ばかりでした。また、保安関係と思われる職員が、道路の真ん中にバリケードを設置して歩行者天国にしている最中でした。
◆武林路
大衆食堂のお店も多く並んでいて、麺料理から肉料理、火鍋など様々で、ホテル周辺よりは利用し易そうな印象を受けました。
◆大衆食堂
さらに進むと武林夜市と思われる多くの屋台の集まる一帯がありました。こちらはかなりの盛況ぶりで、行列ができている小吃のお店もありました。大部分は中国人観光客ですが、外国人観光客の姿もチラホラあり、それも多種多様で、欧米や中東などから来たと思われる観光客の姿もありました。西湖でもほとんど外国人は見かけなかったので、それなりに外国人はいるんだなと初めて認識しました。
◆武林夜市
武林夜市の少し北には、レストランやファーストフードが並ぶ通りや大きなフードコートもありました。フードコートで食事をした日本人観光客のブログがいくつかあったので、少し中を覗いてみましたが、良くも悪くも同じようなお店ばかりで、特別食べたいと思うお店は見つかりませんでした。
◆レストランの並ぶ通り
◆フードコート
この後も、少しウロウロして行ったり来たりしたのですが、朝と昼にちゃんと食事をしてしまった影響か、イマイチ気乗りがせず、結局どのお店にも入らず仕舞いとなりました。何のためにここまで歩いて来たのか分からなくなりましたが、我々外国人観光客が頭の中で描く中国っぽい雑多な風景が見れたので良しとします。武林夜市からの帰りは、延安路を歩いて、洗練された街並みを眺めながら戻りました。
◆延安路
































































コメント