ベトナム北部・中部の世界遺産を巡る2 千年の古都ハノイを観光

4月11日~12日の2日間、首都ハノイを観光しました。旅行会社のツアーなどを見ると、ハノイの立ち位置はいつも微妙で、市内観光に割かれる時間は短く、ハロン湾やニンビン(チャンアン)の方に重きが置かれています。ベトナム旅行を扱ったブログやYoutubeを見ていても、ハノイは人によって評価が分かれている印象があります。私個人の感想としては、ハノイは千年の歴史を持つ古都、歴史的価値のある建築物が多く、時間を割いて観光する価値があると感じました。中国との密接な関わりなど歴史的背景を抑えておくとより深く楽しめます。

気候に体が慣れない中、体力を削らないようにいつにも増してスローペースで観光したこともあり、ホー・チ・ミン廟、タンロン遺跡、文廟、旧市街といった有名どころしか回ることができなかったのが心残りです。

ホー・チ・ミン廟

ホー・チ・ミン廟は、ベトナム建国の父、ホー・チ・ミンの遺体が安置されている場所です。

ホー・チ・ミンは、フランスの植民地時代からベトナム戦争にかけて、ベトナムの指導者として独立と南北統一を導いた人です。大変高潔な人物として知られ、また親しみやすい風貌と人柄から国民の尊敬を集め、今なお愛されています。独裁体制や神格化を望まないなど稀有な存在でもありました。

余談になりますが、以外に知られてない事として(私も知ったばかりですがw)、このホー・チ・ミンという名前、実は本名ではなくて、1942年、中国に潜入するため中国人を装うように作った名前なんだそうです。漢字で書くと「胡志明」になります。本名は「グエン・シン・クン」といいます。

ここは見学可能な時間が午前中に限られていて、時期によって時間帯が異なるため注意が必要です。例えば、私が訪問した4月であれば、月曜日と金曜日以外の7:30~10:30の間となります。大変混雑するため早朝から訪問することが推奨されています。

実は私も旅行の日程が決まった後に知ったので少し焦りました。日程的に可能だったのが、ベトナムに入国した翌日、11日木曜日の朝だけでした。先の投稿でも書きましたが、フライトが大幅に遅延していたら、早朝からの観光は難しく諦めていたと思います。幸運にも予定通りハノイに入れましたので訪問することが叶いました。ホーチミン廟は、旧市街から見て西にあり、ホテルからは約2kmの距離があります。Grabでタクシーを呼ぶか逡巡しましたが、まだハノイに到着したばかりで、歩きながら街並みを見たいという思いもあって、ひとまず徒歩で向かってみました。

道路に出ると、噂に聞いていた通りのカオスな交通状況で、大量のバイクが行き交っています。歩道はあるのですが、平気でバイクが乗り込んで来るし、露店などによって塞がれていたりと、歩道として機能していません。スマフォのGoogle Mapなどを見ながら下を向いて歩いていると、頻繁に物や人に接触しそうになったりするので、全方位に注意を向けながら歩く必要があると実感します。これも有名な話ですが、歩行者用の信号機が少ないため、道路は自力で横断する必要があり非常にストレスが伴います。

今回も歩いている途中、2つの大きな通りがぶつかる大きな交差点がありました。後から調べたのですが、南北に伸びるホアンジウ通りとホーチミン廟に向かって斜めに伸びるディエンビエンフー通りであることが分かりました。こんなに大きな交差点でも歩行者用の信号機がない事に、皮肉でも何でもなく素直に感心してしまったのですが、どうやらここを渡るしかなさそうです。途切れなく車やバイクが行き交う中、事前に予習した通り、片手を挙げながら一定の速度で、こちらが車両を避けるのではなく、向こうに避けてもらうような感じで渡りました。

ディエンビエンフー通りを歩いていると、フラッグタワー(国旗掲揚台)やレーニン公園などが見えました。フラッグタワーは、軍事博物館内にある建物で、1812年に阮(グエン)朝のザーロン帝(嘉隆帝)により、ハノイ城内に監視塔として建てられました。レーニン公園は、1979年に中越戦争が終結した後、他の社会主義国に倣って建てられたようです。

◆フラッグタワー(国旗掲揚台)

flag tower

◆レーニン公園

lenin park

ハノイには環状交差点(ラウンドアバウト)が多く配置されています。これはフランス統治時代の名残のようです。日本ではほとんど見ることが無いため、珍しくてついつい見入ってしまいます。

◆環状交差点

hanoi roundabout

遠目にホー・チ・ミン廟が見えてきました。間にある緑の広場はバーディン広場と呼ばれ、1945年にホー・チ・ミンによって、ベトナムの独立宣言の演説が行われた歴史的な場所です。芝生は大変綺麗に手入れされています。だだっ広い空間にポツンと建物があるのも、いかにも社会主義国らしいなと感じました。

◆バーディン広場

badinh square

さて、ホー・チ・ミン廟が見えたのいいのですが、肝心の入口らしきものが見当たりません。事前の不勉強を痛感しましたが、ここから少し離れた廟の西側にあることが分かりましたので、そちらに向かいます。この辺りは道路や歩道が広く清掃も行き届いており、バイクで乗り入れるような地元の方々も皆無で、旧市街とは全く異なる雰囲気です。

9時少し前に入口に到着しましたが、既に長い行列ができていました。

入口を抜けると、手荷物検査場があり、大きな荷物はクロークに預ける必要があります。私もリュックサックを背負って来たので、指示された通り預けました。荷物を預けるのは抵抗があったのですが、仕方ありません。ここについては、できるだけ軽装で来た方が良いと感じました。

廟内での写真撮影は禁止です。ポイントポイントで、制服姿の軍人さんが厳しい表情で立っているため、緊張感のある雰囲気でした。行列は長かったのですが、20分ほどで廟の中に入れました。廟内は空調が効いていて肌寒いくらいでした。階段を上がると間もなくですが、立ち止まることは許されないため、ホー・チ・ミンの遺体は一瞬しか見ることができませんでした。行列にはベトナム人の観光客も多くいて、皆さん遺体の前で深くお辞儀していたのが印象に残っています。共産主義特有の上からの押し付けではなくて、本当に国民から尊敬されていたのが分かる光景でした。

◆ホー・チ・ミン廟入口

hochimin mausoleum entrance

廟の中に滞在できたのは数分程度、あっという間に終わってしまいました。出口から出た後は、ホー・チ・ミンが執務を行った住居、その名も「ホー・チ・ミンの家」を観光する流れになっています。ここは別途ゲートがあって入場チケットも購入する必要があるのですが、私は荷物が心配だったので、一旦クロークに戻ることにしました。これが失敗で、逆方向にそこそこの距離を歩いたこともあり、荷物を回収した後は、再度行く気分では無くなってしまいました。さらに、一柱寺と呼ばれる有名な歴史的建築物もあったのですが、場所が良く分からなくて見逃しています。

◆ホー・チ・ミン廟外観

hochiminh mausoleum near

タンロン遺跡

ハノイで一番行きたかったのが「タンロン遺跡」です。11~19世紀に栄えたベトナム諸王朝の中枢が置かれた場所で、各時代の遺跡が重なっているのが特徴です。

世界遺産にも登録されているのですが、「地球の歩き方」だと星2つ(最大星3つ)と微妙な評価、ホテルで貰った観光マップにも明確に記されておらず、これは行ったらショボくてガッカリするパターンか?なんて思っていました。実際のところは、敷地は広大で見どころは多く、展示されている資料も充実していて、良い方に期待が裏切られました。ここは朝の体力のあるうちに訪問すれば良かったと痛感しました。というのは、ここは短時間の観光で済むと軽く見積もっていたため、朝からホーチミン廟、後述するタイ湖(西湖)周辺を先に観光し、そこから2kmほど歩いてタンロン遺跡まで移動するという、今考えると無謀なプランにしてしまいました。実際、タンロン遺跡に着いた頃には若干疲れ気味で、気温の上昇も伴って集中して観光することができませんでした。

以前の投稿でも書いた通り、ベトナムは10世紀中頃まで中国の支配下にあり、独立した後も国内は安定せず、呉朝、丁朝、前黎朝と3人の王が現れましたがいずれも短命に終わります。この頃、首都は現在のハノイではなく、ハノイの北部やホアルー(ニンビン)にありました。1010年になると、ようやくベトナム最初の長期政権である李王朝が開かれ、首都をホアルーから現在のハノイに移すことに決め、タンロン(昇龍)と名付けました。タンロンという名称はここから来ています。以後、1802年に阮朝(グェン朝)が成立して、首都が中部のフエに置かれるまで一貫して諸王朝の首都として栄えました。

◆タンロン遺跡-チケットオフィス入口

thang long imperial citadel entrance

最近、ベトナムでは観光スポットの入場料の値上げが頻繁に行われていると聞いていたのですが、ここも例外に漏れず、地球の歩き方で3万ドン(約190円)と記載されていたのが、7万ドン(430円)に上がっていました。

チケットオフィスを出て、ランタンが飾られた道をしばらく進むと、タンロン遺跡のシンボルである端門(ドアン門)が見えてきました。

◆タンロン遺跡入口

thang long imperial citadel south of street

端門は、黎朝(レー朝)の15世紀に建てられ、阮(グエン)朝時代に補修されました。端門には5つの出入り口があり、中央の一番大きな入り口は皇帝用のものです。

◆端門(ドアン門)

thang long imperial citadel main gate diagonal

thang long imperial citadel main gate front

門を抜けると、発掘調査の跡がガラスケースに覆われた形で展示されていました。

◆発掘調査の跡

thang long imperical citadel traces of excavations

門の脇には、楼閣に上がるための階段があります。

◆階段

thang long imperial citadel main gate steps

◆端門二階

thang long imperical citadel second floor

二階からの景観は上々で、南側には今朝見たフラッグタワーが見えます。フラッグタワー、端門、そして北側にある敬天殿、後楼、北門は一直線に綺麗に並んでいます。

◆端門二階からの景観

thang long imperial citadel view

端門から北に進むと、資料館がありました。出土した各時代の品々やパネルなどが展示されていました。展示は大変充実していて、パネルも興味深くて読み応えがあったのですが、疲れ気味だったのであまり頭に入りませんでした。

◆屋根隅に配置される龍頭の装飾(李朝、11~12世紀)

roof corner dragon head decoration

◆お皿とお椀、セラミック緑色釉(唐、10世紀)

small dish and bowl

◆大砲(黎朝、16~18世紀)

canon

◆大きな鐘

big bell

タンロン遺跡の中心にあるのが、敬天殿(キンティエン殿)です。宮廷で最も厳粛な儀式が執り行われ、外国からの使者への謁見などに使われた重要な建物です。1428年に、黎朝のレー・タイトーによって建設が始まり、レ―・タイ・トンの治世下で完成しました。宮殿はその後、フランス植民地時代に取り壊されてしまったため、現在残っているのは手前にある「龍の階段」のみで、これは黎朝前期の彫刻を代表する傑作と言われています。

◆敬天殿(キンティエン宮殿)

kinh thien palace front

◆龍の階段

kinh thien palace dragon steps

宮殿の周辺は、門でいくつかのエリアに区切られていました。当時は、衛兵によって厳重に警備されていたのが伺えます。歴史を感じさせる趣のある門でした。

◆敬天殿近くにある門

thang long imperial citadel side gate

thang long imperial citade side gate

敬天殿の裏にも資料館がありました。木版や玉璽など、こちらの展示も充実していました。

◆木版

thang long imperial citadel woodblock

◆玉璽

thang long imperical citadel seal

敬天殿から少し北に行ったところにあるのが、D67作戦司令部です。予備知識なく見学していたので、周囲と明らかに異なる近代的な建物が現れて、何だこれは?と戸惑いを覚えました。

ベトナム戦争が始まった後、1666年、米国空軍はハノイの空襲を開始します。1967年、空襲がますます激しくなる中、作戦司令部がこちらに置かれ、ベトナム共産党の政治部中央軍事委員会による重要な会議が開催されました。

◆D67作戦司令部

d67 revolutionary house

◆地上会議室

house d67 main meeting room

建物の両側には地下に続く階段があり、地下会議室などを見学することができました。

◆地下会議室

house d67 underground meeting room

D67作戦司令部から、さらに北に進むと後楼がありました。黎朝後期に建てられ、女王と王女の日常生活の場所でした。19世紀の阮(グエン)朝時代になり、都がフエに移ると、王に同行した側室や従者の宿泊所として使用されるようになりました。

◆後楼

thang long imperial citadel lady pavilion exterior

後楼の奥には最後の見どころである北門があるのですが、ここから直接行くことができませんでした。どうやら、一度外に出て、北門のある通りまで歩かなければならないようで、体力的に限界だったので諦めました。また、少し離れたところに発掘調査現場もあるらしいのですが、勿論こちらもパスしました。本当にタンロン遺跡は見どころが多く、速足の観光になってしまったのがつくづく残念であります。

旧市街

ハノイ観光の定番と言えば旧市街です。旧市街は、1010年にハノイに首都が置かれてから商業の街として発達しました。宮廷に献上する品物を造らせるために各地から職人を集め、同じ職種ごとに坊と呼ばれる組合が作られ、通りに分かれて住まわせたことが始まりです。時代と共に通りの数は変わり、黎朝時代に36の坊と通りがあったことから「旧市街36通り」と呼ばれるようになりました。15世紀頃から中国からの移民である華僑が住み始め、一層賑やかな商業地区に発展しました。

現在立ち並ぶ建物の多くは、フランス植民地時代に建てられたものですが、15世紀からの通りや神社などの歴史をもつ建物も残されています。

旧市街の観光スポット

旧市街については時間を掛けて観光していません。風情のある街並みを見ているのは楽しかったのですが、いかんせんどこに行っても交通量が多いのがネックで、鳴りやまないクラクションの音もストレスで、田舎に住んでいるオッサンとしては厳しいものがありました。

結局、ホエンキム湖、玉山祠、ハノイ大教会という有名な観光名所を見つつ、食事やカフェに行ったタイミングで、周囲を歩き回った程度です。一ヵ所、北東に東河門(ドンハー門)という観光名所があるのですが、行くのを失念しました。

旧市街の観光は、ランドマーク的な場所であるドンキンギアトゥック広場から始まります。ホアンキエム湖の北に面した場所にあり、近くには玉山祠もあるため、多くの外国人観光客で賑わっています。昼間はラウンドアバウトの交差点になっており、ハノイで一番交通量が多い場所と言われ、大量のバイクや車両が行き交います。にもかかわらず、横断歩道がないという素晴らしさでw、横断するのが非常に大変です。週末の夜はナイトマーケットが開かれると歩行者天国になるようです。

ハノイ市内を巡るオープントップバスのスタート地点にもなっています。2枚目の写真の手前に見えるビルにはレストランやカフェが入っており、ホアンキエム湖を見渡しながら食事を楽しむことができます。

◆ドンキンギアトゥック広場

old quarter dong kinh nghia thuc square0

old quarter don kinh nghia thuc square

◆ホアンキエム湖

hoan kiem lake near ngoc son temple

◆ハンガン通り

old quarter hang ngang st

ホアンキエム湖の西側から数分歩いたところにあるのが、ハノイ大教会です。天に向かって左右に伸びる二つの劣塔が特徴です。1886年、仏教寺院の跡地に建てられ、現在の姿に至ったのは1900年になります。

◆ハノイ大教会

st josephs cathedral near

内部は美しいステンドグラスで飾られています。今回訪問した際、ちょうど荘厳な雰囲気の中、ミサが行われていました。

◆教会内部

st josephs cathedral inside

玉山祠(ゴックソン祠)

ホエンキム湖に浮かぶ玉山島(ゴックソン島)の上に建っているのが、玉山祠(ゴックソン祠)です。13世紀の陳朝の時代に、この島の上に小さな寺が建てられたのが始まりで、現在の建物は18世紀に建立、後に再建されたものです。こちらも入場料が値上がりしており、3万が5万ドン(約310円)に上がっていました。

テーフック橋に至るまで、3つ門を通るのですが、いずれも特徴があって興味深いものがありました。

◆入口の門

ngoc son temple entrance

◆龍と虎が描かれた門

ngoc son temple dragon tiger

◆硯台と書かれた門

ngoc son temple suzuridai

◆テーフック橋(旭棲橋)と得月楼と書かれた門

ngoc son temple huc bridge

本堂には文・武・医の神様である、文昌帝君、関聖帝君(関羽)、呂祖と、チャン・フン・ダオ(陳興道)が祀られています。チャン・フン・ダオは、13世紀、元軍の侵攻を打ち破った英雄です。

◆本殿

ngoc son temple main hall

本堂の隣の部屋には、亀の剥製が展示されていました。1968年に捕獲されたもので、幅1.2m、重さが250kg、推定年齢が400~500歳とされ、この亀こそが還剣伝説の亀ではないかと言われています。

◆亀の剥製

ngoc son temple turtle

タイ湖(西湖)

ハノイ北部には、タイ湖(西湖)と呼ばれる景観の良い大きな湖があります。観光地としてはホエンキム湖の方が有名ですが、個人的にはこちらの方が気に入りました。タイ湖の東側を南北に伸びるタイニエン通りがあるのですが、反対側も小さな湖(チュックバック湖)になっており、両岸を湖に挟まれた絶好の散策コースになっています。歩道も広くて、所々にベンチも設定されていて、大変観光者に優しい作りにもなっています。通りの交通量は多いのですが、旧市街に比べると静かで、釣りを楽しんでいる地元の方の姿もあったりと雰囲気も良く、散歩するならこちらの方が良いと感じました。私が行ったときは、湖の上は霧が覆っていて、天候は曇りで雨は降っていないのですが、湿度が高い影響なんでしょうか?、日本ではなかなか見られない珍しい風景でした。

◆タイ湖(西湖)

west lake

鎮国寺(チャンクォック寺)

タイ湖東側を通るタイニエン通り沿いにあるのが、1500年以上の歴史を持つ、ハノイ市最古の寺と言われる鎮国時(チャンクォック寺)です。元々は、6世紀リー・ナム・デー(李南帝)の時代、紅河のほとりに建てられましたが(当時の名称は開国寺)、土砂が崩れてきたため、1616年(黎朝(レー朝))に現在の場所に移転されました。その後、改修・増築が行われ、名前も鎮国時に改名されました。

◆入口

tran quoc pagoda entrance

◆仏塔

tran quoc pagoda near

◆本堂

tran quoc pagoda main hall

本堂内部の奥には阿弥陀如来、釈迦如来、弥勒菩薩などの仏像が祀られています。

◆本堂内部

tran quoc pagoda main hall inside1

三國志でおなじみの関羽も祀られています。

tranc quoc pagoda main hall inside2

鎮武観

タインニエン通りを南に下ると、道教寺院の鎮武観があります。訪問したタイミングでは、ちょうど何かのイベントが催されている最中でした。その影響でしょうか、入場料を払わずに見学することができました。

◆入口

quan thanh temple entrance

◆中庭

quan thanh temple courtyard

◆玄天上帝の銅像

quan thanh temple tran vu bronze statue

鎮武観の近くには、湖に沿ってカフェやレストランが並んでおり、船上でコーヒーが楽しめるハイランズコーヒーがありましたので、こちらで休憩しました。

文廟(孔子廟)

ハノイで一番中国っぽさを感じることができた場所が「文廟」です。文廟とは、孔子を祀った孔子廟のことで、1070年に李朝第三代皇帝リー・タイン・トン(李聖宗)によって建立されたと言われています。1076年、第四代皇帝リー・ニャン・トン(李仁宗)が文廟に国子監をつくり、これがベトナム最古の大学となりました。

文廟は12日の朝に訪問しました。旧市街から見て南西にあり、ホテルからだと約2kmの距離があります。途中、ハノイ駅近くを通り、近くにトレインストリートと呼ばれる、線路沿いにカフェが立ち並ぶ観光スポットがあるため、これも併せて見たかったため、徒歩で行くことにしました。ハノイ駅近くに来ると、一層交通量も多くなり、道路一つ渡るにも苦労します。何とか線路が見える場所には来たものの、どうやら通りを違えてしまったらしく、写真で見たようなトレインストリートではありません。今回は縁が無かったということで諦め、本来の目的である文廟に向かいます。

◆ハノイ駅近く

hanoi railroad near station

hanoi near station

文廟の入口は分かりにくいのですが、南側(クォックトゥザム通り)にありました。入場料は7万ドン(約430円)です。こちらも3万ドンから値上がりしています。少し早めに来たつもりだったのですが、既に大勢の外国人観光客と地元の観光客で混雑していました。他の観光スポットと違って際立っていたのは、地元の学生の多さで、伝統衣装のアオザイやカラフルな制服を着用していたのが印象的でした。小学生低学年くらいの小さい子達がアオザイを着ている姿は大変可愛らしく、自然と笑みがこぼれてしまいます。

文廟は、孔子の故郷(中国の曲阜)にある孔子廟を模して5つの区画に分かれており、それぞれに門があります。

◆文廟門

temple of literature main gate

◆第一の中庭(皇帝の道)

temple of literature first courtyard

◆大中門(Đại Trung Môn)

temple of literature dai trung mon

◆第二の中庭

temple of literature second courtyard

3番目の門は、ハノイのシンボルと言われる奎文閣(けいぶんかく)です。門をくぐると、ティエンクアンという大きな方形型の池があり、両脇には石碑が並んでいます(進士題名碑)。これは当時の官吏登用試験、科挙の合格者の名前と出身地が刻まれた石碑で、石造りの亀の上に乗っています。ベトナムの科挙は1075年に始まり、1919年に廃止されるまで続きました。

◆奎文閣(Khuê Văn Các)

temple of literature khua van cac

◆第三の中庭

temple of literature third courtyard

◆82の石碑(進士題名碑)

temple of literature stelae

大成門を抜けた先にあるのが、孔子が祀られた文廟になります。

◆大成門(Đại Thành Môn)

temple of literature dai thanh gate

◆第四の中庭

temple of literature fourth courtyard

◆孔子像

temple of literature confucious

大聖殿の裏手に第五の中庭があるのですが、事前の不勉強が祟ってこの時点で存在を知らず、見落としてしまいました。つくづく事前の不勉強が祟られます。

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