2025年9月12日(金) 7日目
晋祠
308路バスで晋祠へ
今日は太原市最大の観光名所である「晋祠(晉祠)」に行きたいと思います。晋国(春秋時代)の前身である唐を建国した「唐叔虞」を祀るために建てられた祠堂です。中心部から南西約25kmに位置する、懸甕山(悬瓮山)の麓にあり、晋祠(晋祠新镇)行きの「308路バス」を使ってのアクセスが可能です。ただし、1時間半近くかかり、座れないリスクも考えましたが、始発の「太原駅(太原火车站)」から乗車すれば大丈夫だろうという目算がありました。バス停の場所は、ホテル入口の目の前にあり、この立地の良さが、このホテルを利用した理由の1つにもなっています。8時20分過ぎにホテルを出ましたが、今日は朝から天気が悪く、小雨が降っており気温は肌寒さを感じるほどでした。
多くの路線バスがここのバス停から出発しており、通勤の時間帯ということもあって、バス停は大変混雑していました。タイミング悪く、バス停の前に来てところで、308路バスが出発したところでした。すぐ後ろに別のバスが続き(804路だったと思います)、これに乗っても晋祠に行けるようでしたが、残念ながらこちらにも乗車できませんでした。仕方ないので、次の便を待つことにしましたが、待っている間にも、他の路線バスがひっきりなしに到着しては、お客さんを乗せて出ていきます。もう何台のバスを見送ったか分からなくなりましたが、15分ぐらいで次の308路バスがやって来ました。料金は2.5元(約53円)、事前に準備しておいたAlipayのミニプログラム「太原电子公交卡」でQRコード決済できました。バスの前には行列が出来ていましたが、何とか座席を確保できました。太原駅から晋祠までは40ヶ所以上のバス停があるため、時間が掛かるのは納得です。
◆308路バス
バスの出発後は、しばらく片面が5車線はある大通り「迎泽大街」を西に進みます。道路にはびっしりと車両が埋まって渋滞していましたが、バス専用車線があったので途中まではスムーズに進みました。バス停に停車する度に、次から次へとお客さんが乗車してくるので、車中はあっという間にぎゅうぎゅう詰めになりました。迎泽大街は太原駅から真っすぐ西に伸びており、この馬鹿太い幹線道路を眺めているだけでも太原市が実施してきた都市計画事業の壮大さを実感します。
◆迎泽大街
途中、山西省を南北に流れる「汾河」に架かる大きな橋「南中環橋(南中环桥)」を渡りました。橋の上からは、中国ではお馴染みの高層マンション群が見えます。汾河は、かつては「汾水」と呼ばれ、西安の北を流れる「渭水」に次ぐ黄河第二位の支流です。古来より歴代王朝の重要都市は汾河流域に集まり、多くの歴史や文化はここから生まれたとも過言ではなく、山西省の人々からは母なる河とも呼ばれています。
◆南中環橋(南中环桥)
橋を渡ってしばらくすると、郊外の景観に変わってきました。車線はさすがに少なくなりましたが、交通量がガクンと減ったので無駄に広く感じました。車内には地元のお客さんが大勢乗っており、頻繁に乗り降りがありましたが、最後の方になると半数ぐらいになりました。その後は「太原植物園」最寄りのバス停で何人かが降り、そこからしばらく進んで、終点から1つ前の「晋祠公園」に到着です。所要時間は約1時間15分でした。当初、終点で降りれば良いと思い込んでいたので、全員がここで降りる様子を見て少し焦りましたが、私もこれに習いました。
◆バス停「晋祠公園」
晋祠公園
■9:45 晋祠公園到着
バス停から降りると、雨は止んでいました。露店などが並んでいるスペースを抜けると、すぐツーリストセンターのある建物が見えてきました。建物の前のスペースは大勢の観光客で溢れかえっていました。スタッフはあちらこちらに何人もいるのですが、肝心のチケット窓口は空いておらず、オンラインによる購入方法の案内があるだけでした。
大きな順路としては、まず無料で入れる「晋祠公園」あり、公園を約1km進んだ奥に、一般に「晋祠」と呼ばれている「晋祠博物館」があります。博物館の方はチケットが必要となります。チケット売り場は、博物館入口近くにあったのですが、この時は公園に入場する前に購入する必要があると思い込んでおり、この後チケットを求めて無駄に動き回ってしまいました。
◆ツーリストセンター
観光マップには「晋祠天龍山景区(晋祠天龙山景区)」と書かれており、メインとなる晋祠公園(博物館)のほか、懸甕山の西にある「天龍山」も含めて1つの景区を形成しているのが分かりました。天龍山には唐魏から唐代にかけて造営された「天龍山石窟」があるようです。石窟といえば、大同の雲崗石窟ぐらいしか知らなかったので、こんなところにも石窟があったことに驚きました。
◆晋祠天龍山景区(晋祠天龙山景区)観光マップ
晋祠公園の敷地は非常に広大で、自然豊かな景観の中に、楼閣や東屋、橋など多くの建築物が点在しています。
最初の「晋祠胜境牌楼」を抜けると、「迎曦门」が見えてきました。牌楼の手前には三重の橋があり、牌楼の3つの門と対応しているようでした。
◆晋祠胜境牌楼
迎曦门は東門とも呼ばれ、1985年に再建されたものです。扁額の「晋祠」の二文字は、唐の太宗李世民が自筆した《晋祠之铭并序》の碑文から引用されています。
迎曦门は無料で入場できる門だったのですが、ゲート前に行列が出来ていたことから、チケットが必要だと勘違いし、チケット売り場を探しましたが見当たりません。ここで時間を食うのが嫌だったので、Trip.comでチケットを購入しようとしたところ、今度は身分証の情報が必須となり、外国人には購入できないことが分かりました。仕方ないので、一旦来た道を戻りツーリストセンターの中にいるスタッフに聞いたところ、公園の奥、ようするに博物館の入口近くにチケット売り場があることを教えてもらい、ようやく迎曦门を通るのにチケットは不要だったことに気づきます。この一連の行動で20分は時間を無駄にしてしまいました。晋祠については、ここは何とかなるだろうとタカを括り、あまり下調べをしてこなかったのですが、完全に裏目に出てしまいました。
◆迎曦门
迎曦门の裏のスペースには電動カートが停まっており、これを利用すると博物館近くまで移動することができます。公園の中を少し散策したい衝動にも駆られましたが、まずは博物館に行くことを最優先とし、最低限度の寄り道で奥に向かいます。歩いているうちに、空は晴れ間が広がり、気温もグングン上がってきました。
◆博物館に続く遊歩道
◆十字橋(十字桥)
◆東湖(东湖)
途中、「唐園(唐园)」と呼ばれる庭園があり、飛龍閣、長守ホールなどの建物がありました。唐の太宗李世民は、青年時代を晋陽(現在の太原)で過ごし、晋祠を特に愛していたことから、唐園と呼ばれるようになったそうです。
◆唐園(唐园)
◆照壁
◆飛龍閣(飞龙阁)
◆長守ホール(长守厅)
長守ホールを抜けると見えてくる彫刻群は、「龙兴晋阳雕塑」といい、唐の太宗「李世民」と貞観年間の功臣達の彫刻です。太原建都2500年を記念して2003年に制作された彫刻です。
◆龙兴晋阳雕塑
「《晋祠》座屏」は、北京西山の雲石を用いて、有名な散文家「梁衡」が書いたエッセイ「晋祠」が刻まれています。
◆《晋祠》座屏
◆博物館に続く遊歩道
晋祠博物館の入口である「晋祠大門(晋祠大门)」が見えてきましたが、入口前は大変な行列ができていました。中国人の団体ツアーのお客さんが多いようで、旗を持ったガイドさんの姿があちらこちらにありました。懸案だったチケット売り場ですが、晋祠大門のすぐに左にありました。これだけ観光客いるにも関わらず、チケット売り場は空いており、並ばずに買うことができました。料金は80元(約1,680円)で、何故かパスポートの提示は不要でした。後になると、外国人の団体がやってきて、チケット売り場の前は行列が出来ていたので、空いていたのはたまたまだったのかもしれません。
◆晋祠大門(晋祠大门)
◆チケット
行列に並んでから10分ぐらいで入場できました。並んでいる途中、晋祠大門に入る直前のタイミングで、近くから大門を撮影できました。こちらの大門は1964年に建てられ、扁額の「晋祠」の二文字は、1959年に軍人の陳毅(陈毅)元帥が晋祠を訪問した際に詠んだ詩から取られています。
◆晋祠大門(晋祠大门)
晋祠博物館
晋祠は、元の名を「晋王祠」や「唐叔虞祠」と呼ばれていました。晋国の前身となる唐の建国者「唐叔虞」とその母「邑姜」を祀るために建てられた祠堂です。殷王朝を滅ぼして周王朝(西周)を建国した武王「姫発(姬发)」の息子です。
大門を抜けると、東から西への中軸線上にいくつか建物が並んでいます。1つ目は「水鏡台(水镜台)」という建物です。現存する明清時代の演劇舞台の中でも最大級を誇ります。建築様式においては、殿、台、楼、阁の4種類を体現しています。水鏡台の上には「三晋名泉」と刻まれた扁額があり、清代の武官「杨廷翰」によって書かれたものです。一方、清代に増築された回廊の上には「水镜台」と刻まれた扁額があり、こちらは晋祠出身で著名な翰林学者の「杨二酉」によって書かれました。
◆水鏡台(水镜台)
2つ目は「金人台」という建物で、台の四隅には、ぞれぞれ高さ2mの鉄像が立っています。鉄は五大金属の1つであることから、金人台と呼ばれています。3体が北宋の時代に鋳造され、残りの1体が1913年に再鋳造されました。荘厳な姿と精緻な職人技は、宋代鋳鉄芸術の最高峰と評価されています。
◆金人台
「対越坊」は、明代の1576年に太原の挙人「高应元」によって寄進され建てられたものです。手前には北宋時代に造られた一対の鉄獅子が置かれています。扁額に刻まれた「对越」の意味は、「詩経・周頌」の「秉文之徳、対越在天」から取ったものです。文中の「対」は恩返し、「越」は宣伝という意味があるそうです。
◆対越坊(对越坊)
対越坊のすぐ後ろに控えるのが「献殿」です。金の時代、1168年に創建され、周の武王の正妃「邑姜」に供物を捧げる殿堂です。
◆献殿
献殿と正殿の「聖母殿」の間にあるのが、「魚沼飛梁(鱼沼飞梁」、別名「魚沼飛橋(鱼沼飞桥」です。中国で最も古い高架橋で、十字型の形状をしています。最初に建設されたのは北魏の時代以前とされ、現存の橋は北宋時代に建てられ、明代~清代にかけて改修工事が行われました。橋の長さは19.6m、幅は5m、高さは1.3mです。
◆魚沼飛梁(鱼沼飞梁)
晋祠の正殿である「聖母殿(圣母殿)」は、現存する宋代建築芸術の体表的建造物です。北宋の時代、1023~1032年に建立されましたが、研究によってはさらに古い時期の可能性あると示唆されています。周の武王の妻であり、唐叔虞の母である「邑姜」が祀られています。高さ19m、幅7間、奥行6間の正方形に近い平面をしています。殿前の8本の柱には、宋代に彫られた螺旋状の木造龍によって装飾が施されており、これは中国に現存する最古の螺旋柱となります。
聖母殿の周辺は、とにかく凄まじい人の数で、人込みをかき分けながら何とか進みます。
◆聖母殿(圣母殿)
聖母殿の中には41体の彩色塑像が安置されています。その中の33体の侍女の像は、それぞれ個性や年齢が異なり、表情や仕草が繊細に表現されています。侍女像は晋祠の「三絶」の1つに称されています。
◆邑姜
聖母殿の北側には、周の時代に植えられた古檜が植えられています。樹齢は3,000年を超え、南45°の角度で伸びており、高くそびえる檜に支えれており、その様子が横たわる龍に似ていることから「伏龍檜(卧龙柏)」と名付けられています。晋祠の三絶の2つ目に当たります。
◆周柏
聖母殿の北側にある石段を上がると朝陽洞(朝阳洞)や雲陶洞(云陶洞)など、いくつかの祠堂や東屋がありました。これらを一通り見学した後、唐叔虞祠に向かいました。
◆朝陽洞(朝阳洞)
唐叔虞祠は別名「興安王廟(兴安王庙)」、「汾東王廟(汾东王庙)」とも呼ばれており、先述した唐叔虞(姫虞)を祀る祠堂です。唐叔虞の名前は姫、名が虞であり、唐は晋の前身である唐を建国したことに由来します。「晋」の国号は、唐叔虞の子である「燮父」が、国号を「唐」から「晋」に改名し、これが山西省の別名「晋」の由来となっています。
正殿は元の時代、1267年に創建され、清の時代に現在の二院式の様式に再建されました。
◆唐叔虞祠入口
◆1つ目の中庭
唐叔虞祠大殿は別名「汾東殿」とも呼ばれており、もともとは晋祠の中軸線にあったものが、金代になって現在の場所に移されました。
◆唐叔虞祠大殿
唐叔虞像と家来像は元の時代の彩色像であり、ほかの2体の大臣像は明代のものです。
◆唐叔虞像
唐叔虞祠の東にあるのが、皆大好き「関帝廟(关帝庙)」です。どこに行ってもありますねw 創建年代は不明ですが、清の時代、1795年に再建され、廟内には、これも清代に作られた関聖帝君像が祀られています。英雄関羽の説明はもう不要かと思いますので省略します。廟内には見事な80枚の壁画が描かれており、これらは関羽の生涯を語っているそうです。鮮やかな色彩と写実性のある描写は見事で大変見応えがありました。
◆関帝廟(关帝庙)
◆関聖帝君像(关圣帝君像)

◆壁画
関帝廟の近くには三清を祀る三清洞、玉皇大帝を祀る玉皇閣があったのですが、あまり詳しく見ていません。三清は平遥古城にもあった、道教の最高神である三清神のことを言います。玉皇大帝は三清によって創られた尊神の事らしいです。
◆三清洞、玉皇閣(阁)
関帝廟、三清洞、玉皇閣から成るこちらの祠堂は「聖天神祠」と名付けられています。
◆聖天神祠入口(圣天神祠)
聖母殿の北側にある建物は一通り見たので南側に向かいます。
晋祠三絶の3番目が「難老泉(难老泉)」です。俗称は「南海眼」とも呼ばれ、断層地層に源を発し、一年中水が湧き出します。唐代の詩人李白がここを訪れた際、「晋祠流水如碧玉」と称賛したそうです。少し離れた場所に人が集まっているところがあったのですが、水を汲み上げることができる場所となっていたようです。
◆難老泉(难老泉)
この近くには「公輸子祠(公输子祠)」、「水母楼」などの建物がありました。
◆遊歩道
遊歩道を進むと、西湖があり緑豊かな自然に囲まれていました。遠くには「舎利生生塔」を借景とした、なかなか良い景観を形成しています。
◆西湖
◆大鐘亭(大钟亭)
晋祠の南西にあるのが「浮屠院」です。「浮屠」は即ち「仏塔」意味し、別名「塔院」とも呼ばれています。中心となるのが「舎利生生塔」で、隋の時代、586年に初めて建立され、現在のものは清代に再建されました。舎利生生塔は7層のレンガ造りで、彫刻された支柱とガラス張りの棟飾りが付いており、宗教目的と観光目的の両者を満たしています。
◆舎利生生塔
舎利生生塔のすぐ側の建物には唐代に刻まれた華厳経の石経が展示されていました。
◆唐刻華厳石経陳列館(唐刻华严石经陈列馆)
浮屠院の隣は「奉聖寺(奉圣寺)」です。唐の時代、622年に創建されました。戦火により、幾度の廃興を経ており、現存の建物は1980年に移築されたものです。説明書きには、主に山門(景清門)、華厳経石刻碑廊、過殿(次郎廟)、大雄宝殿、配殿から構成されると書かれていたのですが、実際は、弥勒殿、観音殿、地蔵殿といった建物が中庭を囲むように配置されていました。
◆奉聖寺(奉圣寺)
◆大雄宝殿の中の様子
◆山門(景清門)
想定していた以上に見どころが多く、ここまで2時間近く歩き回っています。この時間になると、多くの団体ツアーは帰ってしまったようで、大分空いてきました。これは他の観光名所にも言えることなんですが、団体ツアーが訪問する時間帯は大体どれも似たり寄ったりなので、これに被らない時間帯を選んで見学すれば良かったと改めて実感しました。
最後に、敷地の中央付近にある「董寿平美術館」をサクッと見学して終了です。1990年に建てられた美術館で、現代中国画の大家である「董寿平」が寄贈した貴重な書画作品が展示されていました。
◆董寿平美術館(董寿平美术馆)
◆寒香(1985年)
個人的には「报春图」という作品が気に入ったのですが複製でしたw
◆报春图(複製)(1987年)
◆黄山叠峰(1981年)
晋祠博物館の出口は南側にあり、来た時とは別の遊歩道を通って公園入口まで戻りました。遊歩道からは「老爷阁」といった楼閣や、大きな湖(台骀泽)が見えましたが、疲れていたので寄り道せず真っすぐ戻りました。
◆老爷阁
◆台骀泽
約15分歩いて晋祠公園の入口まで戻った後は、帰りも308路バスを利用しました。バス停には大勢の観光客が集まていましたが、大部分はDiDi(滴滴)でタクシーを拾って消えて行きました。10分ほど待っていると308路バスが到着しました。料金は行きと同じく2.5元(約53円)です。バスに乗った後は、いつの間にか寝入ってしまったようで、目が覚めると中心部近くになっていました。
終点の「太原駅」から少し手前で、車窓から観光名所の「五一広場」を一瞬見ることができました。「五一」という名前は、国際的な労働者の祝日であるメーデー(5月1日)に由来します。広場の奥に見える大きな建物は「首義門(首义门)」といいます。「五一広場」については、どこかのタイミングで行きたいと考えていたのですが、ひと目見れたので十分です。大原駅前の大きな交差点に達すると、左折した後、ぐるっと旋回して、ホテル前のバス停に到着です。終点は始発と同じバス停となることが分かりました。てっきり、大通りを挟んだ向こう側が終点になると思っていたので、移動の手間が省けました。時刻は14時少し前、晋祠公園からは約1時間20分掛かりました。
◆五一広場
永祚寺双塔(双塔公園)
■14:00 ホテル到着
お昼は、ホテルからすぐ近くにあるコンビニ「唐久便利」でご当地メニューと思われる涼麺などを購入して済ませます。ここで働いている若い男性店員さんが印象に残っており、商品棚を眺めていると、愛想良く話しかけてきておすすめの商品を教えてくれたり、試食品をパンをくれたり、最後はレジで精算した時、おまけに小吃をくれたりと非常にサービス精神が旺盛でした。私が外国人だと分かっても、お構いなしに話しかけて来るのが妙に面白かったです。
しばしの休憩後、まだ腰は若干重かったのですが、陽が暮れる前に「永祚寺双塔」を見に行くことにしました。太原のランドマークである「永祚寺双塔」は、「永祚寺」の敷地内にあります。永祚寺は俗称「双塔寺」とも呼ばれ、世間的には双塔寺の名前の方が流通しているようです。
永祚寺は太原駅から南に約3kmの位置にある「双塔公園(双塔公园)」の中にあります。双塔公園は非常に広大な敷地であり、永祚寺に入場するためには、公園の北側から入るのが一番効率的です。ただし、公共交通機関によるアクセスはあまり良くなく、例えば地下鉄の「双塔駅」からだと、2km近く歩く必要があります。今日はこれ以上歩き回る意欲はなく、双塔についてはひと目見ることができれば十分だったので、比較的アクセスが良い公園の南側から入り、遠くから眺めて終わりにするつもりです。
「太原駅西広場駅」から1号線に乗車し、約10分で「双塔駅」に到着です。構内はガラガラでした。地上に上がって、大通りの「南内環東街(南内环东街)」を西に向かって約10分、約800m歩くと、双塔公園の南門が見えてきました。公園自体は無料で入場できます。
■15:30 双塔公園南門到着
双塔公園には「永祚寺」以外にも見どころはありそうでしたが、園内の散策はせず、双塔が見える「墨韻閣(墨韵阁)」に真っすぐ向かいます。
◆双塔公園観光マップ
南門から真っすぐ、手入れの行き届いた遊歩道が伸びています。南側から入場するお客さんは少ないようで、静かな雰囲気で良かったです。
◆遊歩道
◆墨韻閣(墨韵阁)
墨韻閣からは、湖を挟んで永祚寺双塔が良く見えました。天気が良かったこともあり、湖面に映り込む2つの塔が美しい景観を形作っていました。
永祚寺双塔は「凌霄双塔」とも呼ばれ、太原市に現存する最も高い古代建築物です。こちらから見て右側(東)に見えるのが「文峰塔」、左側(西)「宣文塔」です。文峰塔は明の時代、1599年に建立されました。高さは54.76m、八角形の13層です。遅れて1612年に宣文塔が建立されました。こちらの高さは54.78mと文峰塔と2cmしか違いがありません。同じく、八角形の13層です。この2つの塔が持つ役割は異なり、文峰塔は風水塔であり、宣文塔は神聖な仏教建築物です。
◆永祚寺双塔
墨韻閣の北側にある、湖面に面した広場では、結婚式の古衣装を着た2人組がカメラマンを連れて撮影している最中でした。
◆墨韻閣北側
目的は達成したので、この後は真っすぐホテルに戻りました。明日以降の大同観光を睨み、夜は出歩かずホテルで大人しく過ごしました。






































































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