2025年3月6日(木) 4日目
ホテルの朝食について
ホテルの朝食は7時からビュッフェ形式で提供されています。中華料理がメインで、案内にもある通り、南京の名物料理も提供されています。
◆朝食案内
今朝は野菜炒めや焼き飯などの定番の中華料理を頂きましたが、良くも悪くも素朴な味付けで日本人の口にも合うと思います。これに加えて、南京名物「鴨血粉絲湯(おうけつふうしんとう)」にも挑戦してみました。字面から何の料理か想像するのが難しいですが、日本語にすると「アヒルの血と春雨スープ」となります。南京の伝統料理であり、鴨血はアヒルの血を固めたもので、これが春雨と一緒にスープに入っています。南京では人気のある食べ物のようで、昨日、夫子廟を散策した時も、この料理を扱うお店を沢山見かけたのですが、口に合うか自信がなかったのでパスしていました。こちらの鴨血粉絲湯は、ハーフサイズ程度の量だったので、これなら何とか食べきれる気がしたので、頼んでみました。鴨血は見た目がレバーに近いのですが、実際はコンニャクの食感に近く、想像していた生臭さは全くありませんでした。スープと春雨は日本にもあるスタンダードなもので、ヘルシーで口に合いました。
◆朝食
孝明陵
南京は北京、西安、洛陽に並ぶ中国四大古都の一つであり、三国時代の呉(東呉)、東晋、南北朝時代の宋、斉、梁、陳が都を置いたことから「六朝古都」と呼ばれます。さらに、五代十国時代の南唐、明王朝もここを都としています。歴史的な観光名所が多く、今回の旅行では一番行きたかった場所でもあります。地球の歩き方の南京について割かれているページ数が、上海や蘇州に比べても少ないことからも分かる通り、日本では観光地としての南京は過少評価されており、日本語で入手できる情報も少ないのが実情です。日中戦争では南京が大激戦地となった歴史的事実があり、南京大虐殺というセンシティブな問題もあって、日本人が足を向けにくい場所になっている影響があるかもしれません。実際、南京滞在中は警戒して、日本人であることはできるだけ話さないように心掛けていました。
今日はまず、明王朝を開いた太祖朱元璋の陵墓である「明孝陵」と、中華民国を建立した孫文の陵墓「中山陵」に行きたいと思います。これらの陵墓は南京の東部にある中山風景区にあります。中山は紫金山とも呼ばれ、東晋時代まで遡る歴史を持つ景勝地です。
中山風景区へのアクセスは良く、地下鉄を利用しての移動が可能です。ただし、景区はかなり広いので、それなりの距離を歩く必要があります。ホテルは8時過ぎに出発しました。今日は数日ぶりに天気が良くなり、朝から温暖で、観光するには絶好の日和となりました。通勤の時間帯なので、ホテル前の通りは、自動車やバイク、自転車の行き交う量が尋常ではなく、夫子廟駅前の通り(健康路)は、歩道や自転車専用レーンがあまり整備されていないこともあって、歩き辛さを感じました。
中山風景区の最寄り駅は2号線の「苜蓿園(もくしゅくえん)駅」です。夫子廟駅からは3号線で大行宮駅に移動し、2号線に乗り換える流れとなります。予想通り、駅構内は混雑しており、車内は満員に近く、大行宮駅の乗り換え時は階段には埋めん尽くさんばかりの乗客の数でした。南京が大都市なのを改めて実感します。乗り換えの時間も合わせて約30分で苜蓿園駅に到着しました。1番出口から地上に出ると、中山風景区の案内が見えてきます。
■8:40 苜蓿園駅1番出口
◆苜蓿園の1番出口
紫金山の山麓にある中山風景区は非常に広大で、明孝陵や中山陵の他にも美齢宮や音楽台といった観光名所もあり、全部回るにはかなりの時間と体力を要します。先にも述べた通り、今回は明孝陵と中山陵の2つに絞って観光します。景区内では観光バスが運営しており、これを利用して時間を節約することも可能ですが、紹介されていたモデルコースに従って、孝明陵までは歩いて行きました(直線距離で約2.5km)。
◆中山風景区の全体図
明孝陵にはいくつかの出入り口があり、苜蓿園駅から地図の赤線に沿って進むと3号門から入ることになります。
◆孝明陵と中山陵周辺の地図
遊歩道は綺麗に整備されており、景観を損ねるような過度な観光地化がされていないのも良かったです。10分ほど歩くと3号門が見えてきます。
◆遊歩道
入場ゲートの脇にはチケット売り場があったのですが、窓口には誰もおらず、これまでと同様にWeChatからチケットを購入しました。料金は70元(約1,500円)です。ゲートではQRコードを読み取り機にかざして入場します。
◆明孝陵3号門
3号門から明孝陵陵宮(以下明孝陵と記載)の入口まで約1.5kmの距離があります。ゲートを抜けると、まず梅の木が植えられている梅花谷を通ります。手入れも行き届いており、雰囲気の良い一帯でした。
◆梅花谷
紅梅に交じって、所々に花開いている白梅がひと際美しく、赤と白のコントラストが見事でした。
◆白梅
しばらく歩くと、孝明陵に続く石像路神道に合流します。石像路は、孝陵神道の1段目に当たり、全長615m、両脇には6種類の動物の石像が並んでいる、大変人気のある場所です。ちなみに、この近くには三国時代の孫権の墓があったのですが、下調べが足らず、この時は見逃してしまいました。
◆石像路神道
石像路の先は、90度曲がって神道の2段目に当たる翁仲路が続きますが、これとは別に、2つの神道に挟まれた山の斜面を横切る道が設けられていました。この山の斜面一帯は「梅花山」という名前が付けられており、様子を伺っていると、多くの観光客がこちらの道を登って行ったので、私もこれに習いました。翁仲路の方も歩きたい気持ちはあったのですが、この先もまだまだ歩く必要があり、体力をセーブするためにも諦めました。
なお、翁仲路の入口には「神道望柱」という2本の柱が立っていました。
◆翁仲路神道
梅花山の方はちょっとした山道になっていて、斜面全体を覆うように美しい梅が咲き乱れていました。しばらく登ると周囲が開けた場所に出るのですが、博愛閣と呼ばれる建物があり、ここからは南京市街が一望できる、景観の良い場所となっていました。南京という大都市の中心からそれほど離れていない場所に、このような美しい景勝地を整備している辺り、観光地としての南京の良さを実感します。
◆博愛閣
◆博愛閣からの景観
◆梅花山の景観
この時点でかなり満足してしまったのですが、まだ孝明陵にも着いてません。梅花山の道を進むと、ようやく孝明陵の入口に到着です。ここからだと分かりずらいですが、手前には「金水橋」があり、奥に小さく見える朱色の建物が「文武方門」となります。
■9:20 明孝陵入口
◆明孝陵入口
入口の手前には石碑が建っていました。明孝陵は2003年に世界遺産「明・清王朝の皇帝墓群(2000年登録)」に追加される形で登録されました。
◆石碑
明王朝を開いた太祖朱元璋は、ウィキペディアなどでは貧農から身を起こした人物と紹介されていますが、貧農というのは優しい表現で、実際は流民に近い生活を送っていたようです。世間の評価では(というか日本における評価は)、創始者としての功績よりも、晩年に建国の功臣や多くの官吏を粛清した暴君としてのイメージが強調されている印象があります。朱元璋の時代に整えられた制度は、明王朝だけでなく清王朝にも引き継がれ、合わせて550年にも及ぶ礎を築いた業績はもっと評価されて然るべきだと思います。
明孝陵は、太祖朱元璋が生前に住んでいた宮殿の構造通りに作られました。すなわち、古代礼制の原則に従った「前朝後寝」の様式を取っています。前朝が皇帝が政務や式典を行う朝廷、後寝が皇帝と皇后、妃らが住む寝殿を意味します。
◆明孝陵の案内図
アーチ状の金水橋は五龍橋とも呼ばれ、かつては5つの橋が並列して架かっていたことによります。現存しているのは3つで、これは200m北にある文武方門の3つの入口と1対1で対応しています。
◆金水橋
◆参道
文武方門は明孝陵の一つ目の門であり、1998年に復元されました。
◆文武方門
文武方門を抜けると前方には碑殿が見え、左右には西、東井亭があり、皇帝が着替えたりする御服殿、供え物を作る御厨が設けられていました。御服殿、御厨は跡地のみ残っています。
◆西井亭
碑殿は清朝の康熙帝により建てられたもので、1699年に江南を巡業した際、この地が荒れ果てているのを見て再建を命じました。この時、中央の碑文の4文字「治隆唐宋」を刻みました。この4文字は、朱元璋の治世は、唐太宗の李世民と宋太祖の趙匡胤を越えたと讃える内容となっています。康熙帝は中国史上1位2位を争う名君として高く評価されている人物で、この人物からこれだけの称賛を受けていることからも朱元璋の偉大さが伝わってきます。
◆碑殿
碑殿の背後には、左右に神宝炉が配置されています。お寺の形をした香炉と説明書きがありました。黄色と緑色の鮮やかな配色が目を引きます。
◆神宝炉(神帛炉)
享殿は孝陵殿とも呼ばれ、明孝陵の主殿となります。1383年に朱元璋と皇后、他の妃の位牌を置くために建てられました。清王朝時代に火災により焼失してしまい、その後再建されています。
現在は小さな主殿がこじんまりと建っているだけですが、享殿の周囲には柱の基礎がいくつも残っており、当時は巨大な建物だったことが想像できます。
◆享殿
享殿の中には朱元璋の肖像画がありましたが、これは顔が綺麗なバージョンで、もう一つ口元の歪んだ醜い顔のバージョンもあります。
◆朱元璋の肖像画
享殿の後ろには内紅門があります。内紅門は現世と冥界と繋ぐ門とされており、「陰陽門」とも呼ばれます。こちらも3つの出入口があるので、先ほどの金水橋と1対1で対応しているのでしょうか?
◆内紅門
内紅門の先は長めの参道が続き、しばらく歩くと方城と明楼が見えてきます。
◆方城と明楼に続く参道
明楼の手前には幅の広いアーチ状の橋となっており、こちらは升仙橋と呼ばれます。
◆升仙橋
下の土台、石垣の部分が方城で、方城の上に明楼が建っています。非常に雄大な建築物で、見るものを圧倒する威厳を感じます。方城と明楼の背後には、朱元璋と皇后が眠る円墳のある山(宝頂)があります。
◆方城と明楼
方城の入口の先は、傾斜あるトンネルとなっており、これを抜けると明楼に続く階段が設けられています。
◆トンネル
◆明楼の上の景観
◆明楼からの景観
中山陵
明孝陵の入口に戻り、次の訪問先である中山陵と書かれた案内に従って進みます。一応、徒歩でも行ける距離ではありますが(約1.5km)、モデルコースでは観光バスの利用がオススメされており、無駄に体力を消耗したくなかったのでバスを利用することにしました。
バス乗り場(明孝陵駅)は7号門から出て坂を少し登ると、右手の方にありました。途中、タクシーの勧誘などを受けましたが丁重にお断りしました。
◆明孝陵駅
観光バスの料金は、1回10元(約220円)、何回も利用できる1日券が30元となっており、WeChatから購入できます。観光バスはいくつかの路線があるようで、紫金山の麓にある3つの地下鉄駅と主要な観光名所を結んでいます。孝明陵-中山陵の移動は7号線を利用します。
バスに乗車するまでの流れが分かっておらず、路線図の前でボーっと立っていたところ、駅の建物の中から若いお兄さんが出てきて、言葉は通じなかったものの、嫌がらずに身振り手振りで教えてくれました。中国あるあるですが、今の中国の若い世代は、改革開放後の経済成長の恩恵を受け、一人っ子政策もあって、大切に育てられてきた子が多く、行儀が良くて親切に対応してくれる印象があります。
チケットを購入後は、一応改札があり、読み取り機にQRコードをかざしてから、その先の場所でバスを持つように指示されました。
◆観光バス路線図
10分ほど待っているとバスがやってきましたが、乗客がある程度埋まるのを待っていたようで、そこからさらに15分ほど待ってからの出発となりました。バスは、観光専用の電動カートではなく、普通の車両でした。バスの出発後は、5分ほどで中山陵西駅に到着してしまいました。そこから少し歩くとレストランやお土産屋さんが集まる広場があり、中山陵の石碑も建っていました。
■10:40 中山陵到着
◆石碑
中山陵の入場料は無料ですが、WeChatで事前に予約をしてQRコードを入手しておく必要があります。1週間前に予約は済ましておきましたが、この時期は比較的観光客が少ないようで、当日でも予約ができる状況でした。また、WeChatのミニプログラムについてですが、予約自体はそれほど難しくないのですが、予約した情報を参照する画面の表示方法が分らず、何度も予約し直すなど手こずりました。具体的には、予約登録をする画面の左上にホームマークがありますので、これをクリックすれば予約した情報等を参照できます。分かれば非常に簡単な話ですが、操作感に慣れていないこともあって嵌ってしまいました。
◆中山陵の予約登録画面
入場ゲートの前には長いレーンが設けられていましたが、私が訪問したタイミングでは空いており、すぐ入場できました。事前の予約が必須なことを知らず、入場ゲートの前でスマートフォンを操作している観光客の姿もありました。
◆中山陵入口
中山陵は、「中国革命の父」である孫文の陵墓とその付属記念建築群です。孫文は、三民主義を唱えて、辛亥革命の中心となった人物で、中華民国の初代臨時大統領になりました。中国語圏では、孫文よりも日本名の中山樵をとった孫中山の名称が一般的で、中山陵の名前もここから来ています。中山陵は1926年から1929年にかけて建設された中国の5A級観光地で、中軸線上に牌坊、墓道、陵門、碑亭、祭堂、墓室が一直線上に配置されています。
◆中山陵の地図
この旅行では何度も見ている牌楼ですが、こちらは鮮やかな青の瑠璃瓦が見事ですね。ちなみに、中国では青色ではなく藍色と表現するようです。碑坊の正面には孫文直筆の「博愛」という文字が刻まれています。
◆中山陵碑坊
牌楼に向かって背後には孝経鼎が置かれていました。1932年に金陵工兵工場にて造られたもので、国民党幹部戴季陶、中山大学のスタッフから寄贈されました。
◆孝経鼎
緑の景観が豊かな墓道を進みます。
◆墓道
中山陵としての正式は入口はこちらの陵門のようです。ゲートはありましたが、特に何も手続きは必要がありませんでした。
◆陵門
碑亭は長さ12m、高さ17mで、花崗岩を用いて建造されました。碑亭の中の石碑は8.1mの高さがあり、刻まている3行の文章は国民党幹部の譚延闓(たんえんがい)によって書かれたものです。
◆碑亭
中山陵の最大の見どころが、祭堂に続く392段の石段です。石段による傾斜が絶妙で、中国らしいスケールの大きさと左右対称の美しさを感じます。階段を登りながら感じたのは、他の観光名所とは観光客の層が違うことで、軍関係者と思われる制服を着た団体が結構目に着きました。まあ、たまたまかもしれません。
◆石段
石段の途中には大きな鼎がありました。1929年に上海特別市政府から寄贈されたもので、「奉安大典」の文字が刻まれています。鼎の西側が損傷していますが、これは1937年に日本軍の銃弾によるものです。
◆奉安記念銅鼎
祭堂は中国の伝統様式と西洋の様式を融合したものとなっています。上部には「天地正気」の文字が刻まれており、これは国民党幹部の張静江により書かれました。
◆祭堂
祭堂には東側から入ることができますが、決められた順路に沿って進む必要がありました。また、建物の中は撮影禁止でした。祭堂の中央には孫文の座像が置かれており、祭堂の後方には孫文の遺体が安置されている墓室がありましたが非公開となっていました。
今日は比較的天気が良かったため、祭堂からは薄っすらとですが南京市街が見えました。素晴らしい眺めで、いつまでも見ていられそうです。
◆祭堂からの景観
牌楼のある広場に戻り、東側に行くと孫中山記念館がありました。
◆孫中山記念館
記念館の東側の出口から出て観光バス乗り場に行ったのですが、全く営業をしている気配がなく、さてどうしようかなと考えていると、電動バイクに乗った年配の女性から声を掛けられました。地下鉄駅まで15元で送ってくれるそうです。観光バスの料金とも大差なく、他のバス停を探したり、待機して時間を浪費するのも嫌だったので利用させてもらいました。電動バイクの後ろに乗せてもらいながら、景観の良い坂を下ります。おそらく景区内の制約によるものでしょうか、途中で一旦バイクから降りて、別のバイクに乗り換えて駅に向かいました。その後、地下鉄駅の鍾霊街駅で降ろしてもらいました。最後に、どこの国から来たのか聞かれたのですが、日本と答えるか少し躊躇しましたが、正直に答えました。特に悪い反応もなく、ふーんという感じでしたので、我々日本人の側が日本人であることを意識し過ぎているのかもしれないと感じました。
南京城壁
想定より早く明孝陵と中山陵の観光が終わり、体力的にもまだ若干の余裕があったので、欲張ってもう1ヵ所、紫金山から見て西にある南京城壁と玄武湖に行くことにしました。
こちらも地下鉄によるアクセスが可能で、3号線の鶏鳴寺駅が最寄り駅となります。2号線と3号線を利用して約30分で到着しました。南京城壁は駅の出口から700mほど歩く必要があります。北京東路をしばらく西に向かい、交差点で鶏鳴寺路を北に進みます。北京東路沿いには政府関係の建物や大学関連の施設があり、夫子廟駅周辺とは雰囲気が異なり、整然としていました。
◆北京東路
鶏鳴寺路に出ると歩道を歩いている人の数が一気に増えました。通りの名前にもなっている「鶏鳴寺」のほか、存在自体知らなかった「南京古生物博物館」もあり、多くの観光客の集まるエリアとなっています。
◆南京古生物博物館
鶏鳴寺は、東晋の時代、300年に創建された南京でも最古の寺院の一つです。こちらのお寺にも興味はあったのですが、体力的にこれ以上の寄り道は難しそうだったので外観を見るに留めます。結構お客さんが入っています。
◆鶏鳴寺
鶏鳴寺を過ぎて間もなくすると、南京城壁の解放門が見えてきました。
■12:30 南京城壁(解放門)到着
◆南京城壁(解放門)
解放門をくぐるとチケット売り場と入場ゲートがあります。チケット売り場にはスタッフがいて、窓口で購入している観光客もいましたが、WeChatの説明書きもあったので、これに習ってWeChatで購入してしまいました。15元(約330円)と他の観光名所に比べると良心な価格です。
◆解放門入口
◆石碑
南京城壁は明王朝時代の1366年に建築が始まり、完成までに28年もの歳月を費やしました。城壁は内から順に宮城、皇城、京城、外郭の四重城壁で構成され、外郭は60kmにも及び、京城の城壁は33.676kmであり、世界最長のレンガ造りの城壁です。
1980年以降整備が進み、現在約26kmがかつての姿を戻しています。城壁への登城口は何ヵ所もあり、玄武湖の南岸にある解放門の登城口はその中の一つで、約5kmの城壁の上を歩くことができます。
◆南京城壁全体図
◆石段
石段を登った場所からは、解放門の北側の景観が良く見えました。玄武湖に沿って南北と東西に伸びる城壁が交差するポイントでもあり、この2つの城壁の高低差も合わさって移り映えのする景観になっています。
解放門は、中国の建国後、この部分の交通や防空避難の需要から新しく設けた城門です。1951年に工事を開始し、1952年に完成しました。
◆南京城壁(解放門)の北側
振り返ると、眼前には玄武湖が一望できます。中国の古代神話では、玄武は北の方角を守護する四神獣であり、この湖が南京の北にあることからこの名前が付けられています。東に位置する紫金山を水源としており、その水は玄武湖から鶏鳴寺の付近より秦淮河に流れ込み、長江に合流します。歴史的には三国時代の孫権が水軍の訓練を行ったなどの記録があり、中国の歴史ドラマでもたまに玄武湖の名前が登場するので、一度はこの目で見ておきたいという思いがありました。
◆玄武湖
この玄武湖に、城壁と高層ビルという時代の異なる建築物が合わさって、見ごたえのある面白い景観を形造っています。
◆城壁からの景観
城壁の上からは、鶏鳴寺の薬師塔が良く見えました。
この後は、体力の許す限り東に向かって歩いてみました。
◆城壁(東方向)
玄武湖には5つの島があり、これらの島は遊歩道によって結ばれています。玄武湖の周囲15kmは公園として整備されており、市民の憩いの場にもなっています。
30分ぐらい歩いて、何とか目標にしていた九華山近くまで来ました。九華山に見える塔は三蔵塔といい、玄奘の遺骨の一部が安置されています。玄奘は西遊記の三蔵法師のモデルになった人物です。
もう少し歩けば行き止まりに辿り着けそうな気もしたのですが、この辺りで体力の限界を感じたので潔く引き返しました。途中にあった、太平門登城口から外に出て、玄武湖の南岸を見ながら地下鉄駅まで戻りました。
◆玄武湖の景観
途中、武廟門という建物がありましたが、これは玄武湖の主要な出水口の一つで、最初に建てられたのは三国時代と言われています。
◆武廟門
黑皮老卤面
今朝からかなりの距離を歩き、さすがに腰が疲れてしまったので、ホテルに戻った後は何もせずテレビを見ながら過ごしていました。夕方近くになり、夕食は何を食べようか情報を漁っていたところ、南京老卤大肉麺という名物のラーメンがあることを知りました。有名店はいくつかあるようですが、今日はこれ以上で歩きたくなかったので、ホテル近くにお店がないか調べたところ、ホテルから歩いて5分ぐらいの場所に「黑皮老卤面」というお店がありました。口コミ評価も悪くないようなので、とりあえず行ってみることにしました。
◆お店の外観
17時前だったので、店内は誰もおらず、お母さんと女の子2人がテーブルの上で遊んでいるところでした。営業しているのか分からなかったので、片言の中国語で聞いてみたところ全く伝わらず、翻訳アプリを見せたところ、営業していると返事がありました。外観もそうですが、店内はいかにも中国の大衆食堂という雰囲気で、良い感じです。
◆お店の中
メニューは壁にあったので、指差しで注文しました。今回は、大きな豚肉が入っている「大肉麺」を頂くことにしました。24元(約530円)と、夫子廟にあるお店に比べると安い印象です。
注文してしばらくすると、通勤帰りと思わる地元のお客さんがポツリポツリと入ってきました。地元の方々が利用するお店のようなので、これは当たりのお店かもしれないと期待が高まります。
◆メニュー
間もなくして料理が運ばれてきました。まず目に着くのは麺の上に乗っている大きなお肉で、ボリュームもさることながら、醤油ベースの味が染み込んでおり食べ応えがありました。真っ黒なスープも見た目のインパクトがあるのですが、思ったよりも全然マイルドでした。麺もオーソドックスなもので、スープと良く絡み美味しかったです。
◆大肉麺
















































































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