2025年9月11日(木) 6日目
高速鉄道で太原へ移動
8月からずっと続いていた異常な暑さもようやくひと段落したようで、昨晩は温度がガクッと下がり、今朝は少し肌寒さを感じました。今日は5時には目が覚めてしまったので、チェックアウトの準備をしつつ、下調べや旅の記録をつけたりして過ごしました。
7時半過ぎ、朝食を頂きに地下1階の食堂に向かいます。昨日に会話した、ポーランド人の2人組がいたのですが、さらに2名が加わって4人でテーブルを囲んで朝食を食べているところでした。最初、別のグループと勘違いしてしまい、お決まりの挨拶から、どこから来ましたか?とか話しかけているうちに、昨日の2人がいるのに気づいて少し恥ずかしい思いをしました。向こうも笑っていました。そうこうしているうちに、オーナーのお母さん手作りの朝食が運ばれてきます。今朝は、蒸しパンと月餅、おかずは目玉焼きや野菜の炒めものといった内容ですが、いずれも私好みの薄味で美味しかったです。
◆朝食
今日は旅館をチェックアウトして、次の目的地である山西省の省都「太原」に移動します。事前に調べた限り、太原行きの在来線と長距離バスは時間的に丁度良いのが無く、乗合バスはあるものの利用方法が良く分からず、結局、無難に高速鉄道での移動に落ち着きました。高速鉄道だと30~40分程度の距離しかなく、便数も多く、最悪座れなくても(立席)良いと思い、事前に列車の予約はしませんでした。そんなわけで、今日も平遥古城を観光する時間は作れたのですが、一昨日から2日間歩き回った影響か、若干腰の調子が思わしくなく、一応見たいものは全て回ったこともあり、今日はあまり無理をしないことに決めました。朝食後は、日本から持ってきたドリップコーヒーを頂きながら、最後の中庭の景観を楽しみました。
8時半過ぎ、ポーランド人の4人組がチェックアウトして行きました。最後、少し会話をしたのですが、相変わらず1人のポーランド女性が、日常会話のレベルを超える質問をしてくるので、私の英語力では拙い返事をするので精一杯でした。中国の歴史や、中国語と日本語の違いなどについて質問を受けたのですが、後から振り返ると結構怪しい回答をしていて冷や汗が出てきますw
■8:45 チェックアウト
コーヒーを飲み終わって、特にやることも無くなってしまったので、チェックアウトして太原に移動することにしました。最後にオーナーとは少し会話をしてお別れしました。子犬のドゥドゥにもさよならをしようと思ったのですが、残念ながら見当たりませんでした。
念願だった平遥古城の観光ですが、古城自体は期待値通りというか想定通りで、良くも悪くも綺麗になってしまい、観光地化が進んでいる印象を受けました。ただし、大通りから外れると、まだまだ古い建物や風情のある景観が残っており、これらをゆっくり眺めることができたので満足しています。旅館は大当たりでした。ロケーション、伝統的様式の建物や中庭、美味しい朝食、オーナー一家のホスピタリティ、全てが期待値以上で、また訪問する機会があれば利用させてもらいたいです。郊外の王家大院と双林寺は大変見応えがあり、時間を作って訪問した甲斐がありました。基本的に、同じ都市を再訪することはほとんどないのですが、平遥古城にはまた来ても良いかなと思わせる魅力がありました。
平遥古城駅へは、下東門から出たところからDiDi(滴滴)を呼んで移動するつもりだったのですが、最後にもう一度北門を見たくなり、であれば、そこからもう少し歩いてバスを使うことにしました。
1kmほど歩くと北門が見えてきました。この時間帯は観光客よりも地元の方々の姿が多く、通勤で古城に出入りしている人々を沢山見かけました。
平遥古城の城門には別称があり、各々由来があるのは以前の投稿で先述した通りですが、北門の別称は「拱極門(拱极门)」です。「拱」は囲む、守るという意味があり、「極(极)」は北極星を意味する言葉だそうです。孔子の論語に、「徳を持って治めるとは、北極星が定位置にあり、他の星々がその周りを巡るようなもの」と述べています。拱極という言葉には、星々の輝きの下で古城の徳が近隣の徳を凌駕し、人々の憧れの的となり、四方八方がその統治に服従するという思いが込められているそうです。
◆北門(拱極門)
北門から大通りの「中都街」に出てから横断歩道を渡り、少し西に歩くとバス停がありました。大通り沿いには多くのホテルや食堂などが並んでおり、古くから発展している一帯でもあるのか、新しい建物と古い建物が混在した、昔ながらの景観が残っていました。
バス停では、若い男性が1人バスを待っているところでした。私が同じ中国人だと思ったのか、何か色々話しかけられましたが、良く分かりませんw しばらくして私が外国人だと分かると、簡単な中国語で少しやり取りします。間違いなく英語を習っている世代なのに、使う習慣がそもそもないんでしょうか、一言も英語を使わないんですよね。男性は地元の方で、108路のバスで平遥古城駅に行くそうです。その後、さらに中国人の観光客が2人ほど増え、1本別のバスが通り過ぎから、さらに数分待つと108路のバスがやって来ました。車内は空いており余裕で座れました。観光客は少なく、ほとんどが地元の方々のようです。往路と同様に、Alipayのミニプログラムを起動して、QRコードで決済しました。料金は1元(約21円)と相変わらずの安さです。
◆バス停(北門)
道路は空いていたところもあり、約40分で平遥古城駅に到着です。バスに乗っている間に、太原行きの高速鉄道を予約しました。
■9:50 平遥古城駅到着
パスポートチェック、荷物検査は空いており、問題なく通過できました。平遥古城駅は、以前「烏鎮」に行く時に利用した「桐郷駅」と同規模の典型的な地方の駅です。北京と西安の間にあるので、便数は多く、1時間に2~3便は停車します。構内の座席は結構埋まっていましたが、長時間座っているお客さんは少なく、次から次へと改札に向かう姿がありました。今回は10時53分発の「太原南駅」行きのD2502便を予約しました。この便の始発は「西安北駅」です。直前の購入となりましたが、2等席を確保することができました。
◆平遥古城駅構内
■10:35 改札
改札前には結構な人数が並んでおり、有人のレーンには大勢の外国人が並んでいました。平遥古城の知名度の高さを実感しますが、北京と西安の中間点という立地の良さも大きな要因になっていると思いました。列車の遅れはなく、予定通り10時50分過ぎぐらいに、D2502便が到着しました。
■10:53 平遥古城駅出発
列車内はほぼ満席で、私が予約した座席に年配の男性が座っていましたが、私の姿を見るとすぐどいてくれました。今のところ、一度もトラブったことはないのですが、2等席はこのケースがあるので、毎回ちゃんと座れるか不安になるんですよね。長い時間乗る場合は、余計な手間を省く意味でも1等席を予約するメリットを感じます。
■10:25 太原南駅到着
座ってからゆっくりする間もなく、約30分で太原南駅に到着です。この便の終点駅になっており、全員が降車したため少し時間が掛かりました。今日から宿泊するホテルは太原駅近くにあるため、地下鉄を利用して移動します。太原武宿国際空港と太原南駅や太原駅を結ぶ1号線は、今年の2月に開業したばかりですが、これのおかげで太原市内の移動が格段に楽になりました。券売機はこれまでどこの駅でも見たことがない最新のモデルで、ボタンの類は一切なく、大きな液晶モニターの中で全操作を完結するものでした。
太原の次に観光する大同では現金(小銭)が必要となるため、乗車券は現金で購入して、小銭を集める予定だったのですが、決済はキャッシュレスのみでした。中国では小銭を入手できる機会が少なくなっており、地下鉄の券売機が一番確実な方法だったのですが、キャッシュレスオンリーは想定外だたので若干凹みます。なお、後になってから、現金でも購入できる券売機があることが分かりました。この時は、素直にAlipayで決済しました。料金は3元(約63円)でした。
1号線は5~10分間隔で運行しており、地下プラットフォームに降りて待っていると、まもなくして列車が到着しました。プラットフォームから列車、その他の設備等何から何まで新品同様で、最新のテクノロジーがふんだんに使われており、近未来感があります。新しいものを貪欲にためらいなく導入していくこのスピード感は、日本では絶対感じ取ることができないものであり、中国を旅行する楽しさの1つでもあります。
列車の中は空いており、約20分で最寄り駅の「太原駅西広場駅」に到着、ホテルに一番近い出口までは少し歩きました。出口から上がると、すぐにホテルが見えました。
山西省華苑ホテル(太原站西広場地下鉄駅)
■12:00 ホテル到着
今日から2泊お世話になるのが、山西省華苑ホテル(太原站西広場地下鉄駅)です。中国名は「山西華苑賓館」です。一昔前に良く見た典型的なクラッシックな外観で、由緒正しそうな雰囲気を醸し出しています。立地は、これ以上望めないほど最高の場所にあり、地下鉄駅、バス停が目の前にあり、太原駅も徒歩5分の距離、周囲にはコンビニや食堂など多くのお店があります。食品街や鐘楼街といった繁華街からは若干距離がありますが、地下鉄などを利用してのアクセスが容易です。
チェックイン時刻の14時にはまだ早いのですが、NGなら荷物を預けるつもりでフロントに聞いて見たところ、チェックインOKでした。中国のホテルは、チェックインに関してはかなり柔軟性があり、部屋に空きがあれば、朝からでもチェックインできるケースがあります。ここまでは至って順調だったのですが、この時の女性スタッフが過去最悪の対応でした。終始一貫、機嫌の悪さが表情に出ており、機械的な対応に終始し、何を聞いても禅問答のように同じことしか言わないなど、非常にストレスでした。外国人だから嫌がられたのか、中国人に対しも同様の対応をするのかは分かりませんが、とにかく大ハズレを引いてしまいました。
◆ホテル外観
予約したのは一番安いシングルルーム、2泊素泊まりで5,400円と大変安く利用できました。この料金なので、部屋や設備については全く期待していなかったのですが、十分及第点です。部屋は1人で使うには十分な広さがあり、ドアの建付けが悪かったり、家具や設備は全般的に古さが目立ちますが、機能面は問題ありませんでした。バスルームも広めで、シャワーは若干使い勝手が悪いものの、温度面の不安は全くありませんでした。その他、湯沸かしポットはありましたが、冷蔵庫はありませんでした。また、ミネラルウォーター2本のサービスがありました。先述した、フロントの対応の悪さを除けば、非常にコストパフォーマンスの良いホテルです。
◆シングルルーム
◆バスルーム
山西博物院
ホテルで休憩した後、午後から観光に出かけます。山西省の省都である太原は、平遥古城や大同に比べると観光面の魅力が乏しいのが実際のところです。計画段階では、太原で一番有名な観光名所である「晋祠」に行ければ、あとは時間と相談しながら適当に過ごすつもりでした。その他の観光名所としては、山西博物院、双塔寺、食品街や鐘楼街といった繁華街、晋商博物院などが挙げられます。明日は丸一日あるので、晋祠と双塔寺を回り、今日は山西博物院と繁華街に行くことにしました。
事前に山西博物院への入場方法を調べたところ、事前の予約が必須ですが、外国人は予約無しで入れると明記されていたので、若干の不安は感じたものの、この情報を信じて行ってみることにしました。博物院への移動は地下鉄1号線を利用しました。料金は2元(約42円)です。「太原駅西広場」駅から「河龍湾駅」方面の列車に乗車し、約10分で最寄りの「太原理工大学駅」で降車します。比較的新しく開発された地域のようで、駅周辺は、広々とした道路が整備されており、新しい高層の建物が並んでいました。交通量はそれほど多くなく、人の姿もまばらで、むしろ過疎っている印象すらありました。
駅から博物院までは約1.3kmあり、歩くには少し距離があります。地下鉄駅の出口付近には大量のレンタルサイクルが放置されており、これを使って移動したい欲求に駆られましたが、手続き等で無駄にトラブるのが嫌だったので歩いて行くことにしました。気温は30℃付近まで上がっており、歩いていると若干暑さを感じます。博物院までは広い道路を真っすぐ進むだけなので、迷うことなく到着しました。
■13:20 山西博物院到着
山西博物院の歴史は長く、前身は1919年に設立された「山西教育図書館博物館」まで遡ります。2005年から開館した現在の建物は、「鼎」をイメージした外観を持ちます。建物の巨大さといい、形状といい、つい先日見学した殷墟博物館を彷彿させます。
◆山西博物院外観
西側の入口から博物院の敷地に入った後は、建物の入口がある南側に回り込みます。入口付近には大きなロッカールームがありました。一般用のQRコードによる入場ゲートの他に、外国人や軍関係者、高齢者専用のゲートが設けられていました。明記されていた通り、事前の予約は必要なく、台帳に名前やパスポート番号などを記載するだけで入場できました。勿論、入場料は無料です。名簿をチラッと見ると、思った以上に外国人の入場者は多く、日本人の名前もありました。これまで無料の博物館は入場するのが面倒だった記憶しかないので、有難いことです。一般入場の場合は、事前の予約が困難と書いてあったので、外国人というだけで簡単に入れて幸運でした。他の博物館もこうだと助かるんですけどね。
建物に入ると、中央は大金吹き抜けとなっており、これを囲むように2~4階までテーマ毎に展示スペースが設けられています。館内は非常に混雑しており、平日の昼間でこれだけのお客さんがいるのを見ると、予約が困難なのも納得です。山西省は中原から近く、古くから文明が発展した地域であり、春秋時代の晋国、南北朝時代の北魏を始めとして、関連する多くの文化財に恵まれています。展示品は質量共に申し分なく、山西省の歴史や文化が理解できるように良く整理されていました。私の場合、安陽の殷墟博物館で十分満足してしまい、博物館の類はもうお腹一杯という気分だったので、軽く流す感じで見学してしまいました。それでも、要所要所では勝手に足を止めてしまうような素晴らしい展示があり、訪問した価値は十分ありました。
2階のテーマは「文明摇篮」、「夏商踪迹」、「晋国霸业」となります。旧石器時代から始まり、鼎を始めとする青銅器などが展示されていましたが、殷墟博物館で見学したものと似たようなものが多く、特に印象に残っていません。
一番見応えがあったのは「晋国」に関する展示です。度々登場する「晋」という名前、現在は山西省の略称として用いられていますが、これは春秋時代に山西省一帯に存在した「晋国」に由来します。晋国といえば、文公の話がとても有名です。春秋時代(紀元前770~403年)になると周王朝が衰え、これに代わって中原を取り仕切った有力な諸侯を「覇者」といいます。春秋五覇とも呼ばれますが、このうちの1人が晋国の文公、重耳であり、日本でも彼の波乱万丈な人生が小説になっています。
◆兽形觥(紀元前16-11)
ひと際、人が集まっている展示品があったので、何とか隙を見つけて撮影しておきました。「晋候鸟尊」という青銅器ですが、後から調べるとこの博物院で一番の見どころだったようです。
◆晋候鸟尊(西周中期)
◆晋侯断壶(紀元前11~前771)
◆附耳蹄足鼎(紀元前770~前476年)
◆铜牺立人擎盘(紀元前475~前221年)
3階のテーマは「民族熔炉」、「佛风遗韵」、「戏曲故乡」、「天下晋商」です。中国北部に位置する山西省は、その地理的特徴から、歴史的に北方地域との交流が活発だった地域であり、東西交流の重要拠点でもありました。
◆胡傅酒樽(紀元前26年)
◆甲骑具装俑(北魏、477年)
◆孙龙石椁前挡(北魏、518~519年)
◆黄釉模印胡人双狮纹扁壶(北斉、550~577年)
◆北朝礼佛铜器
1999年に太原市で発見された、隋の官僚虞弘とその妻子の合葬墓です。中原地区で今まで発見されたものの中で、唯一正確な紀年が分かる西域・中央アジア文化の墓葬です。中央アジアとペルシアの強い影響を受けており、北朝時代から隋・唐時代にかけて西域との交流が盛んであったことを示す歴史的証拠となっています。最近の中国歴史ドラマを見ていると、歴史考証が進んでいるようで、唐の時代を扱った作品を見ると、我々が想像していた以上に、中国っぽさが無く、西方の影響を受けているのが分かるんですよね。
◆虞弘墓石椁
南北朝時代(439~589年)、北魏の都は現在の大同に置かれ、歴代皇帝は仏教を篤く信仰したことから、山西省では仏教文化が興隆しました。このことから、山西省には多くの仏教寺院があり、特に「五台山」は世界五大仏教聖地の1つとしても有名です。昨日見学した双林寺もそうでしたが、他にも大同の「雲崗石窟」など仏教文化遺産の宝庫でもあります。
◆程哲碑(東魏・天平元年(534年))
◆菩萨立像(北魏、386~534年)
唐時代になると、作品はより写実性が深まり、西方のヘレニズム文化などの影響を受けているように感じました。
◆菩萨立像(唐、618~907年)
◆菩萨像屏(北宋、960~1127年)
◆明時代の仏像
4階のテーマは「翰墨丹青」、「瓷苑艺葩」、「方圆世界」、「玉福华夏」、「土木华章」となります。
中国の焼き物といえば、景徳鎮を始めとする江南地方の作品が有名ですが、山西省にも千年以上の歴史を持つ陶器製造技術があり、様々な陶器が作られていたことが分かりました。また、以前の投稿でも言及した通り、明清時代の山西省は、山西商人の拠点となり、金融の中心地として栄えたことから、これに関連する古い貨幣などの展示もありました。
◆定窑
◆大同窑
◆青花缠枝牡丹纹罐(元、1271~1368年)
◆窑变釉
◆四珩四璜联珠串佩饰(西周、紀元前11世紀~前771年)
◆炉瓶三事(清、1644~1911年)
◆碧玉龙钮印(清、1644~1911年)
先述した通り、山西省には「応県木塔」や「懸空寺」など芸術性の高い仏教建築が点在しており、これらに関する解説がありました。
◆応県木塔(佛宮寺释迦塔)
◆懸空寺
◆永乐宫重阳殿琉璃鸱吻(元、1271~1368年)
◆圣母朝会用(明~清、1368~1911年)
約1時間半見学して博物院を出た後は、来た道を戻って真っすぐホテルに戻りました。
鐘楼街と食品街
18時半過ぎ、太原の繁華街である食品街と鐘楼街に行ってみることにしました。歴史の長い特色のある繁華街であり、夜は大変賑わうことで有名です。
ホテルからは北東に約2~3kmの場所にあり、少し離れているので地下鉄を利用して移動しました。今回は乗り換えが必要で、地下鉄1号線で「大南門駅」まで移動し、地下鉄2号線に乗り換えて「府西街駅」で降りました。料金は2元(42元)です。今回、チケットを買う際、試しにサービスセンター前にある券売機を使ったところ、こちらの機械は現金が使えることが分かりました。手元にある10元札で決済し、5元札と1元硬貨が3枚お釣りで出てきました。どうやって小銭を入手しようか悩んでいたところだったので、これで後顧の憂いなく大同に向かえます。
■19:00 食品街到着
地下鉄駅から上がると「鼓楼街」があり、すぐ南北に伸びる「食品街」が見えてきます。宋代に建設されたのは始まりで、清朝になると「院门前」、中華人民共和国成立後は「帽儿巷」、1986年から現在の名称となりました。全長500mで、明清時代の建築様式の建物が並びます。
一旦、食品街は置いといて、鼓楼街を東に進んでみると「唱経楼(唱经楼)」という建物がありましたが、この辺りは暗くて良く見えませんでした。明代に建てられた約400年の歴史を持つ唱経楼は、科挙試験の成績発表の場となっていたようです。
◆唱経楼(唱经楼)
他には何も無さそうだったので食品街に戻り、北側に進むと「鼓楼広場」があり「抚绥全晋」と書かれた大きな牌楼がありました。
◆食品街の景観(北側)
「抚绥全晋」は、山西省全体を鎮め、安定を図るという古代の言葉だそうです。
◆抚绥全晋
大通り(东缉虎营)を挟んだ北側は「晋商博物館」です。南門が綺麗にライトアップされていました。
◆晋商博物院(南門)
これ以上北に行っても何も無さそうなので、南に向かいます。夕食の時間帯なので、通りは大変混雑しており、どこのお店も沢山のお客さんが入っていました。週末に比べれば、まだましな混雑だと思うのですが、この人の数を見ているだけでお店に入る気力が失せてしまいました。
◆食品街(南側)
南側の大通り「鐘楼街(钟楼街)」と交わる所に、食品街の牌楼がありました。
◆食品街の牌楼
鐘楼街の歴史は北宋時代まで遡り、当時は「东门正街」と呼ばれたそうです。こちらは完全に観光地化されており、一応、伝統様式っぽくは見えましたが、最近建てられたような綺麗な建物ばかりが並んでいました。高級ブランド店やお洒落なカフェなども目立ち、若者向けのお店が多かった印象です。
◆鐘楼街(钟楼街)
鐘楼街を東に進むと楼閣のような大きな建物がありました。恐らくこれが、鐘楼街の由来にもなっている「鐘楼」だと思ったのですが、地図アプリを確認しても、鐘楼と明記されていないんですよね。不思議に思ったので調べたところ、明代に建てられた鐘楼は老朽化により後年、跡形も無く完全に取り壊されてしまったようで、現在の跡地には「上海ホテル」が建っていると記述がありました。要するに、この鐘楼っぽい建物は完全な偽物で、歴史的な価値は無く、鐘楼という名前を冠することができないのだと理解しました。
◆鐘楼(偽物)
しばらく東に進むと南北に走る大通り「柳巷(柳巷南路)」とぶつかります。この場所には、鐘楼街と書かれた石碑や、ダサい飾り付けがありました。飾り付けの真ん中に立っているのはご当地キャラクターの「鐘宝児」です。
◆鐘楼街入口
柳巷も300年以上の歴史を持つ通りですが、現在は近代的な商業ビルが立ち並び、広い歩道には屋台などもあり、多くの観光客で賑わっていました。
◆柳巷南路
このまま、もう少し歩けば「五一広場」という観光名所があるのですが、大分腰も重くなってきたので諦めました。他にも、見どころを色々見逃したような気もしますが良しとします。
柳巷南路を南に向かってしばらく歩くと、地下鉄駅の「柳南駅」があるので、ここから地下鉄に乗ってホテルに戻りました。結局、途中で見つけた「唐久便利」というコンビニでおにぎりなどを買って、ホテルで夕食となりました。このコンビニのラインナップが中々良く、おにぎりやサンドイッチなど日本でもお馴染みの商品が多く、中華特有の重い料理が続いた後には丁度良い内容でした。





















































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