2025年3月9日(日) 7日目
ホテルの朝食について
こちらのホテルでは、7時から2階の朝食会場にてビュッフェスタイルの朝食が提供されています。7時を少し過ぎたタイミングで朝食会場に向かったのですが、会場は既に混雑していました。日曜日だからでしょうか、中国人の家族連れが多い印象で、会場は広くて席数も多いのですが、ほぼ埋まっている状況でした。ひとまず空いている席を探して、1人で食事をしている男性がいたので同席させてもらいました。
◆2階朝食会場
メニューは中華料理がメインで、パンや目玉焼き、ベーコンなどの定番料理も提供されていました。これに加えて、奥のカウンターで卵料理や麺料理などの1品料理を頼むとその場で作ってくれます。周囲を見渡すと、麺料理を食べているお客さんがチラホラいたので興味が湧いたのですが、カウンターの前は行列ができていたので今日は諦めました。無難にお粥をメインに頂いたのですが、他の料理については、特に印象に残ったものはなく、可もなく不可もなくといった感想で、これは蘇州と南京での朝食が期待値以上だっただけに少し残念な感じではありました。ただし、デザートで提供されているお菓子やコーヒーは美味しかったのが記憶に残っています。
また、こちらでは前日のチェックインの際に受領した朝食券を提示する必要があるのですが、明日以降の分の朝食券を受け取っていなかったので、どうすればよいか分からない状況でした。後になって分かりましたが、夕方の18時前後になると、スタッフがわざわざ各部屋を訪問して朝食券を届けてくれました。ホテル側の事情はあると思うのですが、あまり合理的な仕組みになっていないと感じました。
◆朝食
杭州西湖
西湖について
今日は一日を費やして徒歩で西湖を一周します。杭州といえば、まず名前が出てくる世界的にも有名な景勝地であり、その佇まいは古くから多くの著名人を魅了し続けてきました。2011年には世界文化遺産に登録されています。特に「西湖十景」と呼ばれる美しい情景が有名で、これらを題材にした詩や絵画が沢山生まれました。中国の映画やドラマにもしばしば登場しますし、雑誌などの媒体でも取り上げられることが多く、以前からずっと行きたいと思っていた場所であり、ようやく訪問することが叶いました。
西湖について簡単に説明すると、規模は、南北3.3km、東西2.2km、外周は約15kmであり、三方(南、北、西)を山に囲まれ、東側は市街に隣接しています。自然の島である孤島、西湖を分ける3つの堤防、3つの人口の島、分けられた5つの湖があり、これらはまとめて「一山、三堤、三島、五湖」と称されます。
西湖の周りは遊歩道が整備されており、徒歩で西湖十景を巡りながら一周することが可能です。電動カートやレンタルサイクル、観光バスなどの移動手段が提供されており、遊覧船なども利用することで各々の事情に応じた観光が可能です。今回は、遊歩道をゆっくり歩きながら西湖の景観を楽しみたいと思います。距離にして約10kmとなかなかハードではありますが、このために前日までできるだけ足腰を痛めないように注意を払ってきました。
西湖東~雷峰塔
■9:00 ホテル出発
今朝のホテル前の通り(仁和路)の様子です。昨日の喧騒が信じられないくらい静かな通りとなっています。早朝に水を撒いたり、機械による清掃も行われているようで、通りは綺麗に清められていました。ホテルの前には牌楼が立っているのですが、百度地図によれば「杭州市文化中心-东门」という名前が付けられています。この牌楼が立っている由来などについては不明です。
空を伺うと、予報通り今日は曇りで、終日お日様を見ることは難しそうな状況です。気温もまあまあ暖かく、厚着をしていると若干暑いかなと感じる程度でした。
◆仁和路
仁和路を真っすぐ西湖に向かった先、昨日夕日を眺めていた場所ですが、この周辺一帯は「二公園」の名前がついています。こちらは大変賑やかで、軽快な音楽に合わせて楽しそうに社交ダンスをしている年配グループの姿などがありました。皆さん、退職して年金生活をしている方々でしょうか、マンションなどの集合住宅に住んでいる人が大半でしょうから、外に出て体を動かすことによって健康を維持しているのが伺えます。何にせよ、余生を西湖の近くで過ごせるのは羨ましい限りで、他にも剣を持って舞踊の練習をしている中国ならではの光景もありました。
◆二公園の景観(社交ダンスをしている年配グループ)
今朝の西湖の景観ですが、遠くの方は雲がかかっていてハッキリ見えません。西湖周辺は雲や霧がかかることが多く、これが西湖特有の幻想的な景観になっているようです。
◆二公園からの景観
今日は西湖の東に位置するこの場所を起点に、時計周りに歩いて行きたいと思います。地下鉄駅の「龍翔橋駅」から徒歩で数分の距離に位置し、遊覧船乗り場があることもあって、多くの観光客が詰めかける賑やかな場所となっています。
昨日から片隅にチラッと見えていた、湖面に浮かんでいるように見える東屋ですが、「集賢亭」といいます。ガイドブックなどで良く紹介される建物です。清王朝の時代、浙江省太守の李衛(李卫)に再建されたもので、周辺は八旗の子弟達が馬術や弓術の練習をする場所であったことから、「亭湾骑射」の名前が付けられました。八旗というのは、女真族の狩猟組織から発展した、清王朝の軍事行政組織のことをいいます。乾隆帝が八旗の訓練の視察に訪れた際に詩を詠んだことで、歴史的、文化的な価値が高まりました。自然災害によって倒壊してしまいましたが、2013年に現在の形で再建されています。
◆集賢亭
くねくねに曲がった桟橋が見えてきました。西湖ならではの遊歩道で、湖の中を歩いているような感覚が得られます。
◆俶影橋
アーチ橋を渡ると西湖天地となります。しだれ柳に囲まれた遊歩道があります。
◆アーチ橋
◆西湖天地
西湖天地は長崎の出島のような形状をしていて、緑豊かな公園として整備されており、お洒落なカフェやレストランの集まる一帯となっていました。
◆西湖天地の地図
◆緑豊かな景観
太極拳をする年配のグループがいたりと、中国ならではの光景が見られます。
◆問水亭
西湖天地と涌金公園の間には涌金橋が架かっています。
◆涌金橋
涌金公園を過ぎると、西湖十景の一つ「柳浪聞鴬(りゅうろうぶんおう)」となります。西湖南東に位置する大きな公園であり、友誼、聞鴬、聚景、南園の4つの景区に分かれています。南宋時代は杭州最大の御花園であり、聚景と呼ばれていました。園内に植えられた無数の柳が風に葉を揺らす様が浪のように優雅であり、枝でさえずる鶯の声が大変情緒的であることからに由来します。
◆柳浪聞鴬(りゅうろうぶんおう)
◆柳浪聞鴬公園地図
途中、シンプルながらも美しい白色の牌楼があったのですが、この背後にあるのが「銭王祠」という建物です。五代十国時代の呉越歴代王を祀る祠廟です。立派な外観だったので、中に入って見学したい欲求に駆られましたが、ここで歩き回って無駄に体力を消耗したくなかったので外観を見るに留めました。
◆功徳坊
◆銭王祠
遊歩道の両脇に立っている白い樹木は何という名前か分からなかったのですが、枝にはまだ何もついておらず寂しい雰囲気でした。3月上旬は、観光する時期としてはまだ若干早いんですよね。
◆白い樹木が植えられている一帯
西湖は観光客が多いのは勿論ですが、地元の方々の姿も多く、市民の憩いの場になっているのが伺えます。
◆体操をしている年配グループ
遊歩道沿いには多くの東屋が建てられています。歴史的価値のある建物については、解説が付いています。
◆翠光亭
◆芳華亭(芳华亭)
広大な敷地にポツンと建っているのは「聞鴬館」で、現在はレストランとして営業しているようです。
◆聞鴬館(柳浪闻莺店)
時間の経過と共に、遊歩道を歩いている人の数も段々増えてきました。西湖の周辺には多くのホテルが営業していますので、皆さん各々のホテルから西湖に出てきている様子でした。時折、西湖を周遊している電動カートも音を鳴らしながら通過していきます。
◆柳浪聞鴬(りゅうろうぶんおう)
遠くにですが雷峰塔が見えてきました。
◆雷峰塔
電動カートも頻繁に通るようになりました。勾配のあるアーチ橋の上も器用に運転していきます。
◆アーチ橋
◆学士公園
学士公園の次は長橋公園となります。ここから見える、夕日に映える雷峰塔が西湖十景の一つ「雷峰夕照」となります。昨日は、こちらの夕日を見る唯一のチャンスだったのですが、見送ってしまったのが今になって思うと少し惜しい気がします。
雷峰塔は西湖南岸にある夕照山の雷峰の上に建っているため、これに由来して人々が呼ぶようになった名称であり、元の名前は「黄妃塔」といいます。五代十国時代の呉越王銭弘俶が、その寵妃である黄氏との間に子を得たことを祝うために建てられたとされています。塔は1924年に倒壊してしまいましたが、2002年に現在の通り再建されています。また、この塔は中国の四大民間説話の一つ「白蛇伝(はくじゃでん)」にも登場します。
◆雷峰塔(長橋公園からの景観)
長橋公園には桟橋の遊歩道があったのですが工事中のため、この上を歩くことはできませんでした。夕暮れ時に、桟橋の上を歩いている人々のシルエットが湖面に映える美しい景観が有名な場所でもあります。
◆長橋公園の桟橋
ここまで約3km歩いて、西湖の南岸まで来ました。全体の約3分の1といったところで、長めの良い場所でもあったので、近くにあったベンチで小休止しました。遊歩道にはベンチなどの休憩するための設備が多く配置されており、飲み物やお菓子などが買える無人のお店もあったりと、非常に観光し易く造られている印象を受けました。トイレも各所に設置されており、常に綺麗に清掃されていました。とにかく、どこもかしこも清掃が行き届いており、西湖のブランドイメージを損ねないための努力が伺えました。視線を湖面に移すと、目の前をボートに乗った観光客の姿もあったりと、ほのぼのとした良い雰囲気でした。
電動カートの乗降地点もこの辺りになっているようで、乗客が降りた側から新しいお客さんがどんどん乗車していました。利用している観光客は多いのですが、電動カートも次から次へとやってくるので少し待てば乗車できる感じでした。
雷峰塔がある一帯に入りました。こちらは雷峰塔景区として整備されています。
■10:00 雷峰塔景区到着
◆雷峰塔景区の石碑
◆雷峰塔景区地図
西湖南岸の大通り「南山路」はひっきりなしに市営バスや観光バスが行き交っていました。歩行者用の通路に加え、電動カート専用道路、自転車専用道路も設けられており、大変賑やかな場所となっています。レンタルサイクルで周遊している観光客も大勢いました。雷峰塔前にはバス停がありますので、バスを使って気軽に来ることも可能です。
◆雷峰塔景区前のバス停
雷峰塔については、西湖のランドマーク的な観光名所なので、見学するか少し迷いましたが、ここは初志貫徹で、西湖を一周することを優先して外から見るに留めます。せめて外から雷峰塔が撮影できる場所はないか探してみたのですが、前方が樹木で絶妙に隠されてました。これが意図した設計であれば、良くできていると感心します。
◆雷峰塔
雷峰塔の向かいには「浄慈禅寺」があります。夕暮れ時に、浄慈禅寺の鐘を聞きながら眺める西湖の夕景は、西湖十景の一つに数えられ「南屏晩鐘(はんへいばんしょう)」といいます。こちらについても通りからの景観を見ただけで境内には入ってません。雷峰塔もそうですが、この辺りは晴れていれば夕暮れ時に来るのが良さそうだと感じました。
◆浄慈禅寺
西湖南岸には大きめの船着き場あり、多くの船舶やボートが停泊していました。
◆西湖南岸からの景観
蘇堤春暁
ここからが西湖の中でも特に有名な景観として紹介されている「蘇堤」を歩きます。西湖を南北に貫く2.8km、幅30~40mの人口堤防です。北宋の大詩人で政治家の蘇軾(号は東坡居士)が杭州知事だった1090年に築いたものです。蘇堤には6つの橋が架かっており、春の朝が最も美しいと言われており、西湖十景の首位に置かれ「蘇堤春暁」という名がつけられています。名前からして大変お洒落で、これだけでも格の高さが伝わってきます。当時、この堤防を築くために膨大な人員と資源を費やしたようですが、それから900年以上、そしてこれからも未来永劫、中国国内だけでなく世界中から多くの人集める景勝地としてのブランドイメージを確立するのに果たした役割は大きく、当時こき使われた人々には申し訳ないですが、十分元は取れたのではないでしょうか?
◆蘇堤(映波橋付近)
◆雷峰塔(蘇堤からの景観)
蘇堤によって西湖は東西に仕切られ、西側はさらに南から小南湖、西里湖、岳湖の3つに分けられます。山を背にした小南湖の静かな景観が個人的には印象に残っています。
◆小南湖の景観
◆西湖南端付近の地図
小南湖と西里湖の間にある橋を渡った先は花港景区になっています。花港という名前は、花家山の麓にある清流がここを経由して西湖に流れ込むところから来ています。南宋時代の内待官(宦官)盧允升がこの地に別荘を建て、盧園(花園)を造園したのが始まりです。宮廷画家の馬遠らがこの地を西湖十景の一つに選び、盧園は「花港観魚」の名前が付けられました。清朝の康熙帝が南巡の際、「花港観魚」の自筆を残しています。乾隆帝もこの地を訪れ詩を詠んでいます。
◆花港景区(花港観魚)
東に目を向けると、正面に島が見えますが、これが三潭印月(さんたんいんげつ)、小瀛州(しょうえいしゅう)とも呼ばれています。上空から島を眺めると陸地が「田」の字になっていて、湖の中に島があり、島の中に湖があるという何とも風流な構造になっています。島には先賢祠、迎翠軒などの見どころがあります。南側には石塔が3基建てられており、中秋の名月になるとここに火が灯され、これらが湖に映る美しい情景が西湖十景の一つ「三潭印月」の由来となっています。西湖の遊覧船に乗ると必ず停泊する大変人気のある景勝地となっています。
◆三潭印月
◆鎖瀾橋(锁澜桥)
三賢堂は賢堂とも呼ばれ、南宋の時代、1226年、臨安府知事の袁紹が白居易、林和靖、蘇軾を記念して建てたものです。元王朝の時代に老朽化により荒廃しましたが、2021年に再建されました。
◆三賢堂
◆湖山亭
この辺りにトイレがあったような記憶があります。多くの観光客が利用しているにも関わらず、綺麗に清掃がされており気兼ねなく利用できました。ホテルの位置が湖を挟んだ向かいにあり、約5km、半分を歩いたことになります。何とか最後まで歩けそうな感じですが、若干腰が痛くなってきたのでこの辺からはさらにゆっくり歩くようにしました。
◆望山橋
先ほどまでは曇りとは言え、うっすらと太陽が見えていたのですが、雲が段々厚くなってきて、湖の真ん中あたりにいる影響もあるのか、若干肌寒さも感じる状況になってきました。
◆蘇堤春暁碑亭
西里湖は特に見どころはないようです。
◆西里湖
◆圧堤橋
抗日戦争(日中戦争)中、日本軍は浙江省に侵攻し、杭州の住民は避難を余儀なくされます。重慶に在住していた浙江省の同胞は避難した人々を助けるために資金を募りました。抗日戦争勝利後の1947年、この英雄的行為を記念してこちらの仁風亭を建てました。南宋時代の詩人張濡がここに書斎を構えたという記録も残っています。
◆仁風亭
最後の跨虹橋を渡ると北岸に到着です。
◆跨虹橋
◆蘇堤碑
西湖北岸~白堤防
西湖北岸の北山街を西に少し歩くと、南宋の武将岳飛を祀った「岳王廟」があります。日本でも南宋については良く知らなくても、岳飛の名前だけは聞いたことがあると思います。岳飛は三国時代の関羽と共に漢民族の英雄とされる人物です。南宋は、北宋が女真族の金に華北を奪われた後、南遷した亡命政権です。首都は臨安、現在の杭州となります。南遷後、主戦派の岳飛らの活躍により強固に金に抵抗していましたが、和親派の秦檜(しんかい)らによって陥れられ処刑されてしまいました。死後、庶民からの岳飛に対する敬愛がやまず、南宋の朝廷も黙しえず、没後63年後に王号が追贈され、以後「鄂王」と称されました。岳王というのは通称です。廟内には秦檜夫婦が跪いている像があり、かつてはこれらに像を吐きかける習慣があったことも有名な話です。
余裕があれば中を見学する心づもりではあったのですが、全く無かったため諦めました。結局、今日はコーヒー代以外は全くお金を使いませんでした。
■11:00 岳王廟
◆岳王廟
岳王廟の南は、蓮の花が観賞できる名所となっていて、西湖十景の一つ「曲院風荷」の名前が付けられています。曲院とはもともと南宋時代の官営醸造所のことを指し、周囲には蓮の花が人工的に植えられおり、夏になると、暖かい風がゆったりと吹き、蓮の香りと酒の香りが漂ったことに由来します。
◆曲院風荷と刻まれた石碑
この周辺は、カフェやお土産屋さんが集まる広場となっていました。広場の湖岸近くには「碧血丹心(へきけつたんしん)」と刻まれた牌坊がありました。極めて強い忠誠心や愛国心を表す四字熟語で、岳飛の生涯を象徴しています。牌坊の奥に見えるのは岳飛の銅像となります。
◆碧血丹心と刻まれた牌坊
小休止を挟みながらとはいえ、さすがに歩き疲れたので近くにあったスターバックスで長めの休憩を取りました。外観は、周囲の景観とマッチするような伝統的な建物でした。
◆スターバックス(杭州曲院風荷店)
店内もなかなかお洒落な内装で、お客さんの多くは中庭で休憩していました。さすが外資系のお店ですね、スタッフは私が外国人だと分かると英語で対応してくれました。最初は頑張って中国語で注文しようとしたのですが、メニューを見ても漢字名だと何の飲み物なのかさっぱりで、読み方も分かりません。人物名とか地名は漢字の方が分かりやすいんですけど、料理や飲み物の名前になると途端に難易度が高くなります。勿論、英語も併記してあったので、素直に英語で注文しました。カフェラテを頂いたのですが、料金は30元(約660円)となかなかの値段設定です。日本でも含めてスターバックスを利用するのはいつ以来か忘れてしまいましたが、いつの間にか大分高くなりましたね。疲れていた中で頂いたカフェラテは、体が糖分を欲していたこともあり格別だったのは言うまでもありません。
◆店内の様子
このエリアの観光は終了し、西湖北岸に沿って東に向かいます。ここまでで約3分の2が終わり、残りは3~4kmといったところです。実は、もう少し西に行くと、西湖十景の一つ「双峰挿雲」が見える場所があるのですが、余裕がなかったため今回は断念しました。
北岸の遊歩道沿いにも、いくつもの見どころがありました。
◆花好月園
風雨亭は、もともと辛亥革命の先駆者であり、女侠でもあった秋瑾女史の祠堂が立っていた場所です。1959年に祠堂が取り壊され、跡地に東屋が建てられてました。風雨亭の名前は、彼女が処刑される前に残した最後の言葉から来ています。
◆風雨亭
◆跨虹と刻まれた牌坊
◆北岸からの西湖の景観
中国の四大奇書の一つ「水滸伝」で有名な「武松」の墓です。勿論、架空の人物のお墓です。水滸伝によると、武松は杭州で僧となり、後にそこで亡くなり埋葬されたとされています。清王朝時代の伝説によれば、武松の墓は六和塔付近にあったされます。現在の墓は1960年に破壊されたのを復元したものです。
◆武松墓
美しいアーチ橋が見えてきました。西泠橋といいます。
◆西泠橋(西泠桥)
橋のたもとには丸い形状のお墓がありました。「蘇小小」のお墓だそうです。蘇小小は、5世紀末の南斉時代、銭塘(杭州)の有名な妓女であり、優れた才能と美貌の持ち主でした。彼女の名前は唐代以降、多くの文人に取り上げられ、広く知られるようになったそうです。お墓の脇にある石碑には彼女の詩が刻まれていました。日本ではあまり知られていない人物にまつわる建物も多く、良い勉強になります。
◆銭塘蘇小小の墓(钱塘苏小小之墓)
西泠橋の先は「孤山」という小さな島に繋がっています。
◆孤山景区地図
西泠橋はそれほど幅の大きな橋ではありませんが、観光バスや電動カートなど多くの車両で渋滞していました。西湖北岸は杭州の中心部から近いこともあり、観光客の数もさらに多くなってきました。
◆西泠橋
島には孤山路と孤山後山路の2つの通り沿いに観光名所が点在しています。
孤山からは正面に2つの小さな島が見えますが、これらが人口の島である「湖心亭」と「阮公墩」です。先ほど紹介した三潭印月(小瀛州)と合わせて西湖三島と呼ばれています。
◆孤山からの西湖の景観
◆中山公園
◆光華復丹(光华复旦)牌坊
孤山からの西湖の景観が西湖十景の一つ「平湖秋月」と呼ばれています。
◆平湖秋月御碑亭
◆平湖秋月
孤山の東端からは1kmの白堤防と呼ばれる堤防の上を歩きます。白堤の元の名称は白砂堤といい、東端の断橋から西端の錦帯橋を結ぶ道となっています。唐代の詩人で杭州知事でもあった白居易を記念して白堤と呼ばれるようになりました。唐時代の詩人白居易については、杜甫や李白と並んで日本でも大変知られている人物なので説明は不要かと思います。
◆白堤
白堤の西端に位置する錦帯橋は、宋の時代はこの場所に涵碧橋がありました。明代の万暦帝の治世下において、十錦池の改修工事が行われた際に再建されました。橋の形状が錦帯に似ていることから、この名前が付けられました。清の康熙帝の時代にになると、御船の往来を容易にするため単アーチ橋に改築されました。1921年になると、断橋と共に現在の形に再建されました。ちなみに、日本の岩国市にも錦帯橋という珍しいアーチ橋があるのですが、杭州の錦帯橋の構造をヒントに建造されました。杭州市と岩国市は2004年に友好橋縁組を行っています。
◆錦帯橋
白堤の上を歩いていると、昨晩ライトアップされて気になっていた北岸にある塔が見えてきました。宝石山の山頂にあり、「保俶塔」といいます。6面7層の美しい塔です。
◆保俶塔
西湖十景の最後の一つが「断橋残雪」です。断橋から白堤にかけての雪景色を指します。石橋に雪が降り積もった後、橋の最も高い中央部から先に雪が解け始めるとき、橋が中央で分断されているように見えることからきています。
◆断橋残雪
◆雲水光中亭(云水光中亭)
以上で、若干の手抜きも含めつつ、西湖十景を一通り見て回りました。ここからは特に大きな見どころはなく、西湖沿いの遊歩道を歩いてホテルに戻りました。混雑していたことだけは覚えています。朝9時に出発してホテルに戻ったのは13時過ぎなので、時間にして約4時間といったところです。予想通り、10kmという距離は、日頃から運動不足のオッサンにはなかなかハードで、遊歩道を歩くだけで精一杯でした。雷峰塔や岳王廟などの超有名な観光名所すら見学する余裕がなかったのは残念ではありますが、西湖十景に代表される西湖の美しい情景をこの目で見ることができたので満足しています。















































































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