1月25日(日) 7日目
広元市3日目の滞在
広元市の観光名所について
広元市での滞在は3日目となります。当初は、2日間の滞在で昭化古城と剣門関を観光して終わる予定だったため、1日余裕ができました。予報通り天候が悪ければ、膝を少し休ませる意味合いもあり、ホテルでゆっくり過ごすことも考えていましたが、今朝になると、雨予報が曇り予報に変わったこともあり、出かけることにしました。
時間が許せば行きたいと考えていたのが「千仏崖(千佛崖)」、「皇澤寺(皇泽寺)」、「明月峡」の3ヶ所です。千仏崖は四川省最大規模の石窟群、皇澤寺は中国唯一の女帝である「則天武后(武則天)」を祀るお寺、明月峡は断崖絶壁に2,000年以上の歴史を持つ古桟道が復元された景勝地です。こう並べて見ると、広元市は本当に見どころが沢山ありますね。この中では、三国時代に深い関係のある明月峡が一番魅力的だったのですが、広元市の中心部から北東約20kmに位置する「朝天区」にあり、アクセスが良くないという問題がありました。タクシーをチャーターして訪問するのが無難なんですが、そこまでして行きたい気分ではなかったため、まずアクセスの良い千仏崖に行き、時間や体力に余裕があれば皇澤寺も訪問する予定です。
7路バスで千仏崖へ
千仏崖は広元市中心部(広元駅)から約4km北東に位置し、7路バス1本で行くことが可能です。広元駅で停発車するバスは沢山あるのですが、バス停は一ヶ所に集約されておらず、路線毎に点在しています。今は地図アプリがバス停の場所を教えてくれるので何とかなりますが、一昔前だったら探すのに苦労したと思います。運が良いことに、千仏崖方面のバス停は、ホテルから出てすぐの場所にあることが分かりました。
朝食は、昨晩買った菓子パンなどで済ませました。8時過ぎ、辺りが明るくなってきたのを見計らいホテルを出ます。空は厚い雲が覆っていますが、雨の心配はなさそうです。気温は昨日と同様に寒く、1~2℃といったところです。ホテル北側の通り「金輪南路(金轮南路)」に出て、100mほど歩くと、すぐバス停がありました。バス停は標識があるのみで、周りにはバスを待っているお客さんが何名かおり、手持無沙汰に待っているところでした。20分程度は待つことも覚悟していたのですが、幸いにも数分で7路バスがやって来ました。広元市のバスもEV化(電動化)されており、騒音が無く、排気ガスも出ないので、多くの車両が行き交う中心部でも空気の汚れを感じません。ドライバーは、中国では普通に見かけるようになった年配の女性でした。QRコード決済も無事通りました。
◆7路バス
バスは広元駅前の「皇澤大橋(皇泽大桥)」を渡った後は、嘉陵江に沿いの大通り「蜀門北路(蜀门北路)を進みます。建物が密集した賑やかな通りで、古くから発展している商店街のような景観でした。バスは順調に進み、約20分で千仏崖南側の入口にあるバス停に到着です。
千仏崖(千佛崖)
■8:20 千仏崖到着
インターネット上の情報によると、千仏崖(千佛崖)の正式名称は「広元千仏崖摩崖造像(广元千佛崖摩崖造像)」と書かれています。広元市の北約4km、嘉陵江の東岸、蜀道の金牛道沿いにあり、長い歴史と精緻な彫刻技術を誇る石窟群です。その起源は南北朝時代の北魏末期まで遡り、唐代に興隆を極め、清代に中断されるまで千年以上の歳月をかけて彫り続けられました。全長388m、高さ45m、950の龕(龛)と、7,000体以上の仏像が安置されています。龕(がん)は、蜂の巣のように幾重にも重なり、密集して配置されており、四川省で最も壮大な石窟群です。「龕」という聞き慣れない言葉が出てきましたが、仏像などの安置するために、壁を掘り込んだくぼみの事を指します。2012年に4A級の観光地に指定されています。
営業開始の8時30分に合わせて来たつもりですが、少し早かったようです。千仏崖と書かれた立派な牌楼が立っており、その脇には大きな駐車場がありました。
◆南入口牌楼
敷地は嘉陵江に沿って南北に長く、昨年観光した大同の雲崗石窟と同じような雰囲気を感じました。
◆観光マップ
牌楼を抜けると、石畳の遊歩道が整備されており、長くて広く開放感がありました。遊歩道の両側はちょっとした庭園のような雰囲気で、良く手入れされていました。あちらこちらに清掃しているスタッフの姿があり、ゴミ1つ落ちておらず綺麗に掃き清められていました。
◆遊歩道
途中で見かけた東屋ですが、石碑に刻まれている文字から察するに、千仏崖の修復工事の竣工を記念して建てられたもののようです。
◆石碑
数百メートル進むと、大門(大门)と、隣にはツーリストセンター(游客中心)の建物が見えてきました。一番乗りだと思っていたのですが、チケット窓口には先客が1組がいました。チケットは50元(約1,150円)ですが、高速鉄道を利用して広元駅に移動してきた場合、乗車券を提示することで35元(約805円)に割り引いてくれます。最初、窓口の女性に何か言われ、訳が分からず困惑したのですが、「高鉄」という言葉だけは聞き取れたので、そういえばrednote(小红书)に割引の事が書いてあったのを思い出しました。乗車券については、Trip.comの予約画面を見せればOKでした。
◆チケット
◆大門(大门)
大門を抜けると、右手に「大雲寺(大云寺)」というお寺が建っていました。南北朝時代の北魏末期に建てられ、初めは「柏堂寺」と称され、後に武則天(武则天)が皇帝になると、全国全ての州に大雲寺を建てるよう命令したことで、現在の名前に変更されました。現存する仏殿は、清朝乾隆帝の時代、1754年、広元県県令「张赓谟」が寄付して建造したものです。
◆大雲寺(大云寺)
大雲寺の少し先は、明代に「羅漢寺(罗汉寺)」があった場所で、中華民国年初(1912年)に壊されました。廟内の石彫刻羅漢像は1935年の道路建設時に集中的に埋められてしまいました。2010年に、考古発掘により出土し、20体余りが現存しています。
◆明代石彫刻羅漢の穴蔵遺跡(明代石雕罗汉窖藏遗址)
千仏崖に沿って蜀道の主要な道路である「金牛道」が整備されていましたが、1935年の道路建設時に終わりを迎えました。文化財団が崖の前の金牛道の遺構を発掘し、石板路、石欄橋、桟孔などを整理しました。
◆金牛道遺跡(金牛道遗址)
ここから二手に分かれていたのですが、先に斜面に沿って造られた右側の道を登っていくと、「千仏崖歴史陳列館」という建物が見えてきました。
館内は清掃中のスタッフ以外に誰もおらず、貸し切り状態でした。建物はそれほど大きくなく、千仏崖のミニチュアや出土した品々、各種資料が展示されていました。
◆千仏崖歴史陳列館(千佛崖历史陈列馆)
◆千仏崖のミニチュア
◆展示品の数々
◆各種資料の展示
簡単ですが一通りの見学を終え、陳列館を出た後は、来た時とは別の坂道を下って石刻区がある方向に進みます。途中、「桜桃園(樱桃园)入口」と書かれた標識が立っており、少し寄り道して見ましたが、地上の遊歩道に比べると手入れがされている様子がなく、草木が枯れている景観ばかりが続いていたので、この先を進んでも収穫は無いと判断し引き返しました。
◆桜桃園入口と書かれた標識が立っていた辺り
見通しの良い場所に出ると、高所から眺める嘉陵江の景観が素晴らしく、ついつい見入ってしまいました。山と川を背景にした、高架橋が交わる立体感とスケール感のある景観となっており、広元市ならではのものです。
◆嘉陵江の景観
階段を下りて地上に戻ると、ちょうど石刻区の南端付近に位置し、断崖絶壁にはびっしりと掘られた龕や窟の数々に驚きました。
◆千仏崖の景観
高い所にある石窟が見学できるように、崖には足場が設けられています。説明書きの付いた規模の大きな龕や窟を中心に見学しましたが、印象に残ったいくつかを挙げておきます。
◆千仏崖配置図
「涅槃龕(龛)」は、唐代に彫られたもので、方形の台の上に、北向き横たわる釈迦、十大弟子に囲まれており、背面には沙羅双樹が浮き彫られています。
◆涅槃龕(龛)(495号龕 唐代)
「神竜窟(神龙窟)」は、唐の時代、706年に彫られたもので、アーチ状の開口部を持つ龕があり、1体の弥勒大像が彫られています。新竜は則天武后の時代の最後の年号となります。
◆神竜窟(神龙窟)(493号窟 706年)
◆452窟(解説無し)
「北大仏窟」の本尊は高さ4mの弥勒仏であり、嘉陵江流域に彫られた最初の弥勒大仏です。
◆北大仏窟(北大佛窟、138号窟 唐代)
足場の上からの景観です。地上を見下ろすと思った以上に高さがあり、高所恐怖症の方は登るのが難しいかもしれません。
◆千仏崖の景観(足場)
「千仏窟(千佛窟)」、彫刻の緻密さと鮮やかな色彩が印象に残っています。背面が屏風となっている窟であり、中央に一仏、2人の弟子、2人の菩薩、2人の天王、2人の力士の九尊像が彫られています。背面の屏風には菩提樹が、2つの樹の間には天竜八部のレリーフが施されおり、周囲の壁には千仏が彫られています。
◆千仏窟(千佛窟)(689号窟 唐代)
見学している間にも、かなりの頻度で列車が横切るのでついつい目が行きます。
◆嘉陵江の景観
地上には大規模な石窟がいくつか彫られていました。「大仏窟(大佛窟)」は、南北朝時代の北魏末期の作品で、千仏崖の中で最も早く開削された洞窟であり、1500年以上の歴史があります。現存している一仏二菩薩が北魏の遺物となります。
◆大仏窟(大佛窟)
「蓮花洞(莲花洞)」は、北魏末期に開削が始まり、武周時代に改修されました。窟内には三世仏、すなわち阿弥陀仏、釈迦仏、弥勒仏が彫刻されており、中でも弥勒仏は当時の政治的な雰囲気の元に産まれたもので、則天武后の化身とされています。
◆蓮花洞(莲花洞)
中央付近で見上げると「大雲古洞(大云古洞)」という大きな洞穴がありました。初唐から盛唐の変わり目の頃に開削が始まり、千仏崖の中で最も規模の大きな洞穴となります。中央の阿弥陀仏と130体から成る蓮台菩薩は、当時の人々が西方の浄土世界を信仰したことを反映しています。
◆大雲古洞(大云古洞)
大雲古洞のすぐ隣には、唐の時代、715年に開削が始まった「韋抗窟」があり、唐から宋、明、清代にかけて刻まれた20余りの題辞(题记)があります。
◆韋抗窟
「中心柱窟」は、外室と内室の2つからなる双室窟であり、外室の左右両側には威風堂々とした力士が彫られており、内室は1人の仏、2人の菩薩像、2人の天王の五尊像が彫られており、壁面には2本の双樹を模したレリーフが施されています。本尊は胸の前で法輪印(法轮印)を結んでいます。
◆中心柱窟(400号窟 唐代)
「持蓮観音窟(持莲观音窟)」は、初唐と盛唐の間の頃に開削が始まりました。釈迦牟尼、多宝の2人が並んで座る彫像があり、背廟に天竜八部のレリーフが施されています。左側は持蓮観音といい、体つきがしなやかで美しく、彫刻は精緻であり、「東方美神(东方美神)」と評価されています。
◆持蓮観音窟(持莲观音窟)
「供養人窟(供养人窟)」は、方形の窟であり、中央には長方形の仏壇が切り出されており、壇の背面には天井に達する屏風があります。仏壇には1人の仏、2人の弟子、2人の菩薩、2人の力士から成る七尊像が彫られており、3つの壁には6組の夫婦巡礼者の像が彫られています。
◆供養人窟(供养人窟)(805号 唐代)
順路らしきものが整理されておらず、同じところを行ったり来たりしてしまいましたが、概ね一通り見終えました。昨年の9月、大同の「雲崗石窟(云岗石窟)」を訪問し、超ド級の石窟群を見てしまったので、あれと比べるとサイズ感の小ささは否めませんが、いくつかは精緻な彫刻があり、期待値以上の見応えはありました。
石刻区の北側には、崖の高い所に続く細い道があり、登っている観光客の姿があったので、私も後に続きます。道の先には幅の広い階段が設けられており、階段を登った踊り場周辺には、唐代に開削された約20体の彫刻像が点在していました。
◆千頭崖北側の岩窟彫刻像(千佛崖北段摩崖石刻造像)
ここからさらに北側に道が続いており、少し進んで見ましたが、東屋らしき建物が見えるだけで、石窟の類は無さそうだったので、来た時とは別の道を下って戻ることにしました。
◆千仏崖北側の景観
地上に降りたところから、少し北に行ったところに「古生物化石陳列館」と書かれた建物がありましたが、入口付近に大きな化石が1点展示されているのみでした。説明書きによると、重さ14トンの化石で、広元市朝天区宣河郷(宣河乡)で発掘されたものです。4億年前の地殻変動により、独特の海底生物の化石群が形成され、海綿動物、ヒトデ、ウニなど、古生代シルル紀(約4億4400万〜4億1600万年前)を代表する生物が含まれているそうです。四川省で発見されたシルル紀の化石群の中でも最大規模、最も多様性に富んでおり、古生物学研究にとって重要な科学的証拠となっています。
◆古生物化石陳列館(古生物化石陈列馆)
あとは、お土産屋さんらしき建物がありましたが、営業してませんでした。この先は北側入口まで何もなさそうだったので、引き上げました。
広元駅周辺を散策
7路バスで広元駅へ
もう一度、千仏崖を眺めながら来た道を戻ると、10時を少し過ぎた辺りでした。この時間帯になると、入口から向かってくる来る観光客の数も増え、団体のツアー客も入っています。崖に設けられた階段や足場の狭さを考えると、混雑すると移動するのが大変だったと思うので、朝の空いている時間帯に訪問して正解でした。
DiDi(滴滴)で移動してきたと思われるお客さんの姿も多かったので、今手配を掛ければすぐマッチングするとは思いましたが、帰りも7路バスを利用することにしました。バス停には、地元の住民と思われる年配女性が1人座って待っているだけでした。休憩がてら私も座ってのんびり待っていると、15分ほどでバスがやって来ました。車内は混んでおり、大半は地元の利用客のようです。帰り道は混雑していたので、少し時間が掛かり、30分弱掛かりました。帰りのバス停は、行きの時とは別の場所となり、広元駅の南側にある「則天路(则天路)」沿いにありました。この辺りは来ていなかったので、駅前広場などを眺めつつ、ホテルに戻ります。駅前広場の北側には、大きなバスターミナル(广元长途汽车客运站)の建物も見えました。先日、利用した南河バスターミナルとは別のターミナルで、名前から察するに長距離バス用のターミナルになっているようです。
春節が近いので、駅前広場には、重慶や閬中でも見た新年を祝う大きな飾りつけが置かれていました。
◆広元駅前広場
謝包子(谢包子)
ホテルで小休止した後、少し早めの昼食に出かけます。広元の伝統料理の1つである涼麺(凉面)を食べたかったので、地図アプリ上の評価が高かった「謝包子(谢包子)」というお店で頂くことにしました。ホテル北側の通り「金輪南路」を500mほど南西に行ったところにあります。名前から分かる通り、小籠包の方がメインのお店ですが、凉面も提供しています。
お店の中は広くて清潔、スタッフも沢山いて、皆さん忙しそうに働いている姿がありました。まだ空いていましたが、この後、次から次へとお客さんが入って来て賑やかな雰囲気でした。
◆お店の外観
メニューはシンプルで、2種類の小籠包、凉面と担凉面があり、これにスープやお粥、煮卵などの再度メニューが提供されています。注文方法が分からなかったのですが、近くにいた年配の男性スタッフに注文したい料理を伝えたところ、厨房に向かって声を掛けてくれました。今回は、鮮肉小籠包と凉面を頼みました。料金はそれぞれ12元(約280円)と6元(約140円)です。
◆メニュー
料理はすぐ運ばれてきました。小籠包はスタンダードなものでしたが、出来立ての熱々だったので、とても美味しく感じました。凉面は、名前から冷たい麺を想像していたのですが、暖かい麺が入っていました。米から作った麺はモチモチしてコシがあり、ほのかな甘みも感じました。醤油ベースと思われる濃厚なスープは私好みで、辛さも控えめだったので一気に完食してしまいました。
◆凉面と小籠包
皇澤寺(皇泽寺)
食事が終わった後は、金輪南路から則天路(则天路)に出て南西に進み、「皇澤寺(皇泽寺)」の方に歩いてみました。地図アプリから察するに、皇澤寺の敷地はかなり広く、現在の膝の調子で散策するのは厳しいと思ったのですが、せめて外側からの景観だけでも見ておきます。
約1km歩くと皇澤寺の北門(北门)が見えてきました。駅周辺に比べると閑散としており寂しい雰囲気が漂っています。着いて初めて分かったのですが、建物は高い所にあるようです。歩いて登る必要があるのか、エレベーターやシャトルバスといった手段があるのかは分かりませんでしたが、この景観を見て入場する気力が完全に失せました。
何度か言及していますが、皇澤寺は中国史上唯一の女帝である武則天(武则天)を祀る寺院です。皇澤寺の創建は南北朝時代の北魏末期で、北周、随、唐初期にかけて徐々に拡張されました。1500年以上の歴史があります。武則天が即位すると、自身の生誕地(広元)を記念して「皇泽」と名付けました。この言葉には「皇帝の恩寵は広大で、彼女の故郷まで及ぶ(皇恩浩荡、泽及故里)」という意味が込められています。境内には、6つの石窟、41の龕、1203点の岩壁彫刻、様々な時代の碑文が保存されています。2006年に4A級の観光地として評価されています。
◆北門
則天路沿いには、嘉陵江の眺めの良い場所があったので、寄り道して行きました。
◆嘉陵江
金輪南路には超市と書かれたお店は沢山見かけるのですが、個人で経営しているような小さいお店が大半の中、広元駅近くに「根貿超市(根贸超市)」という大きく品揃えの良いスーパーがありました。大きな荷物を持っている場合は、入口から入って脇にあるロッカー(無料)に荷物を預ける必要があります。店内は広く、通常の商品のほか、野菜や肉、果物などの専用コーナーがあり、中国ではまだ少ないパンの専用コーナーもありました。日本のパン屋さんで売っているような美味しそうな菓子パンが並んでいたので、飲み物などと一緒に購入して行きました。お店のスタッフは皆さん親切で、勝手がわからずウロウロしていると助けてくれました。広元市の滞在では、どの観光地、どのお店でも皆さん親切で良い印象しか残っていません。あと、このお店に限らず、中国のスーパー全般に言えることなんですが、ビニール袋や紙袋など何でも1つ1つ包装するので、ゴミがどんどん溜まるんですよね。マイバッグが定着した日本人の感覚からすると、相当な無駄使いをしているように感じます。
◆根貿超市(根贸超市)
買い物を済ませた後はホテルに戻り、午後は部屋でゆっくり過ごしました。
大刀宽凉面
晩御飯は、昨日と同じ食堂「大刀宽凉面」に行き、「紅焼牛肉盖飯(红烧牛肉盖饭)」を注文しました。料金は25元(約580円)です。辛さを聞かれたので、辛くないようにお願いしたつもりでしたが、普通に辛かったです。料理自体はとても美味しく、醤油ベースのタレで煮込まれた牛肉や野菜が口に合いました。ボリュームも満点で申し分ありません。
◆红烧牛肉盖饭
































































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