1月26日(月) 8日目
広元市から都江堰市へ移動
高速鉄道で四川省省都の成都市へ
今日は高速鉄道と市域鉄道を乗り継いで、成都市から北西約50kmに位置する都江堰市に向かいます。広元市には3日間滞在しましたが、見応えのある観光名所が多く、街を歩けば中国らしい景観が残っており、物価は安くて食事は美味しく、地元の人々は親切な人ばかりで、交通の便は思ったよりも良く、期待値以上に観光地としての良さを感じました。
今朝は6時に起床し、昨日購入した菓子パンなどで朝食を取りつつチェックアウトの準備を済ませます。TVを付けると、日本に関するニュースがいくつか報道されていました。内容としては、高市首相の失言を端に発した、中国から日本への渡航自粛の影響について報道されていました。実際に、長野県松本市にあるお土産屋さんなどに取材し、以前に比べると中国からの観光客が激減したことなどが強調されていました。日本人の視点からすると、若干中国寄りにバイアスされた内容には感じましたが、極端な反日のスタンスを取っているわけでもなく、比較的冷静に論じられていました。その他、日本の左翼が行っている反政府デモなどが紹介されていましたが、こちらは一部の日本人の意見が強調され過ぎている感がありました。
■7:30 チェックアウト
1階のロビーに降りたところ、灯りが点いておらず真っ暗でした。カウンターの後ろを覗くと、女性スタッフが布団を敷いて仮眠を取っていました。日本のホテルでは絶対ありえない光景だったので、少し面食らいましたが、中国らしいというか、地方のホテルっぽくて微笑ましいですw カウンターの上にはカードを置いてチェックアウトして下さいと書かれていたので、これに従いました。
外はまだ薄暗く、肌寒さを感じます。ホテル北側の通り「金輪南路(金轮南路)」に出ると、駅に向かう人々の姿が多くありました。いくつかの食堂は既に営業を開始しており、朝食を取っているお客さんの姿もありました。
◆広元市の朝
駅前広場はまだ灯りが点いており、夜間のライトアップを見ているような感覚がありました。
◆駅前広場
駅前の通りには次から次へと車が入って来て、朝の慌ただしさを感じます。
◆広元駅
入口ではパスポートチェック、荷物検査を済ませて待合室に入ります。広元駅の待合室は二階建てになっており、中規模の広さといったところです。電光掲示板を見ると、多くの便数が表示されており、待合室は混雑していました。今回利用する列車は、8時51分発のD1967便で、終点の成都東駅(成都东站)には10時32分に到着予定です。この列車の始発は西安北駅です。成都行きの列車は便数が多いため、予約開始後は座席がすぐ埋まることも無く、5日前ぐらいに余裕をもって1等席を押さえることができました。最初、D1967便の改札口のある1階の待合室にいたのですが、入口から冷たい風が入って来て寒かったので、しばらく2階の方に避難していました。同じように考えている人は多いようで、2階はさらに混雑しており、空いている席を探すのに苦労しました。
■8:45 改札
通常10~15分前になると改札が始まるのですが、今回は7分前になってようやく始まりました。これぐらいの時間でも十分間に合ったのですが、いつもと違うと不安を感じます。改札は多くのお客さんが並んでいましたが、短時間で通過できました。プラットフォームに上がると列車は既に到着していました。予約した座席を見つけ、荷物だけ置いてからトイレに行って戻ってくると、今時の格好をした茶髪の若い男性が私の席(通路側)に座っていました。彼が予約した座席は窓側だったのですが、勘違いして通路側を自分の席だと勘違いしていました。私が予約した乗車券の情報を見せても上手く伝わらなかったので、これ以上話してもしょうがないと思い、窓側の席に座りました。座席は広くて座り心地が良かったです。
■8:52 広元駅を出発
列車は定刻通り出発、この列車でも車掌さんからパスポートの提示を求められました。隣の若者は、スマートフォンでドラマか何かを見ているようですが、スピーカーから大音量が出ていて、とにかく煩かったです。座席の件は何とも思わなかったのですが、騒音には参りました。良くも悪くも中国らしい光景なんですが、私の中ではこの若者の呼び名はクソガキに変わりました。
窓側の席に座れたので、四川省らしい自然豊かな山の景観を眺めていると、次の江油駅で乗車してきた女性が、後ろの座席に座った後、問答無用にブラインドを降ろしてしまったので、何も見えなくなってしまいました。最近は、快適性や乗客の質を求めて専ら1等席を利用していますが、クソガキの次はバカ女と、ダメな時はダメなものだと思い知らされます。
綿陽市(绵阳市)辺りまで来ると、「成都平原」と呼ばれる平坦な地形に変わり、「涪江(ふうこう)」と呼ばれる大きな河川がブラインド越しに薄っすらと見えました。水資源の豊かな穀倉地帯であり、「天府の国」と称される肥沃さの一端が垣間見えます。徳陽市(德阳市)にある「広漢北駅(广汉北站)」まで来ると、人口の多い都市の景観に変わり、成都に近づいていることが分かります。
成都東駅(成都东站)
■10:30 成都東駅到着
定刻通り、成都東駅(成都东站)に到着しました。このまま、駅から出ることなく11時13分発のC6346便、「離堆公園駅(离堆公园站)」行きの市域鉄道「成灌線」に乗車します。一応、高速鉄道の一種ですが、厳密には成都市と都江堰市を結ぶ「都市間鉄道(C列車)」という分類になります。乗車券の購入から実際に乗るまでの流れは高速鉄道と同様です。ちなみに、成都東駅が始発の列車はこの1便のみで、他の便は「犀浦駅(犀浦站)」が始発となります。成都東駅から犀浦駅には地下鉄で移動できますが、時間や手間を考えると面倒だったので、この便に合わせて成都東駅に移動してきました。料金は約610円、利用客が多い列車なので座席はあっという間に埋まります。今回は、数日前に偶然1席空いているタイミングがあったので確保できました。
今回は初めて列車の乗り継ぎを経験しました。出口には向かわず、乗り継ぎと書かれた方向に進みます。乗り継ぎに向かう乗客の数は多く、混雑していました。しばらく進むと、乗り継ぎ専用の改札が見えてきました。本来は通常の改札と同様に、パスポートを読み取り機に翳す必要がありますが、今回は脇にいたスタッフにパスポートを提示するだけで通過できました。その先の、長いエスカレーターを何回か上がると待合室に到着です。列車が到着してからここまで約15分掛かりました。大都市の駅なので重慶北駅などと同様に、非常に広大な建物でした。お客さんも多く、どこもかしこも人だらけです。
◆成都東駅構内
■11:00 改札
C6346便の改札を見つけ、トイレなどを済ませていると、あっという間に改札が始まりました。既に長い列ができており、改札を通るまで5分ぐらい掛かりました。明らかに外国人の利用客が多く、有人のレーンにはパスポートを翳して通過している人が目立ちました。
プラットフォームに降りて、数分ほど待っていると列車が入って来ました。高速鉄道とは明らかに車両のタイプが異なる4両編成で、座席は2列-2列の配置で、立席用のスペースが多く設けられていました。立席のお客さんが多く、子供を連れたお母さんの姿が目立ちました。都江堰にはパンダ基地があるので、若い層のお客さんが多いのも納得です。
■11:13 成都東駅出発
定刻通り列車は出発、しばらくは徐行運転で進みました。犀浦駅では、多くのお客さんが乗車してきて列車内は溢れんばかりの状態になりました。所々でもめ事も起きているようで、大きな声が聞こえてきます。犀浦駅を過ぎると、ようやく列車は通常のスピードで進みました。成都東駅と犀浦駅の間は、何回も線路を変更し、多くの貨物列車などとすれ違ったので、ダイヤの合間を縫って運転しているのかもしれません。成都から都江堰までは約50kmあるのですが、郊外に出ても建物が多い都市の景観が続きました。
都江堰市
■12:06 離堆公園駅(离堆公园站)到着
駅は地下にあり、プラットフォームや設備は地下鉄駅に似ていました。出口付近は大混雑で、抜けるまで5分ぐらい掛かりました。地上に上がると、昨日までの寒さが嘘のような暖かさで、春の日和です。
駅名にもなっている、都江堰の入口がある離堆公園は、ここから歩いて数分の場所にありますが、まずは、今晩泊まるホテルに向かい、荷物を預けたいと思います。ホテルは都江堰に隣接する「灌県古城(灌县古城)」内にあります。
◆離堆公園駅の周辺の景観
駅の目の前には「仰天窩広場(仰天窝广场)」があり、巨大な「自撮りパンダの彫刻」は人気の撮影スポットとなっています。
◆自撮りパンダの彫刻(翌日早朝に撮影)
遊歩道を進むと、間もなく灌県古城の「宣化門(宣化门)」が見えてきました。明の洪武帝の時代に築城された東門となります。近くから見ると綺麗過ぎて、当時の面影は無く、テーマパークのセットのような印象を受けました。ちなみに、「灌県(灌县)」という名称は、都江堰市の旧県名です。1500年以上の歴史があり、南北朝の時代、北魏の頃に建設が始まりました。現在の古城は明清時代の建築様式が中心で、「南橋(南桥)」、「西街」、「孔子廟(文庙)」、「明城壁(明城墙)」などの史跡があります。
◆宣化門(宣化门)
宣化門を抜けると、メイン通りの「幸福路」が真っすぐ西に伸び、伝統様式の建物が並んでいました。
◆幸福路
200mほど進んだ後、右側の細い路地に少し入ったところにホテルがありました。所々にホテルの看板はあるのですが、思った以上に分かりにくい場所にありました。
風隱天驕ホテル(風隱天驕酒店)
■12:30 ホテル到着
建物の3階がホテルになっています。最初エレベーターがあることに気づかず、階段を使いました。
◆ホテル外観
庭園風のロビーは広く、明るく開放感がありました。隅の方には子供用のスペースなども設けらており、若いファミリー層を取り込もうという配慮が見受けられました。
◆ホテルロビー
お昼を過ぎて間もない時間でしたが、部屋の準備は終わっていたようで、チェックインさせてもらえました。対応してくれた若い女性スタッフは非常に印象が良く、この旅行で利用したホテルの中で一番親切でした。翻訳アプリや英単語などを交えながら、外国人が間違えそうなポイントを説明してくれたり、様々な配慮してもらえました。
今回予約したのは、一番安かった「ラウンドベッド」と呼ばれる、文字通り円い形状をしたベッドが一組置かれている部屋です。予約は一週間ほど前に行い、1泊朝食付きで約4,000円でした。部屋の奥には温泉宿のような休憩スペースがあり、お茶道具一式が置かれていました。
部屋は広く清潔でしたが、いくつも段差が設けられており、足の不自由な方は若干不便かもしれません。天井が高いため、暖房を入れても、下の方、ベッド回りの暖まりが悪かったのが気になりました。この日は暖かかったので支障なかったのですが、別の寒い日だったら困ったかもしれません。
◆ラウンドベッド
◆ラウンドベッドルーム
デスクには湯沸かしポットが置かれており、冷蔵庫もありました。アメニティはお洒落なデザインのものが多く、若い層をターゲットにしているのが伺えました。
◆デスク周り
洗面所、バスルームも広く申し分ありません。
◆バスルーム
琼琼小面
お腹が大分減っていたので、先に昼食を取ってから観光に向かいます。メイン通りの「幸福路」を西に少し進むと、北側に何軒かの食堂が並んだ路地があったので覗いてみると、「琼琼小面」という手軽に済ませそうなお店があったので入ってみました。店内では何組かのお客さんが各々麺料理をすすっていました。
◆お店の外観
こちらのお店では「甜水面」や「担坦面」など、四川省発祥の麺料理を提供しています。注文すればすぐ料理が出てくると思っていたのですが、この判断は大間違いでした。店内には年配の男性が1人いるのみで、料理から配膳まで全てワンオペで処理していたため、注文してから料理が出てくるまで30分近く掛かりました。おまけに、最初は「凉面」を頼んだのですが、後から麺の在庫がないと言い出してきたので、別の料理に変更する必要があり、何でも良いと返事をしたところ、出て来た料理はおそらく担坦面だったと思います。担担面は、四川料理らしい結構な辛さがありましたが、具材で使われている胡麻の食感が良く、麺のコシやスープなども普通に美味しかったです。
◆メニュー
◆担坦面
都江堰
南橋(南桥)
昼食後は、本格的に観光を開始します。幸福路を西に進むと、前方の山の上に楼閣が見えてきました。「玉塁閣(玉垒阁)」という建物で、玉塁山の頂き(865m)に建つ6層の展望塔であり、都江堰や遠くは青城山まで一望できる絶景スポットだそうです。
◆幸福路
幸福路から「南街」に入ります。両側に街路樹が植えられた風情のある通りとなっており、多くの飲食店やお土産屋さんが軒を連ねており、賑やかな空気に包まれていました。
◆南街
南街を進むと「南橋(南桥)」が見えてきました。大変有名な橋なので多くの観光客で賑わっています。
南橋は、都江堰の「宝平口」下流、岷江(びんこう)の内河に架かり、南街と復興街(复兴街)を結ぶ屋根付きの古橋(廊式古桥)です。元々は「普済橋(普济桥)」という名前の橋で、「水上画楼」、「雄居江源第一橋(桥)」、「覧勝台(览胜台)」とも呼ばれていました。清の光緒年間、1878年に建設され、当初は「普済橋(普济桥)」と呼ばれていました。以後、幾度なく損傷を受け、再建、拡張が施され現在に至ります。南橋は5つのアーチを持ち、長さ54m、幅12mで、3層の重なり合う軒を持ち、瑠璃瓦で覆われています。橋の両端は、珍しい鳥や動物、様々な民話や演劇の登場人物をモチーフにした色鮮やかな彫刻が施されています。
◆南橋(南桥)
橋の中に目を向けると、左右の回廊の内壁には、風景や神話を描いた精緻な壁画、書道作品など34点が飾られています。天井には《海瑞罢官》《水漫金山》《孙悟空三打白骨精》などの場面を描いた民俗彫刻が施されています。
◆南橋(内側)
◆南橋からの景観
橋を渡ると、大きな広場「南橋広場(南桥广场)」があり、ツーリストセンター(游客中心)の建物や都江堰の入口(离堆出入口)が見えてきました。
◆南橋(南側)
都江堰について
■13:15 都江堰入口
最初、ツーリストセンターのカウンターにいた女性にチケットを買いたい旨を伝えたのですが、こちらでは販売しておらず、入口の南側に専用のチケット売り場がありました。料金は80元(約1,840円)で、パスポートを提示する必要があります。残念ながら紙のチケットはなく、パスポートによる入場となります。
◆チケット売り場
入口は自動化ゲートですが、外国人の場合は、スタッフがいる有人のレーンに並び、パスポートを提示して、登録済みの確認が取れると入場できます。
◆离堆出入口
都江堰は、今回の旅行の中でも、必ず訪問したいと思っていた場所なので楽しみにしていました。天気は予報通り上空は晴れ間が差し、気温も午後から15℃近くまで上がり、非常に観光し易い気候になりました。ここ数日悩まされていた膝の痛みですが、この暖かさのおかげでしょうか、今のところ全く問題ありません。
「都江堰」は、成都平原西部の岷江(みんこう)にある、古代の水利・灌漑施設です。紀元前256年(秦の昭襄王の晩年)、蜀郡太守の李冰(りひょう)とその息子の「二郎」によって建設されました。古代中国人の勤勉さ、勇気、知恵を結集した大事業であり、2280年の歴史を誇ります。長きに渡り治水と灌漑における重要な役割を果たし、ここから引かれた岷江の水は成都平原5300㎢を潤し、「天府の地」と呼ばれる豊かな土地に変えました。以後、様々な改良が加えられ、現在になってもなお機能している古代水利施設であり、2000年には青城山とともに世界遺産に登録され、中国の5A級観光地となりました。
都江堰は広大な面積を誇り、水利・灌漑施設以外にも、「二王廟(二王庙)」といった見どころまで含めて観光すると2時間以上は余裕でかかります。
◆観光マップ
都江堰は景勝地としての素晴らしさは勿論ですが、古代の水利技術に触れることができるという、他の観光名所にはない工学面の面白さも魅力の1つです。漠然と都江堰を観光しても良いのですが、都江堰の仕組みを理解しておくとより深く楽しめます。都江堰の凄さは、電気も機械も無い時代に、自然の地形と、水の流速、遠心力などを巧みに利用して治水・水利を行ったところにあります。
下の写真は、現地で掲示されていたものです。写真の上側が岷江の上流です。都江堰は大きく3つの部分から構成され、上流から順番に「魚嘴(ぎょし)」、「飛沙堰(ひさえん)」、「宝瓶口(ほうへいこう)」と言います(赤線の矢印の先)。
- 上流から流れてきた岷江の本流が、魚嘴により外江(左側)と内江(右側)に分けられます。外江はそのまま下流(長江)に流れて行きます。内江は灌漑用水として利用されます。
- 飛沙堰では、内江に入って余った水が再度外江に排出されるようになっています。洪水時、内江の水が過剰になると、遠心力を利用して土砂が外江に排出され、内江の土砂堆積を防ぎます。
- 巨大な地盤を切り開いた水路であり、地形的な狭さを利用して、飛沙堰から流れてくる水量が多い場合でも、自動的に制限します。
◆都江堰の仕組み
離堆公園~伏龍観(宝瓶口)
入口の先は「離堆公園(离堆公园)」が整備されており、緑豊かな美しい景観が広がります。まずは、お決まりの記念碑がいくつか置かれており、多くの観光客、特に声の大きなおばちゃん達が群がっていました。中国ではこの人たちに出くわしたら、我々外国人は諦めるしかありません。なかなか良いタイミングがなく、どこかのおばちゃん達が入ったまま撮影しています。
◆記念碑
公園を南北に貫く、手入れの行き届いた参道を進みます。
◆参道
「卧鉄(卧铁)」は、内江の「鳳栖窩(凤栖窝)」に埋められた、浚渫(しゅんせつ)のための鉄棒です。浚渫とは河川の水底に堆積した土砂やヘドロを除去する作業のことです。古代より現在に至るまでには、雨量の少ない時期になると、毎年河床に堆積した泥を浚渫してきました。この際、どの深さまで浚渫すればよいかの基準が必要となるため、その基準となる深さに鉄棒が埋められました。
◆卧鉄(卧铁)
「堰功道」と呼ばれる石畳の遊歩道があり、両脇には都江堰の建設や修復に貢献した歴史的偉人を称える像が並んでいます。
◆堰功道
「張(张)松銀杏」は、樹齢1800年を超える名木で、三国時代の蜀の政治家「張松(张松)」が植えたと伝わっています。秋になると、黄金色に色づき、堰功道を鮮やかに彩ります。
◆張松銀杏
離堆公園の北端まで進むと、小高い丘の上には「伏龍観(伏龙观)」という古代道教の建築群があります。建築群のすぐ北には「宝瓶口」があります。
元々は「范賢館(范贤馆)」と呼ばれ、西晋時代末期に四川省出身の著名な学者「范長生(范长生)」を記念して建てられたものです。北宋時代の初期に、李冰が龍を鎮め水を制したという伝説から現在の名前に改められました。
建築群は地形に沿って南北の中心軸上に配置されており、「老王殿」、「鉄仏殿(铁佛殿)」、「玉皇殿」といった建物から構成されます。
◆伏龍観(伏龙观)
殿内には、後漢時代の李冰の石像や、明代の龍紋鉄鼎(龙纹铁鼎)などの貴重な美術品が収蔵されています。
◆李冰の石像
◆龍紋鉄鼎(龙纹铁鼎)
都江堰の縮小模型が飾られており、周囲の地形や位置関係などが良く分かりました。伏龍観は、写真の中央からやや右、三方を内江に面している場所に位置しています。三方を絶壁に囲まれ、北側は遠く堰堤を望み、下側には激流の内江が見渡せ、楼閣や古橋などが織りなす独特の景観を形成しています。
◆都江堰縮小模型
◆北西(飛沙堰)
◆北側
◆南側(遠くに南橋が見える)
◆北東
飛沙堰(飞沙堰)
次は木製の橋を渡って公園西側にある「人字堤」に移動します。
◆木製の橋
◆橋の上からの景観
人字堤を北に進むと、先ほど見学した「伏龍観」のあった辺りが良く見えました。伏龍観の奥が宝瓶口になります。
◆伏龍観
人字堤の北端から目の前に見えるのが「飛沙堰(飞沙堰)」です。先述した通り、内江(右)に流れる水の余剰分が外江(左)に戻され、雨の多い時期の洪水を防ぎます。この時、遠心力によって内江に溜まった土砂も外江に流れ、宝瓶口に土砂が堆積するのを防ぐわけです。一見、ただの平凡な河川にしか見えませんが、何から何まで良く考えられた構造をしています。
◆飛沙堰(飞沙堰)
北端付近には記念碑が立っていました。
◆碑亭
魚嘴(鱼嘴)
最後は橋を渡って「金剛堤」北端にある「魚嘴」を目指します。1km近くの距離があり、ここから発着している電動カートにより移動することも可能です。この時はまだ膝の調子は問題なかったので、ゆっくり歩きながら北端に向かいました。金剛堤は、電動カート用の専用道路が往路と復路で2本整備されており、これらを挟むように、歩行者用の遊歩道が3本(中央と、両端にぞれぞれ1本)伸びていました。
◆金剛堤
真ん中の遊歩道を進むと、途中から背丈のある林に囲まれた景観に変わりました。
◆金剛堤の遊歩道
3分の2ほど進んだところに、円形の広場があり、先に掲載した都江堰の仕組みの説明や、記念碑などがありました。
◆円形の広場
ここから先は、景観の良い東側の遊歩道を歩きました。岷江(内江)に架かる「安瀾索橋(安澜索桥)」や「秦堰楼」などが見えてきました。堤防の中央のスペースには、食事処やお土産屋さんなどが集まっており、観光客で賑わっていました。
◆金剛堤からの景観
◆金剛堤の景観(食事処など)
トイレで小休止した後、北端にある広場に向かいます。このすぐ先には、電動カートの発着所がありました。広場からの景観は、伏龍観や人字堤からのものと比べると、特別面白味は感じませんでしたが、その割には大変な活況を呈しており、人の隙間がなかなか見当たらず撮影をするのが大変でした。
上流から流れて来た岷江の本流は、ここで外江(左)と内江(右)に分けられます。魚の頭に似た形状をしていることから魚嘴という名前が付けられています。
◆魚嘴(鱼嘴)
外江側には「外江閘」と呼ばれる、水量を調節する施設がありました。魚嘴の構造はそのままに、現代の技術も導入されていることが分かります。
◆外江閘
玉塁山公園(玉垒山公园)へ
■14:20 玉塁山公園
都江堰の水利・灌漑施設については一通り見学を終えました。以上で前半戦は終了ということで、後半は安瀾索橋を渡って東岸に向かい、玉塁山公園(玉垒山公园)を散策します。
「安瀾索橋(安澜索桥)」は、「评事桥」、「珠浦桥」、「夫妻桥」、「何公何母桥」とも呼ばれ、中国五大名橋の1つに挙げられます。橋自体は唐の時代には存在していたようです。記録に残っているものとしては、宋代まで遡り、幾度か焼失と再建が繰り返されました。
正面の山腹に建っているのは「秦堰楼」で、まずはあの場所を目指します。橋の上は想像していた以上の揺れがあり、大勢の観光客が渡っていた影響もあり、常時揺れっぱなしでした。かなり嫌な揺れ方をするので、気分が悪くなっている人の姿もありました。
◆安瀾索橋
吊り橋は、東岸の橋頭堡(桥头堡)から金剛堤にある分江亭を結び、さらに外江の西側にある外江亭まで伸びています。全長は286.5mとなります。
◆分江亭
秦堰楼に行くには、正面の石段を登るのが最短距離ですが、迂回して比較的勾配の緩やかな道から行くこともできるようです。石段の上に見えるのは「堰功亭」と呼ばれるお土産屋さんなどが入っている建物です。建物を抜けた先も石段や勾配のある坂道が続きます。秦堰楼近くになると階段は狭く勾配もきつくなり、上から途切れなく降りて来る人もあって、一気に進みが悪くなりました。小さい子供や年配のお客さんは階段を上がるのに苦労していました。私も昨日のような膝の痛みがあったら、後ろの人に迷惑をかけていたと思います。
◆堰功亭
ようやく秦堰楼に着きましたが、ここからさらに最上階の展望台まで階段を登る必要がありました。秦堰楼のすぐ近くには、出入口(6号門)があり、車でここまで移動してきて入場するお客さんが目立ちました。rednote(小红书)には、この門から入場すると、後は下るだけで済むためオススメされていたのを思い出しました。秦堰楼という名前は、都江堰が秦の時代に建設が始まったことに由来します。
秦堰楼の中は混雑しており、階段も行列が出来ていたので、展望台に辿り着くまで時間がかかりました。各階には、お土産屋さんやカフェなどのお店が営業していました。
◆玉塁山中腹からの景観
展望台からは都江堰が遠くまで一望でき、飛沙堰から金剛堤、魚嘴といった、ここまで見て来た見どころが俯瞰で良く見えました。大変混雑していましたが、隙を見つけては各方角の景観を何とか写真に収めます。
◆都江堰の景観
二王廟(二王庙)
木々に囲まれた風情のある遊歩道を歩き「二王廟(二王庙)」へ向かいます。
◆観光マップ
「老君殿」という立派な建物がありました。典型的な道教寺院らしい佇まいで、道教の最高神「三清」の1人、「道德天尊」が祀られています。
◆老君殿
斜面に沿って建物が密集して建っており、立体感のある景観が形成されています。
◆老君殿辺りからの景観
「龍王殿(龙王殿)」は、道教における水の神様である龍王が祀られています。言い伝えによると、古代、灌口の鉄龍から姿を変えた龍王は、夏王朝において、禹王の治水事業を助けた功績から、「東海龍王」の称号が授けられたと言います。左に祀られているのは薬王の「孫(孙)思邈」、右は「慈航真人」です。
◆龍王殿(龙王殿)
高い所から下って来たので、二王廟の裏側から入ることになり、順路とは逆方向に見て行くことになりました。平面図の類も見当たらないため、建物の位置関係などが良く分からないまま漠然と見学してしまいました。一旦、入口まで降りてから順路に従って見学した方が良かったかもしれません。
玉塁山の麓に位置する「二王廟(二王庙)」は、古代の治水家「李冰」とその子「二郎」を祀る廟です。都江堰を構成する重要な歴史的建築物です。南北朝時代の「斉」の治世、494年に建立され、以後幾度か修復されました。この廟は元々は「望帝祠」と呼ばれていましたが、李冰親子が都江堰を建設した偉大な功績を記念して「崇德庙」と改められました。宋王朝の後、李冰親子は王の称号が与えられ、現在の名前に改められました。
二王廟は山の地形に沿って建てられており、主軸は南西から北東に向いており、中庭式(合院式)の配置が取られています。3つの主殿と16の配殿から構成されていますが、この建築群の大きな特徴として、中心軸の対称性に囚われず、自然の地形に合わせて、重なったり絡み合ったりしながら独特の景観を形成しています。
本殿は「大殿」と「二殿」が向かい合って建っており、それぞれ二郎神と李冰夫婦の像が祀られています。歴史上は、李冰夫婦に息子が実在したかどうかは根拠に乏しく、伝説上の二郎神を息子として創造し、本堂に祀ったようです。
◆二殿(李冰夫妇殿)
◆大殿
迫力のある山門は大きな見どころであり、上部には大きく「仁王廟」と書かれた立派な額があります。中華民国の将軍「馮玉祥(冯玉祥)」の筆によるものです。
◆山門(山门)
勾配のある立派な石段を降りた先には「造福万代」と書かれた照壁が立っています。この4文字は鄧小平氏が刻んだもので、「万代にわたって子孫を祝福する意味」が込められています。
◆照壁
石段を下りつつ、「霊祖殿」、「三官殿」と順番に見ていきました。
◆霊祖殿(灵祖殿)
◆三官殿
三官殿の壁に書かれた碑文「深淘滩,低作堰(川底を深くし、堰を低くせよ)」は、李冰が治水管理のために用いた6文字の格言です。その隣にも、8文字の格言と《三字経》が刻まれており、後世の人々に対して、問題が起こる前に未然に防ぐように警告しています。
◆三官殿の壁に書かれた碑文
◆三官殿から降りたところにある門
三官殿から降りた先、1階部分は中庭を形成しています。岷江と同じ方向に、縦に伸びる長い中庭で、「松茂古道」の一部を成しています。中庭の両端にはそれぞれ立派な門が建っています。
◆1階の中庭
松茂古道
二王廟を出た後は、「松茂古道」を歩いて出口に向かいます。「茶馬古道(茶马古道)」とも呼ばれ、古くはシルクロードの一部だった道であり、東は玉塁山の麓から西の娘子嶺(娘子岭)まで約320kmに渡って伸びていました。1700年以上前の三国時代に開通したこの古道は、成都平原と川西高原(四川省西部)を結ぶ重要な交易路へと発展し、漢族、チベット族、羌族の経済・文化交流を促進する上で重要な役割を果たしました。
緑豊かな自然に囲まれた景観の良い遊歩道ですが、このまま平坦な道が続くと思いきや、途中から勾配のある石段を登る必要があったりと、なかなか楽をさせてくれません。この辺りから少し疲れを感じ始めました。
◆松茂古道
■15:20 玉塁関
数百メートルほど歩くと、見晴らしの良い高台となり、「玉塁関(玉垒关)」という史跡が建っていました。またの名を「七盤関(七盘关)」とも呼ばれ、1100年以上の歴史を持つ史跡であり、「四川省西部の要衝」として知られています。唐の貞観年間初期に創建された後、856年に「白敏中」が蜀郡を率いた際に再建されました。詩人の杜甫はこの地を訪れ、その情景を詠んだ名句が残されています。
◆玉塁関(玉垒关)
◆玉塁関からの景観
玉塁関の先も景観が良く、南橋や玉塁閣といった建物が遠目に入ります。
◆松茂古道からの景観
数分歩くと「西関(西关)」が見えてきました。元々は宋代に築かれた要塞の門(寨门)でしたが、明代になると「宣威門(宣威门)」と呼ばれる新しい城門に改築され、門の上には「淮源楼(怀远楼)」が建てられました。
◆西関(西关)
西関を抜けた先は出口があり、有料の区域はここまでとなります。山頂に建っている「玉塁閣」が残っていたのですが、ここに来て、膝が痛くなってきたので諦めました。
城隍庙
帰り道、近くに「城隍庙」があったので、本堂には入らず、参道から見える範囲で終わらせました。
◆馬王殿(马王殿)
◆十殿
◆玉塁山出入口
◆玉塁山と書かれた牌楼
牌楼を抜けると、南街と幸福街が交わる場所に戻って来ました。1時過ぎにここからスタートして反時計周りにグルっと一周したことになります。かれこれ3時間近く歩き回り、さすがに疲れたのでホテルに戻ります。
嗦一瓢米线
外を歩いていた時は、平日としてはかなり人出が多いと感じたのですが、その割にはホテルの中は人の気配が無く、寂しい空気が漂っていました。昼間は明るかったロビーも若干暗く、節約しているのか分かりませんが照明も点いておらず、寂しい雰囲気に追い打ちをかけている印象がありました。元々の私の予定もそうだったのですが、都江堰は成都から日帰りで観光するお客さんが多いようなので、ホテルに一泊してまで滞在するお客さんは思った以上に少ないのかもしれません。
17時過ぎ、早めの夕食に出かけました。ホテルの北側にある通り「五桂橋街(五桂桥街)」には多くの飲食店が集まっているようだったので行ってみました。「楊柳河街(杨柳河街)」から五桂橋街にかけては、屋台がずらっと並んでおり、観光地らしい賑わいを見せていました。
◆灌口街道五桂桥街
選択肢は沢山あったのですが「嗦一瓢米线」というお店に入りました。口コミ評価が良く、SNSなどでも紹介されている人気店のようです。混雑していたら諦めるつもりでしたが、この時間は空いていました。「米線(米线)」と呼ばれる、雲南省発祥の米と水だけで作られる麺が専門のお店です。
◆お店の外観
注文は机に貼ってあるQRコードを読み取り、起動したミニプログラムから料理を選択して決済するお馴染みの形式でした。米線と一口に言っても、様々なバリエーションがありましたが、無難に「牛肉米線」を選択しました。これに卵と揚げ豆腐をトッピングしたものを注文し、料金は29元(670円)でした。数分ほど待っていると、料理が運ばれてきました。料理は、お椀の代わりに大きな鍋に入っていました。一番辛くないものを選んだつもりでしたが、見るからに辛そうです。実際にスープは非常に辛く、一口入れただけで、舌がピリピリと痺れ、汗が噴き出てきます。麺はそうめんのような柔らかい食感でした。トッピングした揚げ豆腐の食感が良く、スープとの相性も良く、良く染み込んでいました。スープは二口ほどしか飲めませんでしたが、料理自体は美味しかったので完食できました。
◆牛肉米線(线)
灌県古城のライトアップを楽しむ
19時過ぎ、辺りが暗くなったのを見計らって再度外出し、南橋周辺を散策しました。
◆幸福街
南街はかなりの人出となっており、賑やかでした。ツアーの団体客が多く見かけたのが印象に残っています。欧米からと思われる外国人のツアー客もチラホラ見かけました。
◆南街
肝心の南橋ですが、横方向からしか撮影せず、写真で良く紹介されている、橋の南側や北側、少し離れた場所からの景観を撮影するのを失念していました。
◆南橋







































































































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