1月24日(土) 6日目
昭化古城から剣門関へ
昭化古城の朝
今日はいよいよ「剣門関(剑门关)」の観光となります。中国史、特に三国志好きであれば、絶対外せない史跡であり、長年行きたいと思っていた場所の1つです。
今朝は、昨日買った紅豆餅と板栗餅の残りで軽く済ませました。ここ数日頭を悩ませている膝の痛みですが、一晩寝ると概ね回復していました。何とか剣門関には行けそうな状況ではありますが、歩くとまたすぐ痛くなりそうなので、予断を許しません。予定していた早朝の散策は控え、旅館の中庭を眺めたりして過ごしました。
昨日はあまり中庭をよく見ていなかったのですが、奥の方に行くと、木製のテーブルや椅子が置かれた休憩用のスペースが設けられており、伝統建築の建物に手入れの行き届いた樹木など、風情のある景観を楽しむことができました。また、飲み物を買うため、旅館の向かいにあるコンビニに入ったところ、店員さん達は、朝食の際中で、皆さんカップラーメンをすすっている光景がローカル感満載で苦笑を禁じえませんでした。
◆旅館の中庭
タクシーと路線バスを繋いで剣門関へ
剣門関は、広元中心部から南西約40kmの位置にあり、昭化古城は丁度中間地点に位置しています。国内から多くの観光客が訪れる5A級の観光地であり、高速鉄道の剣門関駅(剑门关站)が整備されたことで、アクセスが容易になりました。剣門関駅からは7路バスを利用して剣門関に移動でいます。
昭化古城からの移動を考える場合、剣門関への直通バスが一応存在するようですが、明記している時刻表の類もなく、外国人旅行者にとっては敷居が高そうだったので早々に諦めました。一旦、広元市中心部に戻ることで、バスや高速鉄道により移動することができますが、今日はシンプルにタクシーで剣門関駅に行くことにしました。行き先を剣門関にしなかったのは、荷物を預ける必要があるためです。昭化古城の閑散とした状況を見ていると、DiDi(滴滴)でタクシーを呼んでもマッチングするかはかなり運に左右される予感がしたので、旅館のオーナーにタクシーを手配してもらいました。料金は100元(2,300円)とDiDiを利用する場合に比べて若干高くなりますが、自力でタクシーを拾う労力と時間を考えれば十分許容範囲です。
■9:15 チェックアウト
旅館をチェックアウトした後は、タクシーと同流するためにサービスセンター(游客中心)に向かいます。これが正真正銘最後の昭化古城の散策となりました。コンパクトながらも歴史を感じる風情のある古城だったので、来た甲斐がありました。
オーナーに指示された通り、サービスセンター前の駐車場に着いてから、教えてもらった電話番号を鳴らしたところ、間もなく一台の車が寄って来て無事合流できました。ドライバーさんは私と同年代ぐらいの無口な男性でした。車は高級感のある内装で清潔感がありました。車種は分かりませんが、中国製のEV車で、走行中は騒音の類が無く、とても静かでした。ドライバーさんの運転も丁寧で、高級車に乗っている気分を味わえました。
なお、駐車場には南河バスターミナルからやって来た乗合バスが到着したところで、週末の土曜日ということもあってか、何名からのお客さんが降りて来ました。また、白タクと思われるオッサンの姿もあったので、自力でタクシーを捕まえることはできたかもしれません。
剣門関駅までの道路は、険しい山道を想像していたのですが、比較的平坦で、広くて真っすぐ伸びる道路だったので拍子抜けしました。剣門関がある辺りは、広元市の下にぶら下がる「剣閣県(剑阁县)」という行政区になるのですが、人口は約68万と島根県と同レベルです。県内を流れる清江河に沿って発展しており、市街地は大きな建物が並んでおり、なかなか栄えているのが伺えました。剣門関駅近くには、大きなホテルも多く、温泉の出る施設も多いそうです。
剣門関駅の隣には、「大蜀道不夜三国城」というテーマパークがあり、三国時代をテーマにした没入型の文化・エンターテイメント複合施設と書かれていました。
剣門関駅(剑门关站)
■10:00 剣門関駅
剣門関駅前の大通りで降ろしてもらいました。Wechatで決済を済ませると、ドライバーさんは無言のまま走り去ってしまいました。周囲を見渡すと、週末の土曜日にも関わらず人の気配が全くありません。Youtubeなどの動画などでは、かなり混雑している様子を見ていたので落差に驚きました。剣門関駅は大きな駅ではありませんが、剣門関という5A級の観光地を擁していることもあり、停車する列車は比較的多く、成都や西安、重慶といった大都市から多くの観光客が訪れます。
この辺りの標高は約800mで、昭化古城の時よりも若干気温が下がった気がします。剣門関周辺の平均標高は約1,100mとあるので、ここからさらに約300m高い所に行くことになります。
◆剣門関駅(剑门关站)
大通り近くの階段を下ったところには広い駅前広場があり、食堂や超市(スーパー)など観光客向けの施設が並んでいました。rednote(小红书)で書かれていた通り、「駅前広場超市(站前广场超市)」というお店では、荷物預かりのサービスがありました。荷物1個当たり5元(約110円)です。別の場所には、セルフロッカーがあったのですが、トラブルが起きると面倒なので、基本的には有人の預かり所を利用するようにしています。スタッフの年配女性は、物腰柔らかく、対応も丁寧で好感が持てました。
◆駅前広場超市(站前广场超市)
駅前広場からさらに階段を降りた階層がバス乗り場となっており、何台ものバスが停まっていました。大きな声で「剣門関」と叫んでいる年配の男性がいたので、7路バスの場所はすぐ分かりました。時刻表は無く、車内が満席になり次第出発する方式のようです。車内は空いていましたが、この後間もなくして、成都方面からの列車の停車時刻が過ぎると、次々とお客さんが乗車してきてあっという間に満席になりました。ドアが閉じると、ドライバーさんがQRコードを印字したプレートを持って各席に回って来たので、これをWeChatで読み取って決済しました。料金は6元(約140円)です。
■10:30 7路バス出発
駅を出た後は、しばらく平坦な道路を進み、温泉街のようなホテルの集まるエリアを過ぎると、勾配のある坂道に入ります。良く整備された幅の広い道路でしたが、バスはスピードをガンガン上げて進んでいくので、カーブが厳しい場所なのでは若干の怖さも感じました。
剣門関(剑门关)
剣門関(剑门关)について
剣門関は、広元市剣閣県にある龍門山(龙门山)の支脈である大剣山(大剑山)の中腹に位置します。東峰の「営盤嘴(营盘嘴)」と西峰の「金城山」の間にある狭い峠で、古代より「蜀道」の中で、主要な幹線道路である「金牛道(石牛道)」の要所でした。
■11:00 北門到着
北門の駐車場を過ぎた辺り、建物が多く集まる場所が北門のバス停となっており、ここで降りました。剣門関は北門(北门)と南門(南门)があり、北門から入って南門から出るルート(北进南出)が推奨されていたのでこれに習いました。荷物を剣門関駅で預けたのはこれが理由で、仮に北門で預けた場合、南門から出た後、もう一度北門に移動する必要が生じます。
7路バスはこの後、終点の南門まで行きます。周囲は思った以上に宿泊施設が多く、時間に余裕があればここで1泊するのもありだと感じました。レストランや食堂、お土産屋さんも並んでいました。
下の地図で見ると、北門は左下、南門は右下に位置し、中間からやや南側に剣門関のシンボルである「関楼」が建っています。関楼の両側には雲を突くような断崖絶壁がそびえ立ちます。また、南門からさらに南下すると、約1万本の古樹木が植えられた緑の回廊「翠雲廊(翠云廊)」があります。
◆観光マップ(立体)
バスを降りたところには橋が架かっており、両脇には蜀漢の旗が飾られていました。前方に進むと大きな広場があり、奥にはツーリストセンター(游客中心)があります。この橋についてもそうなですが、箸の下に流れる川の名前が分からずじまいでした。
◆北門バス停付近
◆ツーリストセンター前の広場
ツーリストセンターは大きな建物で、トイレや売店などがありました。奥の方では唐代の詩人「李白」が詠んだ詩《蜀道難》を暗誦できると、入場料が無料になるキャンペーンが開催されており、多くの観光客が列を作っていました。
◆ツーリストセンター(游客中心)
◆《蜀道難》暗誦キャンペーン
通常のチケット売り場は、ツーリストセンターの左脇にありました。入場料(门票)は105元(約2,400円)で、別途ロープウェイの料金が必要となります。購入する際は、パスポートを提示する必要がありました。チケットには剣門関のシンボルである「関楼(关楼)」が印刷されています。
◆チケット
観光ルートについて
剣門関の観光ルートは大きく分けて3つあり、北門から一番平坦な道を歩いて南門まで行くルート1(赤茶色)が約2時間掛かります。ロープウェイを使って断崖絶壁の上にある梁山寺(左上)に登り、ハイキングコースを進むルート3(紫色)が約4時間、ルート1とルート2の中間となるルート2(緑色)が約3時間のコースとなります。なお、事前予約が必須となりますが「猿猱道」と「鳥道(鸟道)」といった断崖絶壁を自力で登るルートもあり、蜀道の険しさを体感する醍醐味が味わえます。時間が無い場合は、南門から入って「関楼」だけ見た後、南門に戻れば30分程度で終えることができます。
多くの観光客はルート3に沿って進むようですが、私は、膝の具合が相変わらず良くなかったので、一番人気のない平坦なコース(ルート1)を歩きます。まあ、仮に膝の問題が無くても同じコースを選択したような気がしますが。。。
◆観光ルートマップ
ルート1で関楼を目指す
北大門(北大门)に入ろうとしたところ、ゲートの脇に立っていたスタッフのおっちゃんに声を掛けられたのですが、何を言っているか分からず立ち止まります。後ろから続くお客さんは、何か返事をして次々とゲートを抜けて行きます。何度か聞き返しましたが、おっちゃんは頑なに中国語で話しかけて来るので、仕方なく翻訳アプリを差し出したものの、上手く翻訳されずに中々意思疎通ができません。困っていると、今度はおもむろにポケットからライターを取り出しました。どうやら、ライターなどの火気を所持しているか聞いていたようです。ようやく理解できたので、持ってません(没有)と言って、無事ゲートを抜けます。
◆北大門(北大门)
北大門を抜けると、断崖絶壁近くの「仙女廊」に行く1号ロープウェイ乗り場がありましたが、今回は利用しません。そのまま平坦な道を先に進むと「望関橋(望关桥)」という石橋がありました。馬超との戦いを終えた張飛が、諸葛亮が整備した桟道や関楼を眺めた木の橋があった場所だそうです。
◆望関橋(望关桥)
多くの観光客はロープウェイ乗り場の方に進むため、こちらの道には人の姿がほとんどありません。平坦で見通しが良いとはいうものの、周囲を樹木に囲まれたひとけのない一本道を歩くのは、若干不安を感じさせるものがあります。
橋を渡ってすぐのところに、李白の詩《蜀道難(难)》を刻んだ大きな石壁がありました。
「ああ、なんと険しく、高い道だろう!蜀の道は天に昇よりも困難だ(噫吁嚱危乎高哉, 蜀道之難難於上青天)」という印象的な出だしから始まる李白の代表作で、蜀道の険しさを壮大なスケールで描写しています。
◆《蜀道難(难)》壁題(题)
石畳の遊歩道は歩きやすく整備されており、フリーWi-Fiが利用できる案内もありました。
◆遊歩道の景観
遊歩道を進むと、右手に「細雨廊(细雨廊)」という東屋が建っていました。宋代の詩人「陸遊(陆游)」の有名な詩《剑门道中遇微雨》に由来します。陸游は、陝西省南部から成都へ赴任する旅の途中でこの地を通り、旅行記としてこの短い詩を詠みました。
◆細雨廊(细雨廊)
◆石碑
次に見えたのは、「剣門関地質博物館(剑门关地质博物馆)」です。あまり大きな建物ではなく、簡単に中を覗いて行きました。
◆剣門関地質博物館(剑门关地质博物馆)
古代、この辺りは湖があったようで、これを裏付ける「魚竜(鱼龙)」や「海百合」といった化石が出土したようです。地震による地殻変動で現在のような険しい山々が形成されました。
◆魚竜(鱼龙)の化石
◆海百合(ジュラ紀-2.05~1.35億年前)
博物館の先を進むと、ハイキングコースのような勾配のある山道になってきました。この時点で膝はかなり痛くなっており、この程度の石段でも登るのが辛い状況です。普段の3倍くらいの遅いペースで、一歩一歩ゆっくり進んで行きます。
◆石段
大きな岩を下から支えている二人の銅像がありました。詳しい説明書きはありませんでしたが、この先にある5人の力持ちの伝説に関係しているように見受けられました。
◆岩を支えている二人
深い谷に架かる「子規橋(子规桥)」という橋があり、真ん中辺りに来るとかなり揺れました。「子規」は剣門関に多く生息するホトトギスのことを言います。伝説によると、春秋時代の初期、蜀国の「望帝杜宇」は、国を失って死んだ後、ホトトギスとなり、春になると血を吐くように毎日鳴き続けていたといいます。李白は、《蜀道難》で「又聞く、子規夜月に啼いて、空山を愁うるを(又问子规啼夜月)」と詠嘆しました。望郷の悲しみや故郷への思慕を象徴しています。
◆子規橋(子规桥)
橋の上からは剣門関らしい、険しい山々の景観が見えます。
◆子規橋からの景観
傾斜のある山道の登ると「五丁開山(五丁开山)」という周囲が平坦な場所に出ました。史料によると、蜀国の開明王(开明王)は、5名の力持ちを派遣し、大小2つの剣山を切り分け、道路を築き、秦国から贈られた糞金神牛を迎えます。ここから次のような伝説が生まれました。5人の力持ちは毎日、山を切り分けましたが、夜になると元に戻ってしまいました。調べて見ると、大蛇とヒキガエルの二妖怪が妨害活動をしていたのが分かります。5人は妖怪と激しく戦い、山が崩れ落ち地面が裂けました。妖怪を切り殺した後、断裂した箇所に天梯石桟を架け渡し、金牛道を築き、四川省と陝西省が横行可能となりました。
◆五丁開山(五丁开山)
「金牛道」は、成都を発し、剣門関を経由した後は、葭萌関(昭化)を通り、漢中(汉中)に至ります。別名「石牛道」「蜀桟道」とも呼ばれ、蜀道の主要なルートとして、歴史的に軍事的・商業の要衝でした。諸葛亮が北伐で利用した道であり、唐の時代には、玄宗皇帝が安史の乱の際に逃避行したルートでもあります。
◆金牛道
◆五丁橋(五丁桥)
五丁開山の先は、さらに道が険しくなってきました。また、この辺りまで来ると、観光客が徐々に増え始めました。
◆遊歩道の景観
後から調べても正体不明だった謎の物体がありました。
◆謎の物体
ここまで断崖絶壁が全く見えないまま進んでいたのですが、視界が少し開けた場所に出ると、ようやく前面に現れました。若干霞んではいますが、遠くからでも十分迫力のある景観です。
◆断崖絶壁
剣門関を経由して入蜀した李白は、関から山の峰々を見渡し、目を見張るほど美しい景観に魅入られ、世に名を轟かす詩を詠んだのがこちらの「詩仙橋」となります。
◆詩仙橋(诗仙桥)
橋の上からは、薄っすらとですが下界の様子も見えます。大分、高い所まで上がってきました。
◆下界の様子
詩仙・李白をはじめ、古来より多くの詩人がこの剣門関を訪れ、その地形の険しさを嘆き詩を残しました。「嘆関台詩祠走廊」では、これらの詩を石碑に刻んだものが並んでいました。
◆嘆関台詩祠走廊(叹关台诗词走廊)
嘆関台詩祠走廊の先は、分かれ道となっており、関楼と書かれた方に進むと、木製の階段を登る必要がありました。かなりの段数があり、この辺りが相当高低差のある場所になっているのが分かります。
◆木製の階段
仙雲集市(仙云集市)~関楼(关楼)~南門(南门)
■11:50 仙雲集市
階段を登りきると「仙雲集市(仙云集市)」という休憩所が設けられていました。トイレや売店、剣門関の名物料理などを紹介する展示室などがありました。ルート2や3を歩いてきた観光客もここで合流するため、辺りは一気に賑やかになりました。
◆仙雲集市(仙云集市)
◆展望台広場
◆展示室
剣門関の名物料理と言えば、「剣門豆腐」が有名ですが、他にも様々な料理が並んでいました。
◆名物料理
辺りを見渡しながら、おもむろに足を進めていると、前方斜め上には、遠目ではありますが「関楼」が見えてきました。写真で見た時よりも、遥かに壮大で迫力を感じ、この時ばかりは、遠路はるばる日本からやって来た甲斐があったと感慨深いものがありました。
関楼の両側には断崖絶壁がそびえ立ち、まさに難攻不落の呼び名は伊達ではありません。こちらは、曹魏が攻めて来た北側となるのですが、下からこの景観を見た時の絶望感が想像できます。
◆関楼(关楼)-仙雲集市から
◆関楼(关楼)-風鈴谷(风铃谷)辺りから
関楼の丁度真下に位置するところに、「雷鳴橋(雷鸣桥)」が架かっていました。雷鳴谷の上に架かっていることからこの名前が付けられましたが、雷鳴という名前には2つの由来があります。
1つ目は、剣門関の向かい合う2つの絶壁には、鉄分が多く含まれており、鉄は電気伝導性が高いため、夏の雷雨の時期になると、谷に落雷し易いことです。2つ目は、橋の下を流れる水の轟音が雷鳴のように聞こえることに由来します。
◆雷鳴橋(雷鸣桥)
◆雷鳴橋からの景観
橋を渡ると、正面に関楼(关楼)が見えてきました。石段を一段一段ゆっくり登りながら、関楼の景観を嚙み締めます。現地の説明書きには、剣門関は諸葛亮の時代に建てられたと書かれていましたが、別の資料には、古代から存在したという記述もありました。1700年以上の歴史があることは間違いなく、戦火の中で崩壊し、何度も立て直しが行われました。現存する関楼は、2009年から2010年にかけて再建されたものです。冷兵器の時代には、正面から攻め落とされたことは一度もなく、「一夫関に当たれば万夫も開くなし(一夫当关、万夫莫开)」と称賛され、古来より「蜀北の関門、両川の咽喉(蜀北屏障、两川咽喉)」と呼ばれています。
◆関楼(关楼)-北側
◆石碑
◆関楼からの景観
◆関楼-南側
関楼の南側は、南門まで平坦な道が真っすぐ整備されていました。諸葛亮や劉備の立像などを見ながら進みます。剣門関と言えば、曹魏の大軍を迎え撃った武将「姜維(姜维)」が有名で、この険しい地形を活かして3ヶ月に渡って剣門関を死守しましたが、別動隊が別ルートにより成都に迫ったため、後退を余儀なくされました。この後、蜀漢は滅亡します。姜維は、なおも復興を諦めず最後の最後まで抵抗を試みますが、これも叶わず家族もろとも殺されてしまいました。劉備や諸葛亮亡き後、三国志(演技)のクライマックスであり、最後の盛り上がりを見せる名場面です。姜維については、いたずらに蜀漢を衰退させたと言う厳しい評価もありますが、諸葛亮の意思を継ぐその強い忠誠心は後世多くの人々の共感を呼び、最後まで戦い抜いた悲劇の英雄として大変人気のある人物です。
下の写真は剣門関を死守した武将の像で、姜維以外は、廖化(リョウカ)、張翼(张翼)、董厥(トウケツ)だそうです。成都で劉備の息子「劉禅」が曹魏に降伏したという知らせを聞いて、無念さのあまり剣で岩を切りつけたと言われています。
◆姜維(姜维)の剣門関防衛
「直方大」という3文字の彫刻は、『易経』第62卦から引用したもので、剣門関の雄大さ、眺望を称えると共に、政治家もこのような精神を持つべきだと示唆しており、中華民国時代の著名な学者によって書かれたものです。
◆「直方大」彫刻
227年から262年にかけて、政権の基盤を固め、漢室を再興するために、丞相の諸葛亮、大将軍・姜維は、前後16回の北伐を行いました。剣門関は、北伐軍の重要な通路と食料供給の重要な基地となりました。
◆北伐軍行図(北伐军行图)
五丁開山のところで登場した5人の力持ちに関する伝説がこちらにもありました。5名の力持ちは、山を切り開いて道を築き、金牛を迎えに来ていました。その途中、金牛は夜のうちに金牛峡に逃げ、山中に隠れて剣門の百姓を見守り、幸運を送って来たそうです。剣門の人々は、金牛が便利に出入りできるようにと、関門の外に木の桟橋を掛けました。後世、人々は洪水により毀損するのを防ぐため、石で橋を建て、「金牛橋」と呼んだそうです。
◆金牛橋(金牛桥)
1734年、果毅親王允礼(清朝聖祖・康熙帝の第17子)は、命を受け、ダライラマ6世をチベットまで送り、沿道の駐留と守備の視察を行いました。剣門関を通過する際、その雄大な山々や険しい道に感嘆し題字としました。
◆第一関碑(关碑)
南門近くには、「姜維神像」と呼ばれる、死後魂が宿ったとされる伝説の像が見える位置と表示されていました。最初、周囲を見渡してもそれらしき像が見当たらず困惑しましたが、説明図を元に、よくよく見ると、遥か後方(北側)の崖が神像であることが分かりました。姜維の横顔を表しているとのことで、真ん中あたりで出っ張っている箇所が鼻だそうです。大変分かりにくいので、説明図も併せて載せておきます。
◆姜維(姜维)神像
◆姜維(姜维)神像(ズーム)
◆姜維神像(説明図)
南門のすぐ手前では、ルート3との合流ポイントがあります。ここからルート3を登って少し行った先には「姜維点将台(姜维点将台)」という姜維が軍を率いたとされる伝説的な遺跡があり興味が湧きましたが、膝の痛みが限界だったので諦めました。
◆遊歩道(南門付近)
南門から7路バスで剣門関駅に戻る
■12:30 南門(南门)
◆南門(南门)
南門を抜けた先は、食堂やお土産屋さんが集まる通りとなっていました。時間が許せば、剣門関の名物料理である剣門豆腐でも食べて行こうと思っていたのですが、膝の痛みが酷く、一時でも早く下山したい気分だったので、奥に進んで左側にある階段を上がったところにある、剣門関駅行きのバス(7路)の乗り場を真っすぐ目指しました。
◆南門前の通り
階段を登ると、7路バスが停まっており、そろそろ発車しそうな雰囲気だったので、トイレだけ済ませて乗車しました。料金は行きと同様に6元(約140円)でした。乗車時に、行き先を聞かれてうろたえましたが、おそらく途中の北門で降りる場合は料金が異なるからだと思います。車内には、地元の方と思われる大きな籠を背負った年配女性の姿もあり、ローカル感満載でした。
◆7路バス
予想通り、間もなくしてバスは出発します。帰り道もなかなかの荒い運転で、バスは猛スピードで勾配とカーブのある道路を降りて行きます。途中、民家のある場所で、籠を背負った年配女性が降りて行きました。中国の乗合バスなどでは良くある光景で、観光客だけでなく地元の住民にとっても重要なインフラになっているのが伺えました。
剣門関駅からの戻りは、予定通り高速鉄道で広元駅に移動することにしました。乗車券はまだ購入していなかったのですが、丁度1時間後ぐらいの列車があったので、バスに揺られながら急いで予約を済ませました。
高速鉄道で広元へ
■13:00 剣門関駅到着
朝の時よりはお客さんの数は増えましたが、全般的には閑散としている印象は否めません。駅前広場超市(站前广场超市)で荷物を受け取り、特に寄り道するところも無かったので、真っすぐ駅の入口に向かいます。
荷物検査では何か聞かれたのですが、適当に「ありません(没有)」と言ったところ、怪訝な顔をされながらも通過できました。後から来たお客さんの対応を見ていたところ、モバイルバッテリーを持っているか聞かれたのが分かりました。今のところ、高速鉄道についてはバッテリー持ち込み基準が厳しくなったという情報はありませんが、駅によってチェック対象となるのが分かりました。全ての乗り物で3C認証が必須になるのも時間の問題のような気がします。
予約した列車は、D1834便で、13時47分に剣門関駅を出て、14時03分に広元駅に到着予定です。料金は約570円でした。待合室は狭く、コンビニらしきお店が1店舗あるのみで、後は壁際に自動販売機が置かれているのみでした。
■13:40 改札
行列ができるようなお客さんもおらず、問題なく改札も通過できました。傾斜のある場所に建てられた駅なので、建物はできるだけコンパクトになるように設計されたようです。改札からプラットフォームまでの距離はとても短く、プラットフォーム自体も他の駅に比べて狭いように感じました。
■13:47 出発
列車は定刻通り出発、一応座席は確保できたのですが、3列の真ん中の席でした。通路側に座っている人に何度もどいてもらうのも嫌だったので、出入口付近で立ったまま過ごすことにしました。車窓から見える変化に富んだ景観を見ていると、あっという間に広元駅に到着しました。
◆車窓からの景観
■14:03 広元駅到着
広元駅に到着するのはこれが2回目となります。前回の時は、真っすぐ30路バスに乗車してしまったため、駅前の様子を見ている余裕はなかったのですが、改めて見ると、良くも悪くも少し昔の中国らしい雑多な雰囲気がありました。
ホテルに行く前に、駅前にあるKFCで昼食にします。以前、重慶北駅構内のKFCを利用しようとしたのですが、注文は基本的にオンラインからとなっており、そのためのアプリのインストールを試みたところ、上手くいかなかったので断念していました。その後、いつの間にかAlipayにKFCのミニプログラムがインストールされており、使えそうだったのでチャレンジすることとしました。今回が実質初めてのKFC利用となります。中国語版しかありませんでしたが使い勝手は難しくなく、店舗を選択した後、メニューから商品を選択して決済する流れです。
マックの時も同様だったのですが、安いセットメニューを注文する場合、飲み物は基本的にコーラで、コーヒーを選択することができません。これが嫌なので、単品で注文する必要があり、結果割高になってしまいます。オリジナルチキン1ピースとオススメしていたサンドイッチ、カフェラテを注文して決済したところ52元(約1,200)になってしまいました。やはり、少し高いような気がします。決済が終わると、カウンターの上にあるディスプレイに私の注文番号が表示されました。待っている間、外からバイク便のお兄さん達が代わる代わる入って来ては商品を持ち帰る姿が印象に残っています。この後、大分待たされ、20分ぐらい経つと、ようやく私の注文番号が準備完了となりました。
以前から中国版KFCのチキンはどんな感じだろうかと興味があったのですが、微妙に違いがありました。まず表面の質感が異なり、パサパサと乾いていました。日本のものはもう少し油っぽさがあったと思います。鶏肉の質感も若干異なる気がしました。総合して、普段から口にしていることもあるのか、日本のチキンの方が美味しいと感じました。まあ、中国も広いので店舗によっても差があると思います。もう1つのサンドイッチは至って普通のもので、特別美味しいとは感じませんでしたが完食はできました。カフェラテは甘すぎず美味しく飲めました。
◆昼食
食事が終わり、駅前の通り「金輪南路(金轮南路)」を数分歩くとホテルに到着です。小さな食堂や超市が集まっており、中国らしい景観の通りでした。
◆金輪南路(金轮南路)
納美ホテル(納美酒店)
■15:00 ホテル到着
Trip.comの紹介写真だと、モダンな建物が写っていたのですが、実際に近くから見ると、普通の雑居ビルでした。建物の一部をホテルが利用しています。ホテルの入口は若干分かりずらい場所にあり、通りに面しておらず、狭い通りを入ったところにありました。入口から入るとすぐ受付ですが、最低限のスペースしかなく狭く感じました。チェックインの対応をしてくれた女性スタッフは親切で、翻訳アプリを用いて意思疎通してくれました。
◆ホテル外観
今回予約したのはダブルルームで、2泊素泊まりで約6,000円と安く利用できました。料金が料金だったので、最低限泊まれればOKぐらいで考えていたのですが、期待値以上のビジネスホテルでした。閑散期なのが大きな理由だとは思いますが、重慶で利用したホテルの時にも感じた、景気後退によりホテル業界のデフレ化が進んでいることも要因として挙げられるのではないでしょうか?
部屋は1人で使うには十分な広さがありました。部屋は老朽化している箇所もありますが、普通に使う分には気になりませんでした。暖房はセントラルヒーティングとなっており、スイッチをONにしてから部屋が暖まるまで時間が掛かりましたが、一旦暖まった後は、朝まで寒くならず快適でした。
◆ダブルルーム
デスクには、湯沸かしポットが置いてあり、ミネラルウォーター(2本)やコーヒー、お茶のサービスもありました。
◆デスク周り
バスルームは床が若干痛んでいる印象がありましたが、お湯の出力や温度は全く問題ありません。トイレとの間も扉で区切られており、床が濡れる心配がありませんでした。
◆トイレとバスルーム
大刀宽凉面
ホテルにチェックインした後は、膝の痛みが中々回復しないこともあって外出する気力が湧かず、部屋の中で適当に過ごします。18時過ぎ、お腹が減って来たので、重い足を引きずりながら外出しました。金輪南路通りには多くの食堂が並んでいるので、食事には困らないのですが、良くも悪くも同じようなお店ばかりという印象で、逆にどのお店に入ったら良いか迷います。駅に向かって、一軒ずつお店の中の様子を伺いながら歩いていると、「大刀宽凉面」という食べやすそうな雰囲気のお店がありました。ご飯が付いた料理が食べたい気分だったので、ご飯にチンジャオロース(青椒肉絲)を乗せた料理の写真が貼ってあったのも決め手の1つとなりました。
◆お店の外観
中国で良く見かける雰囲気の食堂で、地元のお客さん多いように見受けられました。
◆お店の中の様子
お店の名前に「凉面」とありますが、これは広元の名物料理です。メニューは凉面以外にも多岐に渡り、米粉(ビーフン)、シャーハン、丼ものなど、大体何でも揃っている印象を受けました。
◆メニュー
店内に入るとすぐカウンターがあり、注文時に会計を済ます流れでした。勿論、写真で見た「チンジャオロース丼(青椒肉丝盖饭)」を頼みました。料金は15元(約350円)と大変リーズナブルです。
カウンターにいたのは、愛想が良く、声も大きい典型的な中国のおばちゃんでしたが、私が外国人だと分かると、スープを運んでくれたり、箸を持ってきてくれたりと親切に対応してもらえました。この辺りで外国人を見るのは珍しかったようで、どこの国から来たのかなど質問を受けました。一応、中国語で日本とシンプルに回答したのですが、全く通じず翻訳アプリを使う羽目になりました。聞き取れなかったというより、そういえば日本と言う国があったぐらいの反応だったので、全く想定していなかったのかもしれません。このご時世なので、日本と答えたらどういう反応をされるか不安もありましたが、全く問題ありませんでした。日中関係が悪くなっていることすら知らないのかもしれません。
料理は至って普通のチンジャオロースでしたが、ボリュームもあり、お米も口にできたので満足です。
◆青椒肉丝盖饭














































































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