1月23日(金) 5日目
高速鉄道で広元市へ
今朝の朝食について
昨晩、閬中古城内を散策してから民宿に戻ると、膝の痛みがピークに達し、膝を曲げるのも難儀するレベルで、この状態が続くと今日以降はまともに観光ができないことも覚悟していたのですが、一晩寝たら普通に歩ける状態までは回復しました。いくら私の足腰がポンコツだとしても、ここまで状態が悪くなったのは初めてで、今から考えると、旅行2日目に、雨と寒さの中、重慶を歩き回って足先を冷やしてしまったのが影響したと考えています。真冬の旅行は、体調面も含めて様々なリスクがあることを身をもって実感しました。
今朝の朝食は、昨晩、状元坊近くにお洒落なパン屋さんがあったので、そちらで購入した菓子パンで済ませました。中国の地方都市にもこのようなパン屋さんがあったことに驚きましたが、パンの味や食感、ボリュームなど日本で売っているものと遜色ないレベルで、価格は3個で合計22.9元(約530円)と良心的で、申し分ありません。ここ数日中華料理が続いており、少し別のものを口に入れたい気分だったのでグッドタイミングでした。これに持ってきたドリップコーヒーを淹れれば、立派な朝食になります。
◆朝食の菓子パン
広元(广元)市について
今日は閬中をあとにし、高速鉄道で広元市(广元)に移動します。多くの日本人にとって、広元市は馴染みのない都市かと思います。地球の歩き方(D06 成都 重慶~)にも1~2ページ紹介されているのみで、最新版(26~27)に至っては完全に省かれてしまっています。
広元市は閬中市から約100km北に位置する地級市(二級行政区)で、「剣門関(剑门关)」や「昭化古城」といった三国時代にまつわる観光名所があり、中国史上唯一の女性皇帝「則天武后(武則天)」の生まれ故郷としても有名です。今回の旅行では、剣門関(剑门关)には必ず行きたいと思っていたので、広元市は外すことのできない訪問先でした。
高速鉄道で広元市へ
■7:40 チェックアウト
前日にチェックアウトする時間を伝えていなかったので、この時間帯に対応してくれるスタッフが居るのか一抹の不安がありましたが、奥の方に年配の男性スタッフが1人おり、無事チェックアウトができました。外はまだ薄暗く、気温も5℃前後といったところで肌寒さを感じます。状元坊の先にある交差点まで歩き、DiDi(滴滴)でタクシーを呼びます。タクシーはすぐマッチングし、時間をおかず乗車できました。料金は3.3元(約76円)と、相変わらずの安さでした。ドライバーさんは気難しそうな年配男性でしたが、何事もなく閬中駅まで送ってもらえました。タクシーに乗っている10分程度の間に、外は大分明るくなってきました。3.3元という料金はさすがに申し訳なかったので、僅かですがチップを上乗せして払いました。
一昨日は、タクシーに乗ることで頭が一杯で、閬中駅周辺の景観を良く見ていなかったので、周囲を見渡しながらゆっくり入口に向かいます。
◆閬中駅の時計台
■7:55 閬中駅
入口では、パスポートの確認は無く、保安検査のみで終わりました。乗車する列車はD1713便で、閬中を9時33分に出発し、約1時間で広元駅に到着予定です(10:28着)。1時間程度の乗車なので2等席でも良かったのですが、たまたま空きがあり、料金もそれほど高くなかったので1等席を確保しました(約2,830円)。この列車は、重慶北駅が始発で山西省の太原南駅が終点となります。どちらも以前利用した駅で、大分中国の高速鉄道にも馴染んできた感があります。来るのが少し早く、1本前の広元方面の列車(8:44発)に十分間に合うほどでした。
駅前広場の広さに比べると、駅構内は大分小さく感じました。お店もコンビニがある程度でした。
◆待合室
■9:18 改札
改札前に並ぶ人数もたかが知れたもので、毎回これぐらいだと助かります。ただし、プラットフォームが異様に長く、階段を登ってからかなりの距離を歩く必要がありました。
■9:33 閬中駅発
列車は9時30分に到着し、3分後に定刻通り出発しました。車両内はポツポツと空席が目立ちましたが、運悪く私の隣には行儀の悪いオッサンが座っていました。座席自体は広く、コンセントもありました。列車は、15分ほどで「蒼渓駅(苍溪站)」に停車しました。名前の「渓」という文字から連想する通り、周囲を山に囲まれた谷のような場所にあり、車窓からは、嘉陵江に架かる高い高架橋が見えました。なかなか壮観な眺めです。
◆蒼渓駅近くの景観
バスを乗り継いで昭化古城へ
■10:28 広元駅到着
広元市は地級市とは言え、300万人規模の都市であり、日本であれば十分都会の水準です。駅舎は重慶北駅のような巨大な建物には及ばないものの、十分立派でした。
当初の予定では、広元駅の近くにあるビジネスホテルを利用する予定でしたが、張家界の滞在が無くなったことにより日程に余裕が生じたので、今晩は広元駅から20kmほど南西に位置する「昭化古城」にある旅館を利用します。計画段階で頭を悩ませたのが「昭化古城」への移動方法で、公共交通機関を利用する場合、路線バス(30路)と乗合バスを乗り継ぐ必要があり、外国人旅行者にとっては決して易しくありません。タクシーを利用するのが一番確実で簡単な方法となり、料金は50~100元(1,100~2,300円)が相場といったところで、距離から考えれば十分許容範囲です。
広元駅に到着するまでは、頭の中では7割方タクシーで行くつもりになっていたのですが、駅から出ると、すぐ30路バスの案内があり、バス停にはバスが待機していました。ここまで流れが良ければ、もうバスを利用しない手はないと感じたので、勢いに任せて乗車してしまいました。料金は2元(約46円)で、AlipayのQRコード決済も問題なく通りました。30路バスは始発が広元駅で、「平楽寺(平乐寺)」という聞いたことのない観光景区が終点でした。
10分ほどでバスは出発し、駅を出た後は嘉陵江に沿った大通り「則天路(则天路)」を西に進み、「皇澤寺(皇泽寺)」という則天武后を祀るお寺の前を通りました。嘉陵江を見るのは重慶、閬中に続き3度目となり、この辺りは上流~中流に相当します。広元市中心部の標高は約500mありますが、河の周りは比較的平坦で、道路も広く整然と整備されており、山間部にある都市というよりは、水辺の都市という印象を持ちました。嘉陵江、その支流と思われる南河を順番に渡ると、古くから発展したと思われる大通り(成都路)に入り、間もなくして「南河バスターミナル(南河汽车站)」で降車しました。
◆嘉陵江の景観
■10:50 南河バスターミナル
◆南河バスターミナル
建物に入ると、すぐチケット売り場(サービスセンター)がありました。昭化行きのバスは30分~1時間の間隔で運行しているようです。また、明日観光予定の「剣門関(剑门关)」行きのバスもありました。その他、広元市内の各地、近隣都市など聞いたことのない名前の行き先も多く、上海や西安行きの長距離バスも運行していました。
最近の中国旅行では、電車にしろバスにしろ、専らオンラインでの購入となり、窓口での購入は久しぶりだったので少し緊張しました。一応、行き先を書いたメモを見せながら、片言の中国語で伝えましたが、対応してくれた女性スタッフはとても親切で、無事購入できました。英単語も交え、バスに乗るまでの流れなども説明してくれたので助かりました。料金は9元(約210円)と、相変わらず中国の公共交通機関の安さには驚くばかりです。
◆サービスセンター
◆乗車チケット
乗車までの流れは高速鉄道と同様で、荷物検査を通ると待合室があり、出発時刻の何分か前になると、改札を通ってバス乗り場に入ることができます。待合室は結構広く、平日の昼間だからなのか空いていました。お客さんも地元の利用者ばかりという印象でした。
◆待合室
電光掲示板を眺めていると、約20分前ぐらいに、昭化行きのバスの改札が開始となったので、読み取り機にQRコードをかざして入場します。
バス乗り場には大型バスから乗合用の黄色いバスまで多くの車両が整然と並んでいました。
◆バス乗り場
バスの上にある電光掲示板には行き先と時刻が表示されており、昭化行きのバスもすぐ見つかりました。中国に限らず、外国でバスを利用する時は、何かしら想定外の事態が発生して苦労した記憶しかないので、今回はあまりにもスムーズで拍子抜けしてしまいました。
◆昭化行き乗合バス
定刻の11時半近くになっても、私以外に乗客はおらず、ドライバーさんも来る気配がないため少し不安になりましたが、半になる頃、お客さんが1名増え、ドライバーさんも現れて運転座席に座り、間もなくして出発しました。駐車場から通りに出たところで、さらに年配の女性が1名乗車しました。段々分かって来たのですが、この乗合バスはかなり融通が利く仕組みになっているようで、車両に書かれている電話番号に連絡すれば、任意の場所でピックアップしてくれるようでした。その後も、どこか市場と思われる雑多な場所で年配夫婦が乗車し、いつの間にか半分ぐらいは座席が埋まりました。私以外は全員昭化に住んでいる方のようで、ドライバーさんも含め皆さん顔なじみのようであり、車内はローカル感満載で賑やかでした。何を話しているかは全く分かりませんでした。
市街地から出ると国道108号に入りましたが、高速道路のように車線が多くて広く、バスは快調に距離を重ねます。失礼な表現かもしれませんが、このような地方都市でも立派なインフラが整備されているのを見ると、中国は本当に豊かになったのを実感します。
昭化区に入ったところで国道から降ります。この辺りまで来ると、大分人の少ない田舎の雰囲気が出てきます。間もなくすると、どこかのお店だったかホテルの前で停車し、待機していたおじさんに荷物を渡していました。良く分かりませんでしたが、デリバリー的なサービスもやっているようです。ドライバーさんが如何にも人の良さそうなおっちゃんなので、単に頼まれ事を消化しただけかもしれません。
その後、「白龍江(白龙江)」という川に沿って走りましたが、この川は昭化古城付近で嘉陵江と合流します。バスは真っすぐ昭化古城の駐車場に向かわず、一旦、近くの民家が集まる通りに行き、私以外は全員降車しました。その後、昭化古城の駐車場に移動し目的地に到着です。
昭化古城を散策する
瞻鳳門(瞻凤门)、葭萌亭
■12:15 昭化古城
広大な駐車場には、僅かな数の車しか停まっておらず閑散としていました。また、降ろしてもらった場所には、他にも何台か黄色い乗合バスが待機していました。折り返しの南河バスターミナル行き以外のバスも運行しているようですが、周囲には行き先や時刻表といった情報が見当たらず、現地の人以外には利用するのが難しい印象を受けました。
駐車場の先には、広場を挟んで立派なサービスセンター(游客中心)が建っています。
◆サービスセンター(游客中心)
サービスセンターは新しく広々としており、トイレやコインロッカーといった設備がありました。
◆サービスセンターの中
入口付近には女性スタッフが1人おり、こちらでチケットを購入しました。昭化古城への入場は無料ですが、古城内の有料施設に入るために必要となります。料金は52元(約1,200円)です。
◆チケット
昭化古城は旧名を「葭萌関(かぼうかん)」といい、三国時代の関所として有名です。閬中古城の漢桓候祠(張飛廟)のところで紹介した、張飛と馬超が戦った場所として有名です。四方を山、三方を水に囲まれており、閬中古城と同様に、風水学上の理想的な配置(背山面水)を体現しています。中国国内で最も良く保存されている三国時代の古城であり、城内には、古宿場道、城壁、寺院、古民家などが良好な状態で保存されています。
昭化古城の見どころは、葭萌亭を中心に、東西南北にそれぞれ約0.5kmの範囲に収まっており、半日あれば一通り観光することが可能です。当初は、日帰りで訪問する予定でしたが、時間に余裕ができたのでこちらで1泊することにしました。
◆観光マップ
ひとまず、荷物を預けるために今日宿泊する民宿に向かいます。観光客の姿はほとんどなく、通りを歩いているのは地元の方々ばかりという印象で、皆さんやることが無くて手持ち無沙汰な感じを醸し出していました。葭萌牌坊の近くでは、野菜を露店売りしている年配の方々の姿もあり、ローカル感満載で、現地の方々の日常生活を垣間見ることができました。
◆葭萌牌坊
古い石畳の両側には伝統建築の古民家が並んでいます。日本人旅行者のブログには、観光地化が進んでいると書かれていましたが、私の目には、まだまだ当時の情景を思わせる、風情のある景観が残っていると感じました。閬中古城では、かなり観光地化が進んでいると感じていただけに、ことさらに良い印象を持ちました。2008年に発生した四川大地震では大きな影響を受けて、修復・再建が進んだようですが、良い具合に歴史のある佇まいを取り戻したようです。
◆桔柏渡街
「桔柏渡街」を進むと、立派な城門「瞻鳳門(瞻凤门)」が見えてきます。日本語だと「せいほうもん」と呼びます。古城の東門であり、明の時代に完成しました。現存している城門は、清の時代に再建されたものです。城楼の上に立つと、鳳嶺山にいる鳳凰を眺めることができるという伝説からこの名を得ました。
◆瞻鳳門(瞻凤门)
メイン通りとなる「太守街」を進むと、今日お世話になる民宿「広元陳家大院中国式旅館」に到着です。一旦荷物を預けて、観光を続けます。
◆太守街
太守街の中央には「葭萌亭」と書かれた楼閣が建っています。
◆葭萌亭
昭化味道
■12:40 昭化味道
古城全般に言えることなんですが、観光客が少ないからでしょうか、基本的にどのお店も商売っ気が無く、強引な客引きや押し売りの類が無くて、観光のし易さという面からは大変助かりましたが、あまりにも活気が無さ過ぎて不安を覚える程でした。そんな中、葭萌亭を抜けて、さらに進んだ「昭化味道」という食堂の前で、元気に声掛けをしているおじさんがいました。人の良さそうな年配男性で、強引な勧誘もなく悪い印象を受けなかったので、こちらで昼食にすることにしました。入口付近で料理が作られており、良い香りが漂っていたのも要因です。
◆お店の外観
こちらは、牛肉や豚肉、鶏肉などを煮込んだ料理を提供しているお店でした。おじさん曰く、テレビでも紹介されたことのあるお店だと誇らしく語っていました。
おじさんに勧めてもらった「紅焼肉(红焼肉)」を注文し、ご飯(お代わり自由)を付けて30元(690円)でした。
◆メニュー
店内は誰も居ませんでしたが、私の入店後、ポツポツと新規のお客さんが入って来ました。
◆店内の様子
注文後間もなく料理が運ばれてきました。お皿には、お肉屋野菜などが目一杯入っています。「红焼肉」というのは、中国の代表的な家庭料理で、とろ火で赤茶色になるまで具材を煮込む料理です。日本の料理だと、豚の角煮に近く、醤油ベースなので、日本人好みの味付けとなっており、全く辛くありませんでした。長時間煮込んだお肉は、溶けるような柔らかさで、脂身はジューシーででした。ご飯は、タイ米のようなさっぱりとした食感で、これに地元で採れた野菜が入っており、ほのかに甘みのする味付けがされており、濃い味付けのお肉との相性が抜群でした。
◆红焼肉とご飯
臨清門(临清门)、敬候祠
昼食後は、昭化古城の散策を再開します。まだ大した距離を歩いていないにも関わらず、膝の痛みが酷くなってきましたが、古城を観光できるのは今日だけなので頑張ります。
まずは「臨清門(临清门)」と「敬候祠」がある南西に向かいます。古城西側の城壁に沿って設けられている通路を南に進むと、「相府街」という古城南端にある通りに出ました。古い建物が並ぶ風情のある通りでしたが、人の気配がほとんどなく、閑散としていました。
◆相府街
古城の南西には立派な城門である「臨清門(临清门)」があります。
◆臨清門(临清门)-内側
外側から見る臨清門は、壮観さと当時を思わせる風情が両立しており見事な景観を形成しています。古城が建設される前は、四川省と中原を結ぶ重要な関所だった場所であり「葭萌関(葭萌关)」と呼ばれていました。古城が建設された後は、臨清門(临清门)と改められましたが、関所としての機能は残りました。門の名前の「臨清(临清)」には、官吏に対して清廉潔白であることを戒める意味が込められているそうです。通常、城門と関所は別の場所に設けられるが基本となっており、他の地域ではこのような城門は存在しないそうです。城楼の上部に「葭萌关」という文字が残っていることからも、関所として機能していたことが伺えます。説明書きが見当たりませんでしたが、城門は明の時代に造られ、清の時代に再建されたと考えられます(瞻鳳門と同じ)。
◆臨清門(临清门)-外側
チケットがあれば、瞻鳳門か臨清門のどちらか一方の城楼に登ることができます。一旦ここは保留とし先に進みます。
城門の前には広場あり、「戦勝壩」と書かれた石碑が置かれています。ここは、張飛と馬超が夜を徹して戦った場所となります。
◆戦勝壩
戦勝壩の脇にある建物「馬戦場(马战场」では、張飛と馬超の一騎打ちのショーなどが行われているようです。
◆馬戦場(马战场)
古城の外側は、通り「戦勝街(战胜街)」が続き、古い建物が並び、宿場町のような景観となっていましたが、いずれのお店も営業しているのかしていないのか分からず、寂しい雰囲気が漂っていました。
◆戦勝街(战胜街)
戦勝街を進むと「敬候祠」という、三国時代、蜀漢に仕えた「費禕(费祎)」を祀る祠堂があります。費禕(ひいと読みます)は、蜀漢の四相の1人で、諸葛亮(诸葛亮)、蒋琬に続き、蜀のトップ(大将軍・録尚書事)を務め、蜀の延命に尽力しました。ちなみに「四相」とは、諸葛亮、蒋琬、費禕、董允の4名を指します。費禕は能力・実力共に高かったものの、派手なエピソードが無く、知名度が低いのですが、個人的には結構好きな人物でこちらの祠堂に来るのを楽しみにしていました。
◆敬侯祠
◆儀門(仪门)
儀門を抜けると、中庭があり正面に卓識堂(別名「費(费)公堂」)があります。
◆卓識堂(卓识堂)
卓識堂の中には、費禕の石像が安置されていました。253年、費禕は宴席にて酔っぱらったところを、魏の降将である郭循に刺殺され、数日後に死去しました。敬侯と諡されました。
◆費禕の像
中庭の両側にある建物の中には、費禕の生涯を描いた石板や、三国時代の兵器などが展示されてました。
◆費禕の生涯
◆三国時代の兵器
卓識堂の東には大きな石碑を収めた東屋(碑亭)が建っています。石碑の両面には、それぞれ”志虑忠纯”と“深谋卓识”の8文字が刻まれています。「志慮忠純(志虑忠纯)」は諸葛亮が出師の表の中で費禕を評価した言葉であり、「深謀卓識(深谋卓识)」は清朝聖祖・康熙帝の17番目の子、胤礼(雍正帝の弟にあたる)によって刻まれたものです。元々の石碑は破壊されてしまいましたが、2008年に再建されています。
◆碑亭
この東屋から「神道」が続いており、その先には費禕のお墓がありました。お墓の前には、供物が置かれており、現代になっても敬われているのが伺えました。
◆神道
◆費禕の墓
敬候祠からの帰り道、保留していた臨清門の城楼に登ることにしました。膝の痛みが酷く、石段を1段上り下りする毎に激痛が走ります。
◆城壁(臨清門近く)
◆相府街
城壁の上は通路が整備されており、歩くことができましたが、城壁は四方全てが繋がっているわけではなく、途中で行き止まりとなりました。
北側に進むと、真ん中辺り、太守街と交差する付近で行き止まりでした。
◆太守街
南側も通路がありましたが、途中で行き止まりです。城壁の上からはのどかな田舎の景観が広がります。目視できませんが、畑の先には嘉陵江が流れ、その奥は山となっており、にわか知識となりりますが、確かに風水学上の理想的な配置(背山面水)を成しています。
◆城壁(南側)
◆城壁の上からの景観(南側)
この辺の見どころは一通り見終えたので、西側の城壁に沿って太守街の方に戻りました。この辺りは観光地化が進んでおらず、一般の民家が普通に建っています。
◆城壁(西側)
考棚、文廟(文庙)、城隍廟(城隍庙)
次は、古城の北側にある「文廟」、「考棚」、「昭化県署(县署)」を順番に見学します。名前は違えど、平遥古城、閬中古城にもあった建物で、こうして見るとどこの古城も、大体同じような構造をしているのが分かってきます。ただし、平遥古城の建物に比べると、二回りも三回りもスケールダウンしたものとなっており、閬中古城の建物にも全く及びません。
「考棚」は科挙の試験場です。表の説明書きには、清の同治年間に建てられたとありますが、別の説明書きには清の道光年間(1839年)に建設、同治年間に再建と記述されてました。長年の老朽化により、当時の面影はほとんど残っておらず、現存する建物は2008年に再建されたものです。
■13:45 考棚
◆考棚入口
入口の前には「照壁」があります。入口の造りも大体同じですね。
◆照壁
門を抜けると、「考舎」があり、奥には「至公堂」がありました。説明書きは無かったのですが、閬中古城の「貢院」の時に勉強済みなのですぐ分かりました。考舎は試験を受けるためのスペース、至公堂は科挙試験の最高責任者である主考官が、試験の監督や試験用紙の審査・採点を行った場所だと思われます。
◆考舎
◆至公堂
◆科挙制度の説明
続いて、隣にある文廟に入ります。宋の時代に創建され、以後、7回に渡って大きな改修が行われました。多くの建物は破壊されてしまい、清の時代に建てられた大成殿だけが残りました。2008年に再建されました。
入口に入ったところに、「棂星門(棂星门)」と「泮池(はんち)」があり、門を抜けると、中庭を囲むように奥に「大成殿」、両脇に「東廡(东庑)」、「西廡(西庑)」が建っています。閬中古城の文廟と同じ構成となっていますが、こちらもかなりこじんまりとした規模でした。
■13:50 文廟
◆入口付近
◆棂星門(棂星门)
◆泮池
◆大成殿
◆東廡(东庑)
◆西廡(西庑)
◆孔子の像
この後は、「昭化県署(县署)」に行くつもりだったのですが、最短距離で繋がっている通り「県衙街(县衙街)」が工事中で通れなかったので、一旦太守街に戻り迂回する必要がありました。
この時、「城隍廟(城隍庙)」の前を通ったので、簡単に中を見て行きます。古代、都市がある所には必ず「城隍廟」を建て、冥界の亡霊を管理しました。唐の時代に創建され、清の時代に何度か立て直されました。文化大革命により破壊され、2008年に再建されました。
中庭を「前堂」、「城隍殿」、2つの回廊(庑)に囲まれた四合院の構成をとっています。
◆城隍廟(城隍庙)-前堂
◆前堂の中
◆中庭
◆城隍殿
中央には、「城隍爺像(城隍爷像)」が安置され、両脇には「慈航大王」と「財神爺像(财神爷)」が安置されています。
◆城隍爺像(城隍爷像)
昭化県署(县署)
太守街の瞻鳳門近くの通り「苴侯街」に北に進むと「貞節(贞节)牌坊」があり、ここを曲がると再び「県衙街」となり、グルっと一周回ってきたことになります。
◆苴侯街
◆貞節(贞节)牌坊
県衙街は勾配のある曲がった通路で、風情のある景観となっていました。個人的に気に入った場所の1つです。
◆県衙街(县衙街)
■14:10 昭化県署(县署)
昭化県署(县署)は唐の時代に創建され、幾度かの戦乱により破壊されてしまいました。明代と清代に、2回に渡って再建されましたが、文化大革命により再度破壊されてしまいます。2008年に再建されました。県署は、城内で一番高い所にあり、知事が県内における最高権力者であることを象徴しています。
◆昭化県署(县署)入口
言うまでも無く、入口の前には照壁が立っています。
◆照壁
入口を抜けると儀門(仪门)があるのは、他の古城と同様です。
◆儀門(仪门)
儀門の先は中庭があり、これを囲むように建物ががあり、四合院を構成しています。
正面の建物が「親民堂(亲民堂)」で、知事が命令を発し、重要な儀式を執り行う場所であり、公開裁判が行われた場所でもありました。
◆親民堂(亲民堂)
細かい位置関係は忘れてしまったのですが、親民堂の近くには「二堂」と呼ばれる建物があり、中には、唐の時代の人物で、懿宗の治世に益昌(昭化)の県令を務め、清廉潔白で知られていた賢吏「何易于」の石像がありました。
◆二堂
◆何易于の石像
帰り道、苴侯街にあった貞節牌坊からさらに先(北)に進み、北門である「拱极門(拱极门)」を見て行きました。基礎部分の石垣があるのみで、城楼などは残ってないようです。説明書きはありませんでしたが、他の城門と同様に明の時代に建てられ、清代になって再建されたと考えられます。
◆拱极門(拱极门)
剣刀覇君臣園(剑刀覇君臣园)
最後は、古城南東にある「剣刀覇君臣園(剑刀覇君臣园)」です。瞻鳳門の前の細い通り「南門街(南门街)」を進むと間もなく見えてきます。人の気配が全くなく、民宿らしき建物もあったのですが、営業しているのか分からない状況でした。
◆南門街(南门街)
■14:25 剣刀覇君臣園
入口にはスタッフがいなかったため、勝手に入ってしまいました。
◆剣刀覇君臣園入口
入口を抜けると、竹林の中に、劉備や昭化に関わる蜀漢の重臣たちの像が立っていました。歴史的な価値は無さそうですが、三国志好きにとっては素直に楽しめる場所となっています。
一番奥に、貫禄のある劉備の像が立っており、像の背後にある馬は、劉備の愛馬として知られる「的盧」です。劉備像の手前には、張飛(张飞)や龐統、姜維といった重臣らの像が並んでいました。勿論、費禕の像もあり、その他、黄忠、魏延、霍峻、鮑三娘、関索(关索)、馬超(马超)の像がありました。霍峻や関索といったマイナーな武将の像があるのに、関羽や諸葛亮といった有名でも昭化に関わっていない人物の像がなかったのは、造った方々のこだわりを感じました。諸葛亮はともかく、関羽は蜀に足を踏み入れてさえいませんからね。
◆劉備(刘备)
◆龐統
◆姜維
チケットで入場できる施設は一通り観光したので、旅館に戻りチェックインします。膝の痛みはピークに達し、普通に歩くのも大変でした。
広元陳家大院中国式旅館
今晩お世話になるのが「広元陳家大院中国式旅館」です。太守街の中心にある葭萌亭のすぐ近くに位置します。古城はそれほど大きくないため、どこに位置していたとしても、利便性に大きな違いはありませんが、周辺は夜も明るく分かりやすくて良かったです。
日中、旅館の1階ではカフェを営業しており、アメリカンやラテなどのコーヒーを飲むことができます。お昼に荷物を預けた時も、チェックインの時もそうでしたが、カフェのカウンターには近所の方々が集まっており、いつも談笑している姿がありました。
チェックインの際には、アメリカンを頂きましたが、コーヒーマシンで淹れた本格的なコーヒーでした。料金は15元(約345円)でした。若干、ぬるかったのは気になりました。
統一感のある木造の内装は落ち着きがありながらも、カフェらしいお洒落な雰囲気となっています。先述した通り、昭化古城は2008年の四川大地震で甚大な被害があり、こちらの建物も全面的に立て直したように見受けられました。
◆カフェ
旅館はオーナーと思われる女性とその娘さんが切り盛りしているようで、あまり関わることはありませんでしたが、お二人とも印象が良く、対応も親切でした。
奥に進むと、中庭を囲むように部屋が配置されており、中国の伝統建築である四合院の構成となっていました。
◆中庭
予約したのはダブルルームで、1泊素泊まりで約5,000円でした。広元市のホテルの相場から見ると若干高めですが、この料金は当日までキャンセル可能なプランの場合で、キャンセル不可でも良ければ4,000円前後で予約できます。
この日の晩もかなり冷え込んだのですが、布団のほかに毛布が一組置いてあったので、大変助かりました。
◆ダブルルーム
木製の家具は全般的に年代を感じましたが、湯沸かしポットやTVなどの設備は新しくものでした。
◆デスク周り
トイレや洗面所、バスルームは新しくて清潔でした。
◆洗面所
洗面所とバスルームは扉で区切られており、床が濡れる心配がなく利用できました。
◆バスルーム
昭化古城のライトアップを楽しむ
漢城垣旧跡(汉城墙遗址)など
古城の見どころは一通り押さえたと思っていたのですが、旅館で地図を眺めていたところ、いくつか抜けていた場所がありました。膝の痛みは回復していませんでしたが、17時過ぎ、最後の気力を振り絞って出かけます。
太守街の中心付近にある交差点から「吐費街(吐费街)」を南に進むと、「孝友牌坊」がありました。
◆孝友牌坊
牌坊の少し手前から東に伸びる「剣刀巷」を進むと「八卦井」という、明の時代に造られた、古城で最も保存状態の良い古代の井戸があります。井戸の壁と底が八卦の形をしていることから、この名前が付けられました。
◆八卦井
吐費街に戻り、南に進むと古城の南端に到達します。広場が整備されており、右側には「漢城垣旧跡」という後漢時代に建てられた土壁の跡が残っています。土壁は、その後、幾度か修復が行われ、明の時代になると石による立て直しが行われました。文化大革命により破壊されてしまい、現在は荒廃したまま取り残されています。南門(临江门)があったのはこの辺りだと思われますが、現存しておらず基礎部分が残るのみです。
◆漢城垣旧跡(汉城墙遗址)
美味家小吃
まだ夕食には早い時間でしたが、瞻鳳門近くにある「美味家小吃」というお店に入りました。旅館にチェックインする前、お店の前を通りかかったときに「紅豆饼(饼)」、「板栗餅(饼)」という、中国各地で良く売られている円盤状のお菓子を買ったのですが、女性オーナーの対応がとても親切だったので、夕食もこちらで頂くことにしました。
古城内には、数多くの食堂やレストランがあるのですが、正直、どれも似たか寄ったかという印象で、rednote(小紅書)などで調べてもオススメされているお店も見つからなかったため、であるならば、対応が親切なお店でストレスフリーで済ますのが良いように思われました。
◆お店の外観
下の写真は、昼間に購入した「紅豆饼(饼)」という食べ物で、甘さ控えめで具材に使われている粒状の木の実か何かの食感が良いアクセントになっており、美味しく頂くことができました。
◆昼間購入した板栗餅
メニューを見渡すと、米粉(ビーフン)や牛肉面と言った麺料理が多く、特にここから南に行ったところにある「綿陽(绵阳)市」の名物料理「綿陽開元米粉(绵阳开元米粉)」をメインに扱っているお店のようです。綿陽開元米粉には少し興味が湧いたのですが、調べて見ると、臓物が入った四川省らしい辛い食べ物のようだったので、安全に普通の「牛肉米粉」にしておきました。10元(約230円)と大変良心的な料金設定です。もう一品は小籠包にしたのですが、材料が切れていたようで、代わりに昼間に購入した「板栗餅(饼)」にしました。また、オーナーの好意で豆乳を一杯サービスしてくれました。
◆メニュー
牛肉米粉は、牛肉ベースのスープは辛さ控えめで、問題なく口にすることができました。米粉は日本語にするとビーフンですが、日本で作られているビーフンとは少し食感が異なる気がしました。まあ、何にせよ変なクセも無く美味しく頂くことができました。
◆牛肉米粉と豆乳、板栗餅(饼)
昭化古城の夜の景観
18時になると太守街はライトアップが始まりました。辺りはまだ明るく、陽が暮れるのは大分先になりそうですが、膝の痛みが限界に達しており、夜に再度外出するのは無理だと判断し、瞻鳳門や葭萌亭、あと古城南西の臨清門だけ眺めて旅館に戻りました。最後に行った臨清門はライトアップされていませんでした。まだ時間が早かったのか、そもそもライトアップされないのかは不明です。
◆瞻鳳門(瞻凤门)
◆葭萌亭









































































































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